中華料理店で各駅停車の旅の疲れを癒やしたあとは、昭和の情緒が残る和歌山市内の繁華街へ。妖しげなネオンが照らす通りを歩き、向かった先はーー。
中華料理店「中華茶寮 帛龍」を21時半に出た。夜はこれから。
同級生の寒川が運転する車に乗せてもらい、紀ノ川を渡って和歌山の市街地に向かう。最近、中学の同級生の女性が店を開いたという。行かないわけにはいくまい。店の名は「ゆかん no ばあー」。バーだろな……たぶん。「ゆかん」とは彼女のあだ名だ。
和歌山市内を流れる真田堀川のほとりにはバーや居酒屋などが軒を連ねる。その一画に「ゆかん no ばあー」もあった。店は2階だ。1階の別の店の脇にある階段をちょいと上がったところ。東京の「新宿ゴールデン街」のような造りである。
チャイナドレスに身を包んだ、ゆかんこと南方ゆかりさんが出迎えてくれた。店はカウンター11席。テーブルがひとつ。カウンター席がすべて埋まっている繁盛ぶりだった。さすがは人気者の店。ゆかんは交友関係がものすごく広い。店の繁盛はそれとは無縁ではあるまい。
中学ではバリバリのヤンキーだった(笑)。こう書くと怒られるかな?30年も経てば笑い話だろう、許してもらおう。
田舎ってなんとなく男女問わず、魅力的なやつはヤンキーになる率が高い。目立ってるやつ、エネルギーがあるやつってことなんだと思う、と一応フォローしておく。実際、いまも魅力的で活動的だから、そのあたりは変わらない。
店にはゆかん以外にもふたりの女性がカウンターに入っていた。今宵はなぜ皆がチャイナドレスなのかというと、働いている女性のひとりが誕生日だからだそうだ。
あくまでバーである。スナックではなく。そういえばスナックとバーの違いってなんだろうと調べてみたら、線引きはとても曖昧だった。ざっくりというと酒のみを提供するのがバーで、スナック菓子などの軽食に、会話、カラオケなど、酒以外のものも提供するのがスナック。バーは落ち着いて酒の味を楽しむ場所で、酒の種類も多く、比較的高価なものも揃えている。スナックは客同士やママとの会話、カラオケなどを楽しむ場所といったところか。
ゆかんは昼間も働いている。
「そんなに働かんでもええやろ?こういう夜の店を営むのが好きなのかい?」と尋ねてみたら、少し間があって、「稼がなあかんねんやー」と、やわらかな和歌山弁で返ってきた。その穏やかな口調に痺れたね。ゆかんは3人の子供をもつ母親である。下の子はまだ小学生。
ハイボールを3杯ほど飲んで店を出る。確か山崎やジャックダニエル、マッカランなど比較的高級な酒でつくってもらったと思うが、値段も良心的だった。次の店に行く。
和歌山市の夜の街を歩く。向かうは「アロチ」。漢字で書くと「新内」となるが、「アロチ」の方が馴染みがある。和歌山市内で一番栄えている飲み屋街である。クラブやスナック、バーなど、若干高めの店が連なるところ。ゆかんの店から歩いて10分程度。おっさん4人で仲良く向かった。
次の店も同級生がやっている店である。「パンドラの箱」はクラブやスナックがびっしりと入った7階建てのビルの6階にある。訪れるのは6回目かな?最近は和歌山で飲んだら最後にここを訪れるのが流れとなっている。
ママが面白いからである。東京から仕事で友人が来た時も連れていった。
以前、親知らずを抜いたばかりの状態で、東京からの友人と訪ねたことがある。私は痛みが酷いのと、痛み止めや抗生物質などの薬とアルコールを飲んでいたこともあってぼうっとしてテンション低め。和歌山の友人たちも集まっていたし、悪いなあと思いつつもテンションは上がらなかった。でもここに来ればまったく問題はなかった。ママがひとりで喋って盛り上げてくれる。話も面白い。キャラも立ってるしね。
