写真家の井賀孝さんが各駅停車で里帰りします。旅の目的は故郷の和歌山での食べ歩き。しかし飛び込んできたのは、台風6号「ナーリー」が上陸し、関東に接近するというニュースでした。果たして無事に辿り着けるのでしょうか。
出発前からバタバタとしていた。別件との折り合いで、なかなか出発日が決まらない。その上、台風まで来ていた。台風6号が西日本に接近していた7月最後の週末のことである。
なにやら「青春18きっぷで、実家に帰って飯を食おう」という趣旨の企画に誘ってもらったのだ。齢49にして、青春18きっぷとは、此は如何に。
私はブラジリアン柔術黒帯にして写真家。いや、写真家にしてブラジリアン柔術黒帯。おまけに山伏修行をしている身でもある。そんな経歴ゆえか、若い頃から「テコンドー南北道場同時入門記」、地獄のコマンドスクールで「目指せ!特殊部隊」「俺のブラジル無茶修行」など数々の突撃体験型の雑誌取材をこなしてきた。
そんな私だ。スケジュールの都合上、12時間途中下車せずに和歌山まで帰ることになったが、どうということはない、はず……。キャリアを重ね、近頃はこういう仕事はとんと減っていたんだけどなあ。まあ、電車でのんびりと帰ることもなかなかないから、楽しむとしよう。
さて私の実家である。和歌山県和歌山市の園部にある。通常なら羽田空港から飛行機で関西国際空港まで飛ぶか、新幹線で新大阪へ行き、その後は在来線で和歌山駅となる。
今回は632kmの距離を青春18きっぷを使って帰省する。結構あるよー。調べてみたら所要時間は約12時間。自ら車を運転して帰っても、十分休憩をとって約10時間だから、それ以上である。普通、車より電車移動の方が早いよね?
自宅最寄りの高尾駅から始発で新宿駅に行くつもりだったが、スマートフォンのアラーム設定を間違えて、予定時刻に起きれず、担当編集者の星野君の電話で起きる。一本後の4時52分発の中央線に乗って新宿へ。
5時50分新宿駅到着。土曜日、休日の早朝ということもあってか、電車内も新宿駅も比較的空いていた。
空は曇天。東京は雨は降っていないが、これから向かう東海、近畿は雨予報。というか台風直撃の予報。そんな中わざわざ青春18きっぷを握りしめ、各駅停車で向かうのだから酔狂な話である。
新幹線ですぱっと危険地域を通過するならまだわかるが、ゆっくりと各駅に停まりながら行くのである。山では「危険地帯はなるだけ早く、無駄なく速やかに突破しろ」というのが常識である。それに大きく反する。あっ山じゃない、電車の通っている都市部での話だからいいのか。そんなわけはない!
私はなにも敢えて過酷なことをしたいわけではない。企画を面白くしようと、わざわざ台風の日を選んで、ハードルを上げたわけではない。2週間にわたる写真展が控えているため、ガチでこの日の出発しか選択肢がなかったのである。
星野君と新宿駅で合流し、青春18きっぷを受け取る。
駅員にスタンプを押してもらい、いざ出発。目指せ台風!もとい、和歌山。
品川駅までは山手線。そこから先は6時25分発の横須賀線で大船駅。この辺りまでは見慣れた光景というか、広義的には“東京”である。山が見えるわけでも、海が見えるわけでもない。まだ雨は降っていない。東海、近畿はこの時点で大雨とのこと。どこで雨雲とぶちあたるのか。はたして無事に東海地方を突破して関西に入り、和歌山までたどり着けるのか。ハラハラである。なんでこんな思いをしなきゃならないんだ(笑)。ゆっくりのんびり旅情を満喫しながら帰省するはずじゃなかったのか!
調べてみたところ、JR在来線は、風速25m/s以上で運転中止となり、風速20m/s以上で速度制限がかかるとのこと。東海道本線は海辺を走るからだろうか、強風のためよく運転見合わせとなっている。安心できないのだ。
大船で再び乗り換え。7時16分発の東海道本線で熱海駅を目指す。海の気配がしてきたが、晴天ではないため、真夏感はない。ただ乗ってくる人々の雰囲気は明らかに変わった。海沿いに暮らしている人の趣が、服装や髪型などの身なりや肌の色から、そこはかとなく出ている。明らかに都心より、サンダル履き率が高いもの。
途中で車内を移動し、向かい合わせの座席に座ることができた。ようやく落ち着いた。腹も減ってきたし、この辺りで朝食といこう。星野君がパンを買ってきてくれた。代々木上原にある「ベーカリーふじや」は、1930年創業の老舗のパン屋だという。“コンビーフコロッケパン”と“黒糖蒸しパン”をいただいた。外食が多く、舌が濃いめのジャンクな味に慣らされちゃってるから、たまにはこういう素朴な味がいいんだよね。むしゃむしゃといってしまった。
まだ降っていない。それどころかときおり晴れ間すら見える。まじかよ。いくら私が晴れ男だからといっても都合よくいき過ぎだろ。
小田原駅を過ぎた。進行方向左手がキラキラと光って見える。海だ!なんだろうこのいくつになってもテンションが上がる、海との邂逅は。
海がいずれ現れるとわかっていてもこれだ。必ず富士山が見えるとわかっていても、いざ目の当りにすると興奮するアレと似ている。
海面が太陽光を反射して輝いている。夏だ。7月27日のこの時点では、まだ梅雨は明けていないはずなのだが。
先は長い。この時点では、和歌山までの行程の3分の1も達していない。
果たして、この先に台風が待ち構えているのか?
――つづく。
文・写真:井賀孝