写真家の阪本勇が巡るおにぎりの思い出。インドで出会った長髪でヒゲぼうぼうの健作さんは、奥さんのれいなさんのおにぎりを見るとかわいくていつも笑ってしまうそうだ。家を訪ねるとれいなさんが照れながら、笑顔のおにぎりをにぎってくれた。
健作さんとは、20年ほど前にインドのトリヴァンドラムという町で出会った。
僕は高校を卒業してから居酒屋のアルバイトでお金を貯め、19歳の誕生日に関西国際空港からインドに向かった。
いわゆるバックパッカーというやつで、僕にとって初めての外国だったので毎日が刺激に溢れていた。
遺跡や食文化などの異国の文化に触れること、現地の人と伝わらない会話をすること、それに旅行中の日本人に会うこともとても刺激的だった。
19歳だった僕は、会う人会う人に「旅で出会った日本人でお前が最年少だ」と言われた。
僕からしたら出会う人全員が年上だったし、わざわざインドというかなり特殊な文化の国を選んで旅している人というのもあって、出会う日本人は少し変わった人が多かったように思う。
その中でも、いちばん変わり者だと感じたのが健作さんだった。
京都から来たという健作さんは長髪でヒゲぼうぼうで、まさにバックパッカーとはこうあるべしといったような風貌をしていた。
健作さんはインドに着いたその日に睡眠薬強盗に遭った。
駅で話しかけてきたインド人がチャイをご馳走してくれ、楽しく会話しているうちにいつの間にか意識を失い、目が覚めると現金やパスポート、大切な荷物などあらゆるものがなくなっていた。
チャイに睡眠薬が盛られていたのだ。
外国に着いた初日にそんな目に遭ったら怖気付いて帰国を考えそうなものだけど、日本大使館に行ってパスポートを、銀行でトラベラーズチェックを再発行し、健作さんは旅を続けた。
米ドルと日本円にわけて持ってきていた現金は一切戻ってこなかったので、当初の予定よりも大幅に資金が減った旅になった。
日本で発行したパスポートは顔写真が直接印刷されていたが、インドで再発行したものは上から証明写真が貼り付けられた簡易的なもので、事情を知らずに見ていたら、風貌も相まって偽造パスポートだと疑っていたかもしれない。
そのパスポートは旅の過酷さを物語っているようで、いまだに強く印象に残っている。
当の本人は「えらい気さくなインド人やなぁ思ってたら、荷物全部持って行かれてたわ」と飄々としていた。
健作さんとは何日間か一緒の町にいて、ごはんを食べたり、お酒を飲んだりもした。
いままで出会ったことがなかったタイプの人で、知れば知るほど変わり者の面も見えてきて話を聞くのがとても面白かった。
「壮大な景色の前に立つとな、スッポンポンになりたくなるやん?」と奇想天外な同意を求めてきたこともあった。
めちゃくちゃ男前で、めちゃくちゃ優しくて、めちゃくちゃ面白くて楽しい人だけど、きっとこの人はずっと旅して、ずっと独身なのだろうと決めつけていた。
健作さんの両親も健作さんが結婚するとは思っていなかったらしい。
僕の健作さんの第一印象は「変な人」だったのに、奥さんのれいなさんは「神様みたい」という第一印象を持ったそうだ。
友人みんなでごはんを食べた席にいた年上の健作さんを「かわいい!」と思ったらしい。
そのときの印象が強く、れいなさんはいまも「かみさま」とか「かみちゃん」と呼んでいる。
休みの日はお弁当を持ってピクニックにいくことが多い。京都タワーに行ったり、水族館に行ったり、梅小路公園の芝生にテントを張って一日中過ごしたり。
れいなさん曰く、健作さんは単純で、お弁当にはミートボールとタコさんウィンナーを入れておけば喜ぶし、夜ごはんはうどんにおにぎりがついていれば満足する。
そこも健作さんのかわいいところだと言う。
5年付き合って、同棲し、自然な流れで結婚をした。
いつの間にかお互いの中に結婚という意識が生まれ、「結婚しよなんて、ひと言も言ってへん」と健作さんは言う。
れいなさんの両親の所へ挨拶に行ったとき、健作さんのヒゲがあまりにもすごかったのでイスラム教の人と思われたそうだ。
高校三年生から今までヒゲがなかったことがないらしい。
ある時期、れいなさんは働いておらず、ずっと家にいた。
夜、健作さんが寝てからもスマホで朝までゲームをしていた。
ある日の朝方、急に健作さんに申し訳なくなり、思い立っておにぎりをにぎった。
お弁当箱に詰め、メモと一緒に机の上に置いておいた。
仕事の昼休憩のとき、健作さんは持って出たお弁当を開けると、おにぎりふたつとたくあんが入っていた。
「キャラ弁っていうんかな、キャラおにぎりっていうんかな、おにぎりに顔があってん」
れいなさんはおにぎりに海苔と梅干しを使っておむすびマンの顔を描いていた。
「ええ歳やけど、それが嬉しくて、かわいくて、笑ってしまって。食べようとすると目が合うから食べるの可哀想になって、目が合わんようにおにぎり裏っ返して食べたわ」
下京区役所に婚姻届を出しに行く日、健作さんは急に「カラオケに行こう」と言い出した。
れいなさんは「なんでこんな日に」といって拒み、健作さんは「こんな日やからこそ歌うんや」と言い合ってケンカになったが、結局はふたりで歌を歌ったらしい。
「なんやわからへんけど、お祝いに歌でも歌いたくなってん」
健作さんは言っていたけれど、もしかしたら少し照れていたのかなと僕は思った。
婚姻届を出すと、区役所の人がポラロイドカメラで記念にふたりの写真を撮り、写真台紙に入れて渡してくれた。
れいなさんは感激で大泣きしたらしいが、健作さんは大泣きするれいなさんを見て大笑いし、肩を組んだ。
自分が泣いてるのを見て大笑いしてる健作さんに少し腹を立てていたれいなさんは「肩組んできやがった」と思ったと、そのときの気持ちを話してくれた。
引っ張り出してきてくれた記念のポラロイド写真を撮ろうとすると「泣いて化粧くずれてるから私の顔は写したらあかん」と言って、写真台紙に挟まれていた用紙で自分の顔を隠した。
用紙には、
1年後の結婚記念日に____をします。
10年後の結婚記念日に____をします。
50年後の結婚記念日に____をします。
などと、自分たちで何か宣言を記入するようになっていたが、記入欄には何も書いてなくてそのままになっていた。
僕が写真を撮り終えると、れいなさんは何を思ったのか、ボールペンを手に取り、その用紙に記入しだした。
25年後の結婚記念日(銀婚式)も「かみさまをかわいがり続けます」。
れいなさんはことあるごとに健作さんのことを「かわいい」と言う。
「いつまで経ってもかみさまのかわいさは色褪せない」と笑う。
健作さんは「そんな言うてくれんでいいねんけどな」と照れるでもなくつぶやいた。
普段ふたりはどんな会話をするのかと尋ねてみると「琴奨菊は横綱になれるかなぁとか、本当に意味のない会話ばっかり」だと言うが、普段ふたりで一緒に家にいるときは、お互いが別々のことをしていてもずっとれいなさんが健作さんにひっついているらしい。
帰りに駅まで送ってくれたときも、前を歩くふたりはずっとひっついていた。
改札を通って僕がふたりにカメラを向けると、写真が苦手なれいなさんは「あかん、あかん!」と言ってかみさまの後ろに隠れ、両手を上げてピースをした。
文・写真:阪本勇