まる、さんかく、しかく
俳優の荒井さんと理奈子さん夫婦はおにぎりの想い出がいっぱい。|おにぎりをたずねて三千里⑩

俳優の荒井さんと理奈子さん夫婦はおにぎりの想い出がいっぱい。|おにぎりをたずねて三千里⑩

「おにぎりの本当のおいしさってなんだろう」。その答えを求めて写真家・阪本勇は旅に出る。昔のアルバイト仲間で、俳優の荒井さんと、妻の理奈子さんの新居を訪ねておにぎりの想い出を聞いた。

おにぎりには不思議な力がある。

荒井志郎さんとは、もう10年以上前に料理屋のアルバイトで一緒だった。年齢もひとつ上で、アルバイト先でも僕より少し先輩だった。
表参道にある高級な料理屋だったので、働く格好は支給された白の襟付きシャツに、下は黒のズボンに黒の革靴、腰には綺麗にアイロンがあてられた真っ白のサロンエプロンを巻く。

理奈子さんと一徳と荒井さん

制服姿が不似合いな僕に対して、男前で背も高く、体格もがっちりしている荒井さんはとても様になっていた。
役者をしていると聞いていたので、「やっぱ役者はちゃうなー」と思っていた。
僕の姿があまりにも滑稽だったのか、ある日オーナーが「阪本君だけ割烹着にしよか」と言った。冗談だと思っていたが、ある日出勤したら本当に僕用の割烹着が用意されていた。
その日から僕だけ厨房シューズに割烹着が制服になった。

三角おにぎり

荒井さんは石川県加賀市で生まれ育った。
小学校のときの学芸会の出し物で『ベロ出しチョンマ』という芝居で村長役をした。「年貢を下げてください!」と言って殺される役だったが、周りの評判がとてもよくて嬉しくなり、そのときから役者ということを意識するようになって、高校を卒業すると同時に役者を目指して上京した。

荒井さんと僕が働いてた店では、営業が終わるとオーナーとマネージャーがよくスタッフを飲みに連れて行ってくれた。毎日のようにアルバイトに入っていた荒井さんと僕は、連れて行ってもらう回数が多かったように思う。
その頃、写真のアシスタントも辞めて、自分の作品ブックを出版社に持ち込んでも相手にすらしてもらえないことが多く、することが何もなかった僕は、気がつけば週のほとんど飲みに連れて行ってもらっていたこともあった。

荒井さんは舞台に出演することが決まると、稽古を含め1ヶ月ほど休むことがあったけれど、状況的にあまり僕と変わらなかったと思う。
むしろ、「アルバイトを1ヶ月も休まなあかんなんて、役者って金銭的に大変やなぁ」と思っていたが、いま考えれば1ヶ月以上出勤できないスタッフを、いつも当然のように復帰させてあげていた店もすごいと思う。

一徳

いまでもオーナーとマネージャーにはよく飲みに連れて行ってもらっていて、先日みんなで集まったときに、荒井さんに生まれたばかりの赤ちゃんの写メールを見せてもらった。
家も買ったと聞いたので、荒井さんと奥さんの理奈子さん、息子の一徳の3人が暮らす新居に遊びに行って、荒井さんのおにぎりの想い出を聞いた。

荒井さんは小学校のとき、町のバドミントンクラブに入った。
やってみるとすぐに上達し、大人からは「お前はセンスがある」と言われた。
負けたこともなかったし、自分が一番うまいと思っていた。
始めて2ヶ月で地区の大会で優勝して県大会まで進んだ。そこでも順調に勝ち進んで準決勝まで進んだ。
その準決勝の相手が悪かった。のちにオリンピックで日本代表にまでなる人物だった。自分が一番うまいと思っていたのに、どこに打ってもレシーブされ、自分のすべてが通用しないくらいにコテンパンにやられた。初めての負けだった。
あまりにも圧倒的すぎて、「負ーけた、負けたー」と、周りにはたいして気にもしていない素振りをした。

その後、お昼の時間になり、お母さんが持たせてくれたおにぎりを食べた。
ひと口おにぎりにかぶりついた途端、お母さんがおにぎりをにぎってくれた姿を思して涙がぼろぼろ溢れてきた。
「お母さんが朝早く起きて僕のために一生懸命おにぎりにぎってくれたのに、俺はなんにもできず負けてしまった」と思うと悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。
「『千と千尋の神隠し』で、千尋がおにぎり食べながら泣くシーンあるだろ、ほんとあのままだよ」と笑い、「おにぎりには何か力があるんだろうね」と言った。

家族写真

理奈子さんのおばあちゃんがにぎる、おにぎりの秘密。

奥さんの理奈子さんとは同じ芝居に出演し、出会った。
僕も観に行った、四ツ谷怪談を舞台にした芝居でふたりは夫婦役を演じ、そこから交際に発展したというまさに芸能人的エピソード。
その後、約十年の交際期間を経て、ふたりは結婚した。

結婚のきっかけは、理奈子さんのお父さんの言葉にあった。
あるとき「理奈子ももうそろそろ子どもをつくりなさい」と言われた。
理奈子さんは、そのときはもう役者はしていなくて他の仕事に就いていた。荒井さんはずっと芝居を続けていて、当時は役者だけでは生活できずにアルバイトも並行してやっていた。
付き合いは長くなっていたけれど役者のような不安定な職業だし、認められていないと思い込んでいたので、お父さんの言葉はとても意外で嬉しかった。

