「江戸玉川屋」の麺づくりが始まるのは朝の7時。太陽がギラつく真夏日でも窓を締め切り、高温多湿の室内で200kgを超える麺をつくる。親子三人で守り続ける伝統的な乾麺づくりに、令和を生き抜く職人の姿があった。
東京23区で唯一残った乾麺製造所「江戸玉川屋」は、北区の王子にある。
駅前はJRや東京メトロ、都電やバスも頻繁に走っているのに、どこかゆったりした佇まいだ。バスターミナルを囲む商業ビル群を抜けると、町は昭和の匂いが残る穏やかな雰囲気だ。
豊島いなり通り商店会を歩き、通りを挟んで続くとよかわ学校通り商店会の、古めかしい看板を眺め、商店街なりに右に曲がると「江戸玉川屋」の大きな看板が見えてくる。
売場のケースの中にはゆで麺や蒸し麺が並び、うどん、冷や麦、素麺にラーメンと自家製乾麺が各種並んでいる。「江戸玉川屋」でつくっている麺だけで200種類を超えるというから驚きだ。
「いらっしゃい!」という明るい声に、ふと顔を上げると、店の奥には巨大厨房といった感じの作業場が見える。モクモクと大きな湯気が出ている。ちょうど麺をゆでている最中だという。
「おはようございます!」と笑顔で現れたのは三代目社長の関根康弘さん。手拭いにTシャツ姿というラフなスタイルだ。今まさに乾麺をつくっているという作業場を案内してくれた。
作業場の中は、大小様々な機械とうず高く積まれた小麦粉の袋でいっぱいだ。
ムッとする暑さに、じんわり汗がにじむ。状態の良い麺をつくるには高い湿度を保つ必要があるそうだ。ギラギラと太陽が差し込む真夏だろうと関係はない。
すでに康弘さんの弟である清元さんと、父親である詔さんが、看板商品の「満さくうどん」をつくっていた。
ゴウン、ゴウン、と轟音がする巨大な釜の中では、92度の湯を加えた200kgの小麦粉がミキシング中だ。これが「江戸玉川屋」が守り続けている伝統製法“湯捏ね”。
うどんづくりは、捏ねやすくて使用後の清掃やメンテナンスが簡単な水が当たり前。あえて熱湯を使うことで、生地に粘りが出て、小麦粉の旨味とつるつるした食感を生むのだという。
ミキシング中の小麦粉の状態には常に目を光らせ、小麦粉の硬さを指で確認しながら、最良の状態を見極める必要がある。
「この工程で200kg分すべての麺の仕上がりが決まるんです」と清元さんは、小麦粉を手に取りながら教えてくれた。
部分的に機械に任せることはできても、最後の見極めは職人の感覚が必要になるのだ。
ミキシングが終わった小麦粉は、鋼鉄のローラーで板状に整形され、4つのローラーを通るうちに、少しずつうすくなっていく。最後に櫛形の歯を通り抜けて、生麺が完成すると、その先には篠棒と呼ばれる細い竹が待ち構えていて、すだれのように吊り上げられる。美しく真っ白なすだれは、そのまま二階の工場からオートメーションで、垂直に三階の干し場へと運ばれていく。
作業場ではうどん以外にも製麺機が並行して稼働していて、ラーメンや蕎麦などの麺もつくられている。どの機械にも様子を確認する清元さんの姿があり、錯覚かと思い目をこする。
ゆで麺と蒸し麺は一階へ続く筒の中に落ちて、売場の奥に見えた厨房にたどり着く。
同時に何種類もの麺をつくる手際の良さに脱帽だ。
乾麺が運ばれた三階は干し場になっていて、サウナのような湿気と温度だ。「江戸玉川屋」の伝統的なつくり方のひとつ、熟成乾燥が行われている。
通常、麺の乾燥は6時間ほどだが、熟成乾燥は24時間とたっぷり時間をかけることで、乾燥のムラを抑えて品質を安定させるのだ。
詔さんは麺の製造中、頻繁に干し場に来ては室温計を確認して外気の取り入れや空調の強弱を欠かさない。干し場の温度、湿度、空調のつよさ、日差しの入り方は、時間帯別に40年間ノートに記して、経験として蓄えている。
吊るされている麺に注がれる目は、あたたかくも厳しい。効率を重視する現代では見ることが少なくなった職人のそれだ。
2時間ほどすると広々とした干し場は、白いカーテンのような麺で埋めつくされた。ここで一日を過ごした麺は、再び二階に運ばれて裁断される。
干し場で24時間過ごした麺は、水分量が12%~13%の水分量になっていて、保存するのに理想的な状態。創業時から80年間使い続けているという裁断機で、すべての麺を手切りしていく。寸分違わない長さに揃った乾麺を秤で分けて梱包すれば「満さくうどん」が完成する。
――つづく。
文:高野ひろし 写真:岡田孝雄