2019年も「d酒」を造りました!
熊本酵母は託された|d酒2019「熊本酵母の旅」エピソード3

熊本酵母は託された|d酒2019「熊本酵母の旅」エピソード3

dancyu webオリジナルの「d酒(ざけ)」を造るため、やって来たのは熊本県酒造研究所。現代の吟醸酵母のルーツとも呼ばれ、優良な性質ゆえに、後に日本醸造協会の「きょうかい酵母9号」として認定された「熊本酵母」を受け取るためにである。この酵母、どんな特長があるのか?そして、生きている活性酵母はどうやって運ぶのか?

熊本酵母は「たくましい働き者でいて叙情派」。

熊本酵母を頒布する熊本県酒造研究所の製造部長の森川智(さとる)さんは、「こいつら、強いですからね」と太鼓判を押した。 
では、その“強さ”とは醸造の現場では、どんなふうに発揮されるものなのか。
そこを森川さんにお聞きすると、「まずは、発酵力の強さですよね。増殖する力も強いし、仕込みの後は、早い段階でアルコールをしっかり造ってくれます」。

製造部長・森川智さんと、製造担当の小田卓治さん
熊本酵母の頒布元で、研究機関兼清酒「香露」の醸造元である熊本県酒造研究所製造部長の森川智さんと、製造担当の小田卓治さん。

ここで日本酒の基礎知識をかなりザックリとおさらいすると、日本酒の原材料は、米と米麹。その米麹の働きでできた糖から、アルコールを生成して酒へと変えていくのが酵母の働きである。
そして、さらに酵母は、発酵の後半で「酵母の人生劇場」とも言うべきドラマを繰り広げる。
自分の働きで、もろみの糖をどんどんアルコールに変えてきたというのに、最後は自分が造ったアルコールの中で命を落としていくのである。そのアルコール分が増えていく段階で、酵母がどれだけ持ち堪えられるかの体力を「アルコール耐性」と呼ぶのだが、これもまた「熊本酵母は、他の酵母に比べて格段に強い」と森川さんは言う。
発酵力の強いもろみからの分離・選抜を繰り返した精鋭の熊本酵母たちは、発酵の終盤まで強靭な体力で活動を続けるのだ。


森川さんが信頼と愛情を込めて「こいつらには、あまりナーバスにならなくても。気を使って貰わなくても大丈夫です」と話すのは、熊本酵母が、まずは生き物としてのたくましさを持ち合わせているからなのだ。

熊本酵母を(私が勝手に)人格化すると、雑菌との競争にも強く、発酵していく力も強い働き者。それでいて、最後には果実のように爽やかで上品な香りも残すという、体育会系だけど叙情派、という、なんとも魅力的な酵母なのである。

熊本酵母の培養研究室
熊本酵母の出荷タイプは2種類あり、左がすぐに使える液体培養酵母で、中央が培養施設がないと使えないスラント保存酵母。右は乾燥酵母で、非常事態に備えた保存用。
酒蔵界の共有財産である熊本酵母の培養研究室。
酒蔵業界の共有財産である熊本酵母の培養研究室。
熊本酵母の培養研究室
もろみをろ過したろ液や酒を分析する機器。
熊本酵母の培養研究室
温度を設定して、酵母を培養するための「インキュベーター」。
熊本酵母の培養研究室
内部は無菌状態が保たれており、酵母の植菌を行う「クリーンベンチ」。
熊本酵母の培養研究室
酵母が生存するための麹エキス「培地」の作成風景。

森川さんは言う。
「うちの酵母よりも昔に分離・頒布された酵母(1号~7号)は、明治末期から昭和の前半に、まずはお酒を腐らせずに安全に大量に造るために頒布された酵母です。それに対してうちの酵母が頒布されたのは、高度成長期を過ぎてお酒もひととおり皆さんに行き渡って、より旨いもの、今までにないものが求められた時代。豊かな時代の酵母なんですよね」

たしかに、吟醸酒をワイングラスで飲み始めた1980年代、その吟醸酒に使用されている酵母の大半は、9号・熊本酵母だった。

あれから30余年。華やかな香りを出す酵母が次々と開発され続けている今も、9号・熊本酵母が、醸造家たちから支持されているのは、まずは「安全な醸造」という基本と仕上がりの上品さとを共に満たしているからなのだろう。

納得!と胸に手を当てる私に「でもね」と森川さんが、笑いを含んだ声で忠告も。
「こいつら、走り出したら速いですからね。しっかりした麹じゃないと、どんどん発酵して、杜氏さん、大変なんじゃないかなあ。なので、尾畑酒造さんには扱い方を電話してあります」←さすが。

瓶
瓶の底を見てみると……
熊本酵母
澱のように見えるのが熊本酵母。添加すれば「すぐに走り出せる」状態。
熊本酵母
こちらは「寒天培地」上で生育させた熊本酵母。酒蔵に培養施設があることを条件に、宅急便で発送が可能。
藤田千恵子さん
しかと入念に梱包された熊本酵母を受け取る、藤田千恵子さん。

その「走り出したら速い」と予言された酵母は、すでにガラス瓶に入れられ、呼吸が出来るように(生き物だから!)綿の栓で蓋がされている。
30℃を超す酷暑の日、これから酵母たちは、保冷剤で守られながら陸路で東京へと運ばれていくのである。私ではなく、沼さんの手で。……すまん。
頑張って下さい。酵母も。沼さんも。

――つづく。

文:藤田千恵子 写真:比田勝大直

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藤田 千恵子(ライター)

群馬県生まれ。日本酒の味わいのみならず酒蔵の文化・杜氏蔵人の精神性に惹かれて各地の蔵元を取材執筆。著書に『日本の大吟醸100』『杜氏という仕事』(ともに新潮社)、『おとなの常識・日本酒』(淡交社)、『美酒の設計』(マガジンハウス)、『極上の調味料を求めて』(文藝春秋)など。2001年より日本酒と醗酵食品・伝統調味料の啓蒙をはかる「醗酵リンク」主宰。2004年より長野県原産地呼称管理制度日本酒官能審査員。「dancyu」「あまから手帖」日本酒特集など、雑誌寄稿多数。