検索では辿り着けない店がある。人と同じように、店もまた出逢うものなんだなぁ。改めて思い知る。巡り巡ってくぐった暖簾の先は、夢のような場所だった。家族の絆が築いた一軒のラーメン店での味噌ラーメンとの邂逅。温もりという言葉は、この店のためにあるんじゃないのかな。そんなことを思うほどに「わかい」はあったかい。
流れ流れて人形町のラーメン店「わかい」に辿り着いた僕は、いつも通り醤油ラーメンを頼んだ。するとおばさんが「ウチは味噌が人気なんですよ」と言う。うむむ、穏やかな口調だが、頑な気配も感じられる。しかし、酷な提案だ。今朝の天気予報だと今日は34度の真夏日。その中を自転車で走ってきたのだ(こっちの勝手だが)。これって熱中症?と思うぐらい体に熱がこもっている。味噌ラーメンという気分じゃない。ほんとはそうめんが食べたい。
でも飛び込み取材を許してくれたし、店の人の勧めには従うべきだよなあ。
「じゃあ、やっぱり味噌ラーメンで」
そう口に出した途端、うっと胸が焼ける思いがした。それぐらい今日は味噌ラーメンの日ではなかった。
厨房のイケメン兄さんは中華鍋に野菜を入れて炒め始めた。やはり“札幌ラーメン式”らしい。
残っていた客が食べ終えて出ていくと、おばさんは丼を片付け、その後、僕の席に来て、いろいろ話してくれた。
「60年前に開業したときは、『えぞっこ』という店だったんです。東京に初めて進出した札幌ラーメンの店だって聞いています。途中からウチが引き継ぎました。レシピも受け継いで、味も店もそのまま」
「じゃあやっぱり最初から味噌ラーメンが売りだったんですね」
「ええ」
「その頃、東京に味噌ラーメンってなかったんじゃないですか?」
「そうかもしれません。すごかったですよ。多いときは200人ぐらい並びました」
ラーメン店に行列ができるのは、比較的最近の現象だろうとぼんやり思っていたが、そうでもないらしい。それにしても、たまたま入った店がそんなエポックメーキングな店だったとは。
「いまでも寒くなると並びますよ」
やっぱり、そうなんだ。夏のものじゃないよな。味噌ラーメンの本場、札幌も言わずもがな寒い地だ。でもさっき帰った客はふたりとも、この真夏日に味噌ラーメンを食べていたのだ。
野菜を炒める音が静かになり、スープが入れられる。その具入りスープが中華鍋から丼に注がれ、トッピングが施されたのち、運ばれてきた。
おや、茎わかめだ。その代わりメンマがない。訊けば、先代の「えぞっこ」からだという。
まずはスープを飲むと、ホッとした。見た目からもわかるが、脂ギトギト系じゃない。脂に頼ろうとしていない。塩気は弱くはないが、味噌ラーメンの中では比較的あっさり目だ。うん、これならいける。
そう、一時期はよく食べていた味噌ラーメンを避けるようになったのは、脂と塩気のせいなのだ。味噌味はどうしても繊細さより力強さに傾く。脂多め、塩も濃いめになる。高校の部活帰りならそれでよかったが、大人になって多様な味を知り、味の機微を求めるようになってからは遠ざかっていた。
でもこの味噌は、違う。なるほど、地域で長くやっている味噌ラーメンはこうなんだな、と思った。話題性を狙った派手さや、力強い主張は必要ない。考えるのは地域の人たちのことだ。毎日でも食べられる優しさと、丁寧な仕事に支えられた、きめ細やかさ。あっさり控えめだけど、嚥下した後に、うまみがさざ波のように幾重にも広がっていく。思わず「味噌は何種類くらいブレンドしているんですか?」と訊いてみた。おばさんはにやりと笑って「ふふふ、企業秘密」と答えた。
麺も札幌ラーメンを踏襲して黄みが強く、縮れている。その縮れにスープがたっぷり絡んだ、硬めの麺がツルツルと口内に滑り込んでくる。実に小気味よい。
あんなに気が重かったのに、食べ始めたら飢えた獣と化した。汗をだらだら流しながら、味噌ラーメンをすする。暑い日のカレーの快感だ。もやしを途中にはさむ。シャキシャキした歯ざわりの中に、豚の挽き肉の弾力が交じる。肉の粒は大きめで、じわっと甘い。
茎わかめのアクセントもきいていた。こりこりして、ほんのり海の香りがする。徳島の漁師から直接送ってもらっているらしい。
「その漁師さんが東京観光にいらしたとき、ウチのラーメンを食べにきてくれたんですよ」
おばさんは嬉しそうにそう話してくれた。
そこへ、ちゃきちゃきした感じのお姉さんが入ってきた。お店の従業員らしい。
「娘です」とおばさんが言う。あ、そうなんですか、と関心を示すと、おばさんは厨房のイケメンを指して言った。
「あっちは孫です」
「ええっ!?」
素っ頓狂な声をあげると、今度はお姉さんのほうが「私の息子、イケメンでしょ」と誇らしげな顔で笑う。ええ、確かにイケメン……いや、そんなことより、親子三代が店に出ているなんて!
三代「目」が営む店は数あれど、三代「全員」で営むラーメン店は、東京広し、いや日本広しといえど、なかなかないんじゃないだろうか。
食べ終えてからも、この周辺の見どころを教えてくれたり、最後は記念撮影にも笑顔で応じてくれたりした。店に入ったときに感じた温もりは、やはり古色だけが原因じゃなかったようだ。
家族の事情は、他人がおいそれとはかれるものじゃない。あるいは家族だからこそ難しい面もあるかもしれない。ただ、自分が、親父とお爺ちゃんと3人で店をまわしている、といった光景を頭に描いたとき、そこには温かいものしか思い浮かばなかった。守ろうとする大切なものが、そこにはあるんだろうなと思えた。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