かつて、乾麺をつくる製麺所は東京都内に点在していた。年号が昭和から平成、令和へとうつろう中で、広い干し場が必要となる製麺所は東京での居場所を失っていく。そんな中、時代の流れに逆行して、効率よりも伝統を重んじる一軒が、王子に残っていた。
昭和10年創業の「江戸玉川屋」は、令和元年の現在、東京23区で唯一の乾麺製造所だ。
北区の豊島に軒をつらねる団地や一軒家に囲まれるようにして、ひっそりと佇んでいる。地名は、王子と言ったほうがわかりやすいだろうか。
都内で唯一の路面電車“都電荒川線”が走る王子駅前から、昭和の佇まいが残る商店街を抜けた先に、小じんまりとした集合住宅のような建物がある。紫色の大きな文字で「江戸玉川屋」の屋号が掲げられていた。
「江戸玉川屋」の麺づくりは、創業から80年にわたり変わらない伝統的手法で行われているそうだ。
なぜ、効率を重視することが多い現代で、それも大都会の東京で自分たちのやり方を守り続けているのか。
東京23区内で唯一残っている乾麺づくりの様子を見せて欲しい、とお願いをしてみた。
「そうですか。では、朝の7時には仕事が始まっていると思うので、どうぞいらしてください」と、返事をいただいた。
ちょうど、この夏最後の乾麺を、8月上旬につくるそうなのだ。
ジャンルに限らず、職人の朝は早いな、と思う。
麺をつくる日、「江戸玉川屋」を訪ねると、売り場の脇にある階段から二階へと上がり、さらに外階段を上がって三階のドアの中へと案内された。途端、ムッとする熱気に包まれ、たじろいだ。外から差し込む光で部屋の中は明るいが、窓はすべて締め切られている。
壁掛けの室温計を見ると、室温33度に湿度は70%。うだるような暑さに、ものの数十秒で汗が吹き出してくる。
部屋の端には、二階からベルトコンベアが続いており、竹の棒に吊るされた生麺が次々と運びこまれてくる。どうやら、ここは麺の干し場のようだ。
流れる汗をしきりに拭きながら、麺の間を覗くと、ひとりの男性が吊るされている麺を手にとり、状態を確認していた。
「これぐらいの暑さはまだ大したことないですよ。季節や麺の状態によっては、40度近くに室温を上げることもあるからね」と言いながら、ニッコリ笑った。
朝の光を浴びて白く浮き立つカーテンのような麺が、天井で緩やかに回るファンの風で揺れている。学校の教室くらいの広さの干し場いっぱいに下がっている麺は、24時間の乾燥の後「江戸玉川屋」の看板商品「満さくうどん」になる。
原料である小麦粉を、92度の熱湯で捏ね、通常の乾麺の4倍の時間をかけてじっくり乾燥させる。効率よりもひと手間を大切にした「満さくうどん」は、つるつるした食感ともちっとした歯ごたえの逸品。口の裏に吸い付くようなしなやかなコシが特徴だ。伝統的な製法で高い品質の証である東京都地域特産品にも選ばれた乾麺を、関根詔会長と、息子の康弘社長と清元常務の兄弟が中心となってつくり続けている。
うどんのほかにも冷や麦、素麺などの乾麺からラーメンや蕎麦などの生麺、そしてゆで麺に蒸し麺まで、バラエティ豊かな麺類が、すべてこの建物の中でつくられている。部分的に機械化されたとはいえ、時季やその日の天候を考え、常に粉と麺の状態をチェックし、随所に手作業が欠かせない麺づくりは、長年の経験と技術がなければ決して成り立たない。「江戸玉川屋」の麺は、宮中祭祀のひとつ“新嘗祭”でも使われるている。長年、宮内庁御用達を務める麺屋が、王子の町中にあろうとは。
都心ならではの麺づくりの様子と、時代の流れに逆行しながらも多くの人に愛され続けている伝統の麺づくりをさらに覗いてみよう。
――つづく。
文:高野ひろし 写真:岡田孝雄