香川県高松市。正午。風変わりな佇まいの喫茶店に、今日もまた一冊の古書を携えて訪れる。本格的な洋食の趣きに驚き、味わいに満足をする。食後の珈琲を味わいながら、目当ての本を鞄から取り出す。喫茶店の名は「ロゼ」という。古書の話は、次回に。
香川県高松市。郊外へ少し車を走らせ、住宅街の中の狭い道を進む。高松には都内なら一方通行の道幅しかない側道が多い。そんな道を少し慎重に車を走らせると、住宅の並びが途絶えた田んぼの向うに、異彩を放つ建物が見えてくる。
まず目に入るのは、年季の入った「ロゼ」と書かれたポール看板。ふつうポール看板というものはロードサイドにある。車で行き交う人々に、店の場所を遠くからでもわかるようにアピールするためだ。
しかしここは、住宅街の小道である。店名の下には味わいを狙って加工してもここまでは難しそうな、鉄錆に浮かび上がる「パーキング」マーク。よく見れば、店名の看板も経年の日射しに焼けている。この住宅街の中、誰に向けて掲げてきたのだろうか、と見る者に疑問を投げかけるそのすくっと立つ看板が、店の孤高感を際立たせていて、この店は見過ごすことはできないなと覚悟させる。
建物に目を移すと、同じく時の研鑽を感じさせながらも、まわりには木々が生い茂り、緑に囲まれた自然あふれる印象がある。何より驚かされるのは建物の真ん中から突き抜けるように木が生えていることで、「まるでジブリだ」とつぶやきそうになるほど、長い年月の風雨にさらされた人工物と野性的に伸びた木々の自然が不思議な調和を見せている。
駐車場から店へは、短い緑の回廊を通り抜けていく。入口には店名「ロゼ」の由縁だろうか、最近ではなかなか眼にできないデザイン感覚による一輪の薔薇のモザイクタイルが店に入る客を出迎えてくれる。
入口の扉を開けると、ランチタイムということもあってか、想像以上に賑わっていて活気がある。店内は80年代の雰囲気を感じさせるインテリアで、センスの尖りすぎないマルセル・ブロイヤー風の椅子、網目がかったランプシェードの意匠が懐かしい。
往年の名作漫画『タッチ』のヒロインである朝倉南の父親が経営する「南風」の風景が頭をよぎる。どこか親戚の経営する喫茶店を訪ねたようなアットホームな落ち着きもある。
注文を取りに来てくれたご夫人がまたとても印象がいい。笑いかけてくれているというよりも、笑顔の状態が基本になっているかのような優しさがあふれていて、初見で「お母さん」と呼びたくなってしまった。
カウンター席の奥ではテレビがついていて、民放のワイドショーのささやかな音がBGMになっているが、なぜだかあまり嫌な感じがしない。
私が小学生時代を過ごした昭和後期の住宅街は、まだクーラーがそこまで浸透していなかったからか夏は網戸で過ごす人が多く、駅からの帰り道を歩いていると、網戸越しの茶の間から、テレビの音がかすかにもれ聴こえていた。私の家もそんな住宅街の家のひとつだったこともあるのか、言葉の意味までは聞き取れないようなテレビの音を聴くと、大皿料理と瓶ビールが並ぶ狭い食卓を囲む家族の原風景が浮かび上がる。
昭和から平成を経て令和に入ったいまでも、「平和」の言葉の響きと親近感のあった「昭和」の雰囲気がこの店には感じられて、妙にテレビの音と調和している。
メニューを見ると、喫茶やカフェに似つかわしくない本格的な内容で、ランチタイムから、魚、ハンバーグ、チキンなど、しっかりとした洋食を食べることができる。
この日いただいたスペシャルランチには、メインの前にコーンポタージュがついていて、リッチ感がありつつも、これまた懐かしさと優しさを感じる。ポタージュの上には、彩りのパセリとコーンフレークが浮かべられているが、これがクルトンでなくて、コーンフレークであることが絶妙だと思う。いまの世の中、何でも上を目指そうとするけれど、「度を超さない美学」というのが大事なことがある。ここでもしクルトンが入っていたりしたら、この店の調和がそこから崩れてしまうような気がする。本格的ではあっても、場所や雰囲気にあった落とし処が必ずある。
その一方で、スプーンやフォークはナプキンに一本ずつ包まれて出てくる。アットホームな雰囲気の中で背伸びするように味わうリッチな感覚がどこか懐かしく、洗練され過ぎた本格派の味わいよりも、優しく心と体を温めてくれる。
メインのハンバーグは、デミグラスソースがかかった本格派の味わいでボリュームもあった。にんじんのグラッセとさっとゆでた野菜が華やかに添えられている。普通なら、添え物にポテトフライやケチャップパスタでもよさそうなところだが、顔が生き生きとした新鮮な野菜が配されていて、本格的な味わいの横に、先ほどのお母さんの笑顔が感じられる。あたかも客の健康を気遣って「野菜もちゃんととらなきゃダメだよ」と語りかけるかのような、メッセージ性が皿の上にある。
店内には常連らしきスーツ姿のサラリーマンや作業服の男性も多かったが、ボリューム感と健康バランスを兼ね備えたランチが彼らの仕事を支えているかのように、帰り際のレジ前では、馴染んだ空気の中に笑いがこぼれている。
食事を終えると、お母さんが珈琲を持ってきてくれた。口当たりはささやかな酸味で、余韻がすっきりと飲みやすい。ボリュームのあったランチの後味をすっと流してくれるかのようで、食事から午後の仕事や所用へ向けて、気持ちを切り替えてくれる一服だ。
隣のテーブルでは、家族3人の食卓にお母さんが珈琲を運びながら「まだちょっと早かったかな、ごめんね」と声をかけている風景がある。忙しいランチタイムにも食後の珈琲のタイミングに目配せをしながら、少しのサーブのズレを気軽なひと言で調整する。ホスピタリティなどと呼んでしまうと、途端に難しくなってしまう、客とお母さんの自然で大らかなやり取りに口元をほころばせつつ、午後の読書に向けて、今日の一冊を手に取る。
――つづく。
文:川上洋平 写真:佐伯慎亮