5月に田植え、7月に草刈り&草取り、そして8月の終わりに再び草取りのため、3度目の魚沼=我が田んぼへ。しかし現実は甘くなかった。雑草たちは、下手な草取りをあざ笑うかのように、すくすくとイネより元気に育っているではないか。稲刈りまで、時間がないというのに、さあどうする?
東京発の新幹線に乗り、夕方前に越後湯沢駅に着いた。そこから車を借りて、まっすぐに棚田へ向かった。
まつだいの駅が見えてくると、なぜか故郷へ帰ってきた気分。窓を開けて、懐かしい風の匂いをかいだ。果たして我らのイネは、どれくらい成長しただろうか。舗装道路から棚田に入る小径は、たしかこの辺だが……。
ない!
えっ、通りすぎたか。もう一度、引き返して、空高くに見えるトンボの芸術作品を目印に、小径の行方を憶測すると、人ひとりが通れるほどの獣道が目に止まった。
まさか、こんな小さな道だったか?
通せんぼするように両側から張りだした雑草をなぎ倒しながら、車ごとわけ入った。車内に障害物を知らせるアラームが鳴り続ける。
悪い予感!
6週間ほどで風景が一変している。ここはまるで雑草の王国だ。
車を降りて、おそるおそる田んぼに目をやると、あたり一面びっしりと緑に包まれていた。よく見ると、その半分はイネと同じほど背丈が伸びた雑草だ。おまけに田んぼの真ん中あたりには、一本の雑草がまわりのイネたちを見下すようにグイッと高く伸びている。草というより、すでにあれは木じゃないか。前回あんなに一生懸命汗を流し、草取りしたはずなのに、自然の力は無慈悲この上ない。
茫然と畦にたたずむこと3分。突然「こっちは大丈夫ですよ」と声がした。江部編集長が手招きしている。
そこはマルチシートの上に田植えをした棚田だった。行ってみると、ほとんど雑草がない、実にきれいな田んぼになっていた。そればかりか、同じ日に植えたのに、雑草だらけの田んぼよりも、イネの丈が20~30cmは高く伸びている。こっちは期待通り順調に育っているじゃないか。
水が引いて、地面がむき出しになっているのは「中干し」して「落水」させたからだ。5週間ほど前に、土を固めてしっかりイネが根づくように水を抜いたことを、事前にスタッフから知らされていた。よく見るとマルチシートは溶けてすっかりなくなっている。田んぼを雑草から守り、役目を終えて土に還ったというわけだ。
イネの合間からイナゴやバッタが飛びだした。小さなカエルもいる。この自然の摂理こそ無農薬のおかげ。そう思うと、意気消沈した心もいくぶん回復した。明日の草取りにも、やる気が戻ってくる。
さて、本日の宿は三省(さんしょう)小学校の元校舎だ。廃校となった築60年の木造校舎を改築して、宿泊施設につくりかえたもの。その名も「三省ハウス」という。
玄関を入ると、板張りの廊下が「教室」の脇を通って奥の厨房まで、まっすぐに伸びていた。昭和30年代、私が通った小学校もこんな廊下がある木造校舎だった。旧教室に設えられたベッドは、がっしりした二段ベッド。山小屋に泊まる気分だ。
食事は越後松之山の家庭料理だという。夕食時間を待ちきれずにさっそく食堂へ。教室の壁を取りはらった広いスペースに、長いテーブルにパイプ椅子が並んでいた。厨房は音楽室だったという。その奥からかすかに人の話し声がもれてくる。ちょっとお邪魔してみよう。
泊まり客のためにキッチンで腕をふるっている女性は、この小学校の卒業生だった。半世紀が経って、かつて学んだ音楽室で、泊まり客のために料理をつくることになるとは、思ってもみなかったという。
料理は地元の食材を使ってすべて手づくり。棚田で働く家族のために、毎日、心を込めてつくってきた料理をそのまま提供するという。まさに農家のお母さんの家庭料理だ。
厨房の脇にある段ボールの中に、見慣れない大きな瓜のようなものが入っていた。持ち上げるとずっしりと重い。夕顔だそうだ。その隣にあるのは糸瓜。こちらも新潟特産の夏野菜。どちらも私は初めて目にする。いったいどんな料理になって出てくるのだろうか。ごはんはもちろん棚田でとれたコシヒカリだ。
ぼくらは夕食を待ちこがれながら、まずは新潟の地酒とビールで喉を潤した。そこへ料理がトレーにのって運ばれてきた。
あの大きな瓜、夕顔(ご当地では「ゆうごぉ」と発音)は、どんなふうに料理されているのか?
これか!
にらんでいた通り、大好物の冬瓜そっくりの半透明だ。わが人生の初物を、口に運んで噛むと、実にやわらかい感触。そのまま口の中でとろけていく感じがたまらない。いろんな料理に姿を変えたオクラ、トマト、きゅうり、玉ねぎなども地物だという。去りゆく夏の香りを追いかけるようにいただく。メインは妻有ポークで、魚沼棚田産のごはんでパクリ。あっという間に、農家の家庭料理は胃袋におさまった。満足!
料理を味わいつつ、地酒の杯も進んだころ、「雨が強くなってきましたね」と江部さん。耳を澄ますと、ザッーという雨音が聞こえてきた。広い食堂には泊まり客の静かな話し声と、厨房からときおり皿の重なる音が届くだけ。テレビの音声や車の音がしないこのゆったりした静けさに、かつての農家の夜を想う。なんというのんびりとした豊かなひとときだろう。私たちはただただ愚鈍に、その夜を古い木造校舎で過ごした。
そしてすべてが寝静まった真夜中、私は異変に気づき跳ね起きた。ジェットエンジンを噴かしたような轟音が窓ガラスを揺らす。雨だ、とてつもない大雨!
プールのように水に浸かった田んぼが目に浮かんだ。イネは無事だろうか?
――つづく。
文:藤原智美 写真:阪本勇