米をつくるということ。
米づくりの新米が思ったこと|米をつくるということ㉑

米づくりの新米が思ったこと|米をつくるということ㉑

稲刈りで汗を流し、ボルタンスキーで肝を冷やした後は、お待ちかねの晩餐会である。新米を堪能!!そして、我らが棚田の師匠である小林昇二さんに、米づくりの苦楽についての話をたっぷりと聞く。農家のみなさんが米をつくることで、私たちの食卓に白米は届いている。

新米を食べるということ。

廃校になった小学校に泊まる。そう聞くだけで、わくわくとどきどきがやってきます。

収穫と芸術を体験した後は食欲だ。稲刈り隊は宿泊先の三省ハウスへとチェックイン。
夕暮れに、稲刈り隊は三省(さんしょう)ハウスに着いた。廃校となった小学校をリニューアルした本日の宿だ。ぼくは40日振りにお世話になる。2回目の草刈りで一泊しただけだが、玄関を入った途端、懐かしい気分に。半世紀ほど前、自分が卒業した小学校の記憶がよみがえる。
今回は稲刈り隊の面々も一緒だから、とても賑やか。「わー、小学校だあ」と、田んぼの疲れもなんのその、みんな子どもに戻ったようにはしゃいでいる。前回は雨模様でしっとり静かな雰囲気だったが、打って変って今日はさながら林間学校の気分だ。
荷を解く間もなく夕食の時間となった。食堂には夕餉の香りが満ちていた。

この日の夕食は地元に住むおふたり、相澤俊子さんと室岡一義さんが中心となってつくってくれました。

もしかして?
厨房に声をかけて聞いてみると、期待通りの答えが返ってきた。きょうのごはんは魚沼産コシヒカリの新米だ!
ひとり先に釜の蓋を開けて、香りを嗅いでみる。かすかに湯気がたち、ほんのりと米の香りが。うーん、たまらない!
茶碗に少しだけよそって箸で口に運ぶ。目を閉じてゆっくり噛みしめると、もっちりした感触と米の甘みが口いっぱいに広がり、棚田の風景が脳裏に浮かびます。里山食堂のランチ(「米をつくるということ18」で紹介しました)に続いて、またしても自分だけフライングしてしまった。いやはや恥ずかしい。今回はとにかくごはんが旨い。

新米に加えて、おかずももちろん地元食材を使ったもの。なす、カボチャ、豆、にんじんの天ぷらがおいしい。さらに独特な淡い紅色の芋茎(ずいき)の漬け物が。ぼくは初めていただく。これでごはんをまたお代わり。食欲の秋だ。

地元で採れた野菜などが並んだ夕ごはん。ちなみに、コシヒカリの新米はお代わり自由でした!
稲刈り隊全員で、今日の農作業の話で盛り上がりながらのディナータイム!

夕食が済むと、小林昇二名人を囲んで稲作とおいしい米について話を聞いた。
名人は窒素、リン酸、カリウムという肥料の3要素から紐解き、米づくりについてミニ講義を始めた。やはり稲作の現場でも、理科の「基礎知識」が米づくりには大事なんだと納得して聞いていたら、ふいに現実的な問題に話が及ぶ。
「今年は収穫直前に倒れたイネが多かったが、それは土地が肥えすぎていたからだね」「えっ?」と聞き返すと意外な答えが。
つまりこういうこと。昨年は悪天候のせいでイネの中には生育が良くないものも出てきた。それらは土の窒素を吸収しきらずに刈り取られた。そのぶん土には窒素が残り、今年新しく加えた窒素肥料がそれにプラスされ、結果として肥料過多となった。その結果、イネが成長しすぎてしまったのだ。あまり茎の丈が長く伸びると風に弱くなって、刈り取る前に根元のあたりから茎が折れて倒れてしまうのだ。2回目の草取りで目についた、ほかの田んぼの倒れたイネはこれが原因だった。
田んぼの土は、去年から今年へ、今年から来年へと受け継がれていく。長い時間の流れの中で田んぼの土は常に変化し続ける。田植えから稲刈りまで5ヶ月ほどだけれど、実はその前後の長い時間、土の状態を見極めて手当てすることも、米づくりには大事だということ。やっぱり稲作は奥が深い。

藤原智美さんと小林昇二さんによる「米をつくるということ」トークショー。知らなかった米作の話が次々と語られます。

土と暮らすということ。

農家の人の寿命は普通の会社員より平均で3年ほど長いと聞いたことがある。確かに80歳を過ぎてもなお田畑で汗を流す元気な人は多い。小林名人は御歳64歳だが、この魚沼の稲作農家ではまだ中堅どころ。長老と呼ばれるのはもっと先のことだ。それにしても、なぜ農家の人は長生きなのだろうか?
ぼくは米づくりを通して、ひとつ学んだことがある。地面についてだ。裸足で田んぼに入ったときに、ぼくは「土地の力」というものを強く感じた。「グラウディング」という言葉がある。これはグラウンド、つまり大地、地面を由来とする言葉で、大地からエネルギーをもらい、自分が抱えるストレスを解消して健康になるということ。心理療法などで実際に使われている。そういえば太極拳やヨガも大地からエネルギーをもらうという考え方で練習するが、これも大きな意味ではグラウディングだ。
たとえば芝生の上を裸足で歩くと、とても心地よく解放されて生き生きとした気分になる。米づくりにはグラウディング、癒しの効果が潜んでいるのかもしれない。人は長い間、裸足で土を踏みしめて暮らしていた。靴を履きコンクリートやアスファルトの上を歩くようになったのは、長い人類史の中ではつい最近のことだからなあ。土地に触れながら暮らすこと、地面に立ち、歩くことは人間にとって実に大切なことなんだ。

5月の田植えのとき、靴を脱いで裸足で田んぼに入った感触は忘れられません。気持ちいい。

小林名人は電気工事、水道工事も自分でこなすという。イノシシやアナグマを包丁一本で解体できる。農家の人は、仕事で使う道具を自作したりする人がとても多い。農業というのは生活にまつわるものごとに臨機応変に対応する力を養う、実に創作的な仕事だといえる。
考えてみれば、稲作は創作なのだ。イネをつくり出すというのは、それそのもので「創作活動」じゃないか。天気や自然は日々変化する。それらと相談しながらつくり方や世話の仕方も変えなければならない。体を使うだけではなくて、いっぱい頭も使う。そんな仕事なんだなあ。

小林名人は米づくりもうまければ、話もうまいのです。自分の言葉で稲作の悦びを語ってくれました。

名人の話は尽きない。お酒のピッチもいっこうに衰えず、ますますハイテンションに。「こういう日はたいていカプチに繰り出して、そのまま店で寝てしまうんだよ」と言う。
カプチとは名人行きつけの「カプチーノ」のこと。そういえば松代の町で見かけた不可思議な看板を思い出した。店名が「カプチーノ」なのに、なぜかラーメンとでっかく掲げられていた。名人によると、メニューにカプチーノはなく、名物は豆腐入りのラーメンなんだとか。夜遅くなると、店の主人はいなくなり、客が自分たちで冷蔵庫から酒を出して勝手に飲むのが通例だという。なんてへんてこりんな店だろう。一度、名人と一緒に入ってみたい、とぼくらは大いに盛り上がり、すっかり夜更かししてしまった。

深夜の四方山話の中心は「カプチーノ」でした。まつだい駅前に佇むラーメン店?

――つづく。

文:藤原智美 写真:阪本勇

藤原 智美

藤原 智美 (作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。