ママこと田平里香さんとは、中学と高校の同級生である。我々が通った高校は進学校だったため、卒業後、スナックのママになった同級生はおそらくいないと思う。こんなに無鉄砲な生き方をしているのは私とママぐらいだろう(笑)。
聞けば、店は来年で20周年というではないか。和歌山で一番大きい夜の繁華街、アロチの大通り。そのど真ん中にあるビルで営業して20年とは。「有名なクラブやキャバクラがある中で一番小さなお店」と本人は謙遜するが、いやいやどうして。競争著しいと思われる夜の世界で20年とはなんとも立派な話である。
パンドラの箱は「カウンター8席、8人位が座れるテーブル席がひとつの、8坪のスナック」とママはいつも笑いながら話す。
ここでさらに3人の同級生が合流して、都合7人になった。大賑わいである。同級生のひとりが珍しく政治の話を振ってきて、後半は少々熱い会となってしまった。
同じ時代を50年生きていても、東京と地方では、時代認識とか社会に対する考え方や感じ方がまったく違う。やはり和歌山の人の方がのんびりとした印象がある。まあ私が特に “がっついて”いるのかもしれないが。今回は珍しく真面目な話にもなったが、大概は、和歌山をどうやって盛り立てようとか、私の写真展を和歌山で開催しようなどとか、実現するかどうかはさておき、仲間たちと毎回同じような話を繰り返している。感謝である。
今宵もたらふく飲んで喋った。締めにラーメンでも食っていこう。いつもはアロチにある「本家 アロチ 丸高」に行くのだが、午前3時を回って、もう店は閉まっていた。
「この時間やってるとしたら、あそこちゃう?」
「県立体育館前の店」
「ああ、『味丸』か」
「あそこやってなかったら終わりやろ。もうほかないわ」
などと、みんなでワイワイやりながら提案してくれた。
さて行こかい?ん、さすがに4人帰って、3人になった。そらそうや4時前である。みんな近所に住んでるし、いつでも食べれるしな!
やっちゃんこと田中康宏と、担当編集者の星野君、私の3人で、タクシーに乗り込み向かう。5分で着いた。
「おー!ほんとにこの時間までやってる!」
感謝感激。和歌山ラーメンが食べられる。
「味丸 県体前中華そば」は初めて訪れる店である。一番シンプルな“中華そば”を頼む。
我々は昔から“中華そば”と呼んでいた。和歌山ラーメンと呼ばれるようになったのは1990年代後半のようである。ちょうどその頃、私は1年間アメリカにいたこともあってか、和歌山ラーメンがブームになっていることをまったく知らず、いつの間に?と驚いたことを覚えている。
残念ながら“早寿司”は売り切れだった。早寿司とは、鯖の押し寿司のことである。通常、テーブルの上のざるに積み重ねて置いてあり、ラーメンができ上がるまでの間、それを食べる。ひとつ100円から150円ぐらい。ゆで玉子をテーブルに置いてある店も多い。早寿司とゆで卵を、1個ずつぐらい食べたところで丁度ラーメンが出てくるのだ。和歌山県人にとって中華そば、早寿司、ゆで卵はセットなのである。
“中華そば”がきた。これよこれ。豚骨醤油のスープに、青ねぎ、ナルト、チャーシュー、メンマ。麺は黄色い縮れのないストレート細麺。豚骨の深いコクを醤油がキリッと引き締める。旨い。
和歌山の湯浅町は醤油発祥の地である。和歌山の醤油文化が、中華そばの豚骨醤油スープにつながったことは容易に想像できる。
器が小さいのも和歌山ラーメンの特徴である。大盛りも注文できるのだが、それでも少量な印象は否めない。その分、早寿司を食べて腹を満たすのである。やはり、セット!
もちろんこれまで何軒も食べているが、ここは醤油がよく効いている。
よほど旨かったのか星野君はスープまで飲み干した。
なにくそと私もすべて飲み干す。どうだ見たか。負けないぜ。
――つづく。
文・写真:井賀孝