その言葉を伝えると、荒井さんは「よし!お金貯めてプロポーズしよう!」と決意した。
決めた金額は、役者をしながらアルバイトの時給で貯めるには相当大変な額だったけれど、荒井さんは根性で貯めた。
その後、ふたりで沖縄旅行に行ったとき、ダイヤモンドがついたピアスをプレゼントしてプロポーズをした。
「ちーーーっちゃいダイヤなんだけど、ダイヤってけっこう高いんだよ」と、そのときの気持ちを教えてくれた。
その日から、結婚について話す機会が増え、結婚に向かっているのはわかっていたが、理奈子さんは、なんとプロポーズだとは気づいてなかった。

レストランウェディングの試食会の話を聞く機会があった。プロポーズを受けていないと試食会には参加ができないらしく、担当の人に「プロポーズはもうお済みですか?」と聞かれた。
荒井さんに伝えると「え!したよ!」と驚かれ、「あ!あのときの沖縄のがそうだったんだ!」と、初めてプロポーズに気づいた。
「プロポーズ気づかれへんって、役者としてあかんのちゃいますか!」と荒井さんに言うと、「バカ!あまりにも自然すぎたんだよ!」と返された。

おにぎり

お昼になって理奈子さんがおにぎりをにぎってくれた。実はおにぎりが得意だと言う。

子供の頃、夏休みに家族みんなで、理奈子さんのお父さんの田舎である新潟県新津市(現在は新潟市秋葉区)のおばあちゃんの家に毎年帰っていた。おばあちゃんがにぎってくれるおにぎりを持って海水浴に行くのが楽しみだった。
海で食べたおばあちゃんのおにぎりがおいしくて、「海苔も巻いていないのになんでこんなに美味しいんだろう」と思った。具は確か、タラコだったと思う。

後日また台所で、おばあちゃんがおにぎりをにぎってくれてるのを見かけ、「あのおいしいおにぎりだ!」と思っておばあちゃんがにぎる姿をそばでずっと見ていたら、おにぎりのにぎり方を教えてくれた。
何回も何回もふたりで練習して、固さや、量や、塩加減に具のバランスなど、おばあちゃんのおにぎりの秘訣を全部教えてもらった。

それまでお母さんににぎってもらうおにぎりはいつも「俵形というよりもタイヤ型」で、友人たちが持ってくる三角のおにぎりを羨ましく思っていた。
「なんでうちのおにぎりは三角じゃないの?」と聞くと、「お母さん、三角へたなの」という答えが返ってきた。
お母さんもお父さんも上手ににぎれなかった三角のおにぎりを、自分がきれいににぎれるようになってすごく嬉しかった。

おばあちゃん直伝三角おにぎり

それからは休日に家族で遠出するときは、朝早く起きて理奈子さんが家族分のおにぎりをにぎるようになった。
途中に寄る高速道路のサービスエリアで、うどんと一緒ににぎってきたおにぎりを食べる時間が大好きだった。
おばあちゃんから教わったにぎり方で、お父さんはいっぱい食べるからこれくらいの大きさ、お母さんは梅が好きじゃないからシャケと昆布、などと人によってにぎりわけもした。

一度、理奈子さんが寝坊したとき、替わりにお父さんがにぎったが、食べてみるとやっぱりおばあちゃんのおにぎりとはどこか違った。
「なんというか、同じお米使ってるのに固いというか、お米が多いというか、とにかくなにかが違った」
お姉ちゃんは朝起きるのが得意ではないし、やっぱりおにぎりは自分の担当なんだという使命感がさらに強くなった。

この日、理奈子さんににぎってもらったおにぎりは確かに絶妙で、ふわっとしているのに崩れず、しっかりとしていておいしかった。
荒井さんが「どれどれ」と腕をまくってひとつにぎってみたけれど、同じお米、同じ炊き加減なのに、荒井さんがにぎったおにぎりは、皿に置くとすぐに崩壊してしまった。
きっと完全に荒井さんの胃袋は、理奈子さんにつかまれているんだろうなと僕は思った。

荒井さんのおにぎり

「荒井さんは活躍しだしたら、絶対にサングラスをかけて金のネックレスして、東京出身みたいな顔してチャラチャラするようになるはずや!」と、昔からずっと僕は言っていて、その度に「バカ!変わらないよ!」と返されていた。
出会った頃は売れない役者と売れないカメラマンで、僕の状況はそのときと大きく変わったとは言い難いけれど、荒井さんは今や多くのドラマやCM、そして最近は声優としても活躍しだしている。

10年以上、テレビを家に置いていない僕ですら、街のいろいろな場所で偶然、荒井さんが出ている映像を見かけることがある。
少し前に生まれた我が子を抱いて、優しく話しかけている荒井さんの姿を見て、「あのときの言葉、謝らなあかんなぁ」と思った。

荒井さんと一徳
直伝!優しいにぎり方!
直伝!やさしいにぎり方!
パン
一徳はパン。もうちょっとしたらおにぎりが食べられそう。
沖縄でプレゼントしたダイアモンドのピアス。
沖縄でプレゼントしたダイアモンドのピアス。
理奈子さんのおにぎりは時間が経っても崩れない。
理奈子さんのおにぎりは時間が経っても崩れない。
散歩
近所の散歩コース。
皿まで食べようとする一徳。
皿まで食べようとする一徳。
足
やわらかい、やわらかい、やわらかい。
一徳
食べたら眠い。
おにぎり
補修追いつかず。
理奈子さん
ミルクがぶ飲み。

文・写真:阪本勇

阪本 勇

阪本 勇 (写真家)

1979年、大阪府生まれ。大阪府立箕面高等学校卒業後、インドにひとり旅。日本大学芸術学部写真学科中退。写真家の本多元に師事後、独立。2008年「塩竈写真フェスティバル フォトグラィカ賞」受賞。高校の先輩である矢井田瞳の撮影のアシスタントをした際には「箕面高校」とあだ名をつけてもらったことも。人物撮影、ドキュメンタリー撮影を中心に、写真・映像の分野で大活躍(する予定!)。