東京で乾麺をつくるということ。
東京23区最後の乾麺はこうしてつくられている。

東京23区最後の乾麺はこうしてつくられている。

「江戸玉川屋」の麺づくりが始まるのは朝の7時。太陽がギラつく真夏日でも窓を締め切り、高温多湿の室内で200kgを超える麺をつくる。親子三人で守り続ける伝統的な乾麺づくりに、令和を生き抜く職人の姿があった。

王子の町に愛されて80年。

東京23区で唯一残った乾麺製造所「江戸玉川屋」は、北区の王子にある。
駅前はJRや東京メトロ、都電やバスも頻繁に走っているのに、どこかゆったりした佇まいだ。バスターミナルを囲む商業ビル群を抜けると、町は昭和の匂いが残る穏やかな雰囲気だ。

豊島いなり通り商店会を歩き、通りを挟んで続くとよかわ学校通り商店会の、古めかしい看板を眺め、商店街なりに右に曲がると「江戸玉川屋」の大きな看板が見えてくる。

江戸玉川屋売場
「江戸玉川屋」には売場が併設されている。日傘をさしたご婦人、コックコートを着た渋めのおじさん、新米パパ、様々な人がふらっと立ち寄って、麺を買っていた。

売場のケースの中にはゆで麺や蒸し麺が並び、うどん、冷や麦、素麺にラーメンと自家製乾麺が各種並んでいる。「江戸玉川屋」でつくっている麺だけで200種類を超えるというから驚きだ。
「いらっしゃい!」という明るい声に、ふと顔を上げると、店の奥には巨大厨房といった感じの作業場が見える。モクモクと大きな湯気が出ている。ちょうど麺をゆでている最中だという。

外観
売場に並ぶすべての麺類は、この三階建ての建物の中でつくられている。

「おはようございます!」と笑顔で現れたのは三代目社長の関根康弘さん。手拭いにTシャツ姿というラフなスタイルだ。今まさに乾麺をつくっているという作業場を案内してくれた。
作業場の中は、大小様々な機械とうず高く積まれた小麦粉の袋でいっぱいだ。
ムッとする暑さに、じんわり汗がにじむ。状態の良い麺をつくるには高い湿度を保つ必要があるそうだ。ギラギラと太陽が差し込む真夏だろうと関係はない。
すでに康弘さんの弟である清元さんと、父親である詔さんが、看板商品の「満さくうどん」をつくっていた。

関根康弘さん
1975年生まれの関根康弘さん。社長業以外にも、麺の製造、営業、広報も担当している。
関根清元さん
常務の関根清元さんは、1977年生まれ。製造セクションを束ねる麺職人だ。

ゴウン、ゴウン、と轟音がする巨大な釜の中では、92度の湯を加えた200kgの小麦粉がミキシング中だ。これが「江戸玉川屋」が守り続けている伝統製法“湯捏ね”。
うどんづくりは、捏ねやすくて使用後の清掃やメンテナンスが簡単な水が当たり前。あえて熱湯を使うことで、生地に粘りが出て、小麦粉の旨味とつるつるした食感を生むのだという。
ミキシング中の小麦粉の状態には常に目を光らせ、小麦粉の硬さを指で確認しながら、最良の状態を見極める必要がある。
「この工程で200kg分すべての麺の仕上がりが決まるんです」と清元さんは、小麦粉を手に取りながら教えてくれた。
部分的に機械に任せることはできても、最後の見極めは職人の感覚が必要になるのだ。

大人ひとりが余裕で入れる大きさの釜で、豪快に小麦粉を湯捏ねする。
頃合いを見極めて、これまた大きなタライのようなものに湯捏ねした小麦粉が運ばれる。
少量ずつローラーの間に巻き込み、押し固める。
あっという間に小麦粉がシート状に姿を変えた。硬さを確かめながら、うすく延ばしていく。

