近畿から山陰にかけて水揚げされる松葉蟹は冬の美味の極みだ。産地ごとにブランド化が進み、全国に名を馳せているが、近年、評価が高まっているのが兵庫の浜坂漁港。そこには、極上のものを選りすぐる徹底した手間と、「命懸けで蟹を生かしきる」という一軒の店があった――。
冬の冷たい海風が吹きわたる夜明け前の港。その暗さを強烈なライトで追いやりながら、日本海の幸を満載した漁船が次々に入港してくる。接岸した船から海の男たちの威勢の良い声とともに水揚げされるのは、水槽のなかでうごめく松葉蟹の群れだ。ここは、兵庫と鳥取の県境に近い浜坂漁港である。
松葉蟹といえば、我こそは越前だ、加能だ、間人(たいざ)だと、高らかに名乗りをあげるブランドがいくつもある。「浜坂蟹」も、そうした雄たけび合戦に参加すべく2007年にカニ・ソムリエ制度を創設し、以来厳しい選別を経た蟹の品質を売りにぐいぐい知名度を上げているのである。
たしかに、水揚げされた蟹を、皓々と明るい照明のもと、漁師の奥さん連を中心とする「選別軍団」が、息をのむようなスピードで重量や等級別に選り分けていくさまは、壮観というほかない。上質の蟹は、たとえば「特一」といった札が付いた水槽に重量別に入れられていくのだが、そこにもさらに細かな区分がある。「キズ」とか「ヤケ」と書かれているものは、わずかながら欠点があるらしい。
が、もちろん、すぐにわかるような「欠点」ではない。目を凝らしたまま首をかしげていると、浜坂蟹の案内役を買って出てくださった山田達也さんが、「ヤケというのは、ほら、この黄色いシミがあるでしょう?これです。キズは、ほら」と、水槽から蟹を取り上げて指差す。が、老眼の当方にはそれがキズであるのかさえ、確認が容易ではないほどのキズである。そういえば、選別された蟹は、以後他の蟹や自分自身を傷つけないよう、一匹ずつのハサミを丁寧に輪ゴムでとめられる。
「活きていても、蟹はキズがあればすぐにそこから鮮度が落ちていきます。そういうものは使えません」と、仲買人の資格を持つ蟹料理店の店主である山田さんは、熱のこもった口調で理想の蟹について語ってくれる。そう、浜坂蟹の評価が急速に上がっているもうひとつの大きな理由は、この山田さんの存在にあるのだ。彼の店『かに𠮷』は、浜坂産の特上の蟹にこだわり、その素材を極上の料理に仕上げることで、今や蟹料理界(?)にその名をとどろかせているのである。
セリで山田さんと御母堂の満子さんが、その日一番の蟹を仕入れたのを見届け、私は早起きの寝不足分を取り返すべくホテルで仮眠をとり、夕闇迫る頃『かに𠮷』に足を運んだ。大通りに面した入口から二階に上がると、山田さんの奥さま・知子さんのお見立てだというアンティークの食器棚や食器類、無垢のテーブルなどが洒落た雰囲気を醸しだしている。
さて、ひと皿目。「かにミソ」色の塊が、モダンフレンチめいた瀟洒な皿に載っている。その艶やかな物体を口に含んだ途端、衝撃が舌から脳天にむけて走り抜ける。まぎれもなく「かにミソ」である。だが、それはいまだかつて食べたことのない「まぎれもなさ」であり、超絶的に「かにミソそのもの」なのだ。どうやったらこんな風になるんです?と叫ぶ私に、「ほんの少し酒を入れて、軽く炊いただけです」と山田さん。そのにんまり顔は、これはまだ入口ですよ、と告げている。
たしかに、そこからまさに「蟹宇宙」の神秘をくまなく探検する壮大なスペースロマン(蟹の風貌がエイリアン風なので、なんとなくそうなる)が始まった。乳白水晶のようなお造りの足を一気に頬張ると、舌にまとわりつくひんやりしたなまめかしい肉から深海の冷たさと豊穣を感じさせるエロスが放射され、香り高い焼蟹は驚異のみずみずしさと華やかさで口中に旨みの花火を咲かせる。
300グラムはあろうかという雌のせこ蟹もすごい。内子とミソの魅力はいうまでもないが、茹で加減の絶妙さで、雄に比べて旨みが失われがちな繊細な肉にかぶりつくと、蟹ジュースが堰を切ってあふれてくる。さらに、蟹爪のフライにかにミソソースという、とんでもなくコケティッシュな逸品が登場して悶絶度は増すばかり。
だが、やはり鍋こそがこの探検のクライマックスだろう。ふつふつ沸いている出し汁に、山田さんが細心の注意を払って蟹を浸す。素材の性質を見切っての加熱時間は、せいぜい数十秒を出ない。蟹肉のすべてのエネルギーが洩れ落ちることなく熱の力で極限までみなぎる瞬間を、山田さんは見逃さない。引き上げられた蟹は、生ではないが、かといって茹だってもいない。その絶妙な「ぬるさ」を頬張ると、至福の錯乱に襲われる。それはほとんど蟹肉に食べられ支配されるような、マゾヒスティックともいえる喜びだ。
余分なことは一切しない。そして、蟹が地球から受け取ったすべてのエネルギーを、人間の味覚で味わえる最上の形に変換して差しだしてくれる『かに𠮷』。だが、山田さんはあくまで謙虚だ。「浜坂の漁師の人たちが命懸けで、この最高の蟹を取ってきてくれる。そのことへの感謝をこめて、私も命懸けで蟹のすべてを生かしきる。それだけです」。この聖地で締めの蟹雑炊を呑みこみつつ呑みこまれる者は、必ずや蟹宇宙・蟹曼陀羅の畏るべき開示を経験するはずである。
文:大岡玲 写真:岡本寿
*この記事の内容は2019年3月号に掲載したものです。