dancyu webオリジナルの「d酒(ざけ)」を造るため、やって来たのは熊本県酒造研究所。現代の吟醸酵母のルーツとも呼ばれ、優良な性質ゆえに、後に日本醸造協会の「きょうかい酵母9号」として認定された「熊本酵母」を受け取るためにである。この酵母、どんな特長があるのか?そして、生きている活性酵母はどうやって運ぶのか?
熊本酵母を頒布する熊本県酒造研究所の製造部長の森川智(さとる)さんは、「こいつら、強いですからね」と太鼓判を押した。
では、その“強さ”とは醸造の現場では、どんなふうに発揮されるものなのか。
そこを森川さんにお聞きすると、「まずは、発酵力の強さですよね。増殖する力も強いし、仕込みの後は、早い段階でアルコールをしっかり造ってくれます」。
ここで日本酒の基礎知識をかなりザックリとおさらいすると、日本酒の原材料は、米と米麹。その米麹の働きでできた糖から、アルコールを生成して酒へと変えていくのが酵母の働きである。
そして、さらに酵母は、発酵の後半で「酵母の人生劇場」とも言うべきドラマを繰り広げる。
自分の働きで、もろみの糖をどんどんアルコールに変えてきたというのに、最後は自分が造ったアルコールの中で命を落としていくのである。そのアルコール分が増えていく段階で、酵母がどれだけ持ち堪えられるかの体力を「アルコール耐性」と呼ぶのだが、これもまた「熊本酵母は、他の酵母に比べて格段に強い」と森川さんは言う。
発酵力の強いもろみからの分離・
森川さんが信頼と愛情を込めて「こいつらには、あまりナーバスにならなくても。気を使って貰わなくても大丈夫です」と話すのは、熊本酵母が、まずは生き物としてのたくましさを持ち合わせているからなのだ。
熊本酵母を(私が勝手に)人格化すると、雑菌との競争にも強く、発酵していく力も強い働き者。それでいて、最後には果実のように爽やかで上品な香りも残すという、体育会系だけど叙情派、という、なんとも魅力的な酵母なのである。
森川さんは言う。
「うちの酵母よりも昔に分離・頒布された酵母(1号~7号)は、明治末期から昭和の前半に、まずはお酒を腐らせずに安全に大量に造るために頒布された酵母です。それに対してうちの酵母が頒布されたのは、高度成長期を過ぎてお酒もひととおり皆さんに行き渡って、より旨いもの、今までにないものが求められた時代。豊かな時代の酵母なんですよね」
たしかに、吟醸酒をワイングラスで飲み始めた1980年代、その吟醸酒に使用されている酵母の大半は、9号・熊本酵母だった。
あれから30余年。華やかな香りを出す酵母が次々と開発され続けている今も、9号・熊本酵母が、醸造家たちから支持されているのは、まずは「安全な醸造」という基本と仕上がりの上品さとを共に満たしているからなのだろう。
納得!と胸に手を当てる私に「でもね」と森川さんが、笑いを含んだ声で忠告も。
「こいつら、走り出したら速いですからね。しっかりした麹じゃないと、どんどん発酵して、杜氏さん、大変なんじゃないかなあ。なので、尾畑酒造さんには扱い方を電話してあります」←さすが。
その「走り出したら速い」と予言された酵母は、すでにガラス瓶に入れられ、呼吸が出来るように(生き物だから!)綿の栓で蓋がされている。
30℃を超す酷暑の日、これから酵母たちは、保冷剤で守られながら陸路で東京へと運ばれていくのである。私ではなく、沼さんの手で。……すまん。
頑張って下さい。酵母も。沼さんも。
――つづく。
文:藤田千恵子 写真:比田勝大直