ミキシングが終わった小麦粉は、鋼鉄のローラーで板状に整形され、4つのローラーを通るうちに、少しずつうすくなっていく。最後に櫛形の歯を通り抜けて、生麺が完成すると、その先には篠棒と呼ばれる細い竹が待ち構えていて、すだれのように吊り上げられる。美しく真っ白なすだれは、そのまま二階の工場からオートメーションで、垂直に三階の干し場へと運ばれていく。

混ぜられ、延ばされ、切り刻まれ、小麦粉にとっては20mの大冒険だ。
一定の間隔で送り出される生麺。ベルトコンベアは、三階へ垂直に続いている。

経験と感覚でつくるからこその仕上がり。

作業場ではうどん以外にも製麺機が並行して稼働していて、ラーメンや蕎麦などの麺もつくられている。どの機械にも様子を確認する清元さんの姿があり、錯覚かと思い目をこする。
ゆで麺と蒸し麺は一階へ続く筒の中に落ちて、売場の奥に見えた厨房にたどり着く。
同時に何種類もの麺をつくる手際の良さに脱帽だ。

売場の奥にある厨房。ゆで麺と蒸し麺はパック詰めして出荷される。ここにも清元さんがいた。

乾麺が運ばれた三階は干し場になっていて、サウナのような湿気と温度だ。「江戸玉川屋」の伝統的なつくり方のひとつ、熟成乾燥が行われている。
通常、麺の乾燥は6時間ほどだが、熟成乾燥は24時間とたっぷり時間をかけることで、乾燥のムラを抑えて品質を安定させるのだ。

「乾麺麺づくりには体力が必要だからね。毎朝5時から運動しているんだ」と語る会長の関根詔さん。

詔さんは麺の製造中、頻繁に干し場に来ては室温計を確認して外気の取り入れや空調の強弱を欠かさない。干し場の温度、湿度、空調のつよさ、日差しの入り方は、時間帯別に40年間ノートに記して、経験として蓄えている。
吊るされている麺に注がれる目は、あたたかくも厳しい。効率を重視する現代では見ることが少なくなった職人のそれだ。
2時間ほどすると広々とした干し場は、白いカーテンのような麺で埋めつくされた。ここで一日を過ごした麺は、再び二階に運ばれて裁断される。

乾燥を終えた麺は、ギロチンのような裁断器にまとめられる。
ザクッ!と小気味良い音と共に勢いよく刃が落とされる。ためらうと、麺の断面が欠けてしまうそうだ。
綺麗に裁断された乾麺をまとめたら、次は梱包だ。

干し場で24時間過ごした麺は、水分量が12%~13%の水分量になっていて、保存するのに理想的な状態。創業時から80年間使い続けているという裁断機で、すべての麺を手切りしていく。寸分違わない長さに揃った乾麺を秤で分けて梱包すれば「満さくうどん」が完成する。

昔ながらの文鎮の秤で計量する。アナログなものは、壊れにくいから長持ちだ。
「満さくうどん」は、絹のようなしなやかな食感と小麦の旨味がある。温めても冷やしてもコシがある。

――つづく。

店舗情報店舗情報

江戸玉川屋
  • 【住所】東京都北区豊島7-5-12
  • 【電話番号】03-3913-5705
  • 【営業時間】10:00〜17:00
  • 【定休日】日曜
  • 【アクセス】JR・東京メトロ「王子駅」、都電荒川線「王子駅前停留所」より15分

文:高野ひろし 写真:岡田孝雄

高野 ひろし

高野 ひろし

1958年、東京都生まれ。大塚駅前のペンギン雑貨専門店「ペンギン堂雑貨店」の店主。『散歩の達人』などの雑誌にルポや記事を書き、東京の街角にペンギンの人形を置いて撮影する路上ペンギン写真を25年以上撮り続けている。2013年より、高田文夫と松村邦洋とともに「いち・にの・さんぽ会」を結成し、月に一度東京の右側を散歩している。『高田文夫と松村邦洋の東京右側「笑芸」さんぽ』(講談社)にそれらの様子を綴っている。