数多のワイナリーに囲まれ、勝沼のぶどう畑を見渡せる高台に建つ「ビストロ・ミル・プランタン」。「銀座レカン」の元チーフソムリエが、勝沼に移住して開いた一軒家のビストロである。山梨という土地でビストロを開いたからには、どうしてもやらなければならいことがあった。
ワイン業界でその名を轟かせ、名ソムリエとして活躍した五味𠀋美さんのキャリアの出発点は、意外にも料理人修行だった。
高校を卒業すると、京都の専門学校でフランス料理を学ぶ傍ら、京料理旅館で住み込みのアルバイトを始めるようになる。文字通り、寝ても覚めても料理のことばかり考える日々だった。
料理人志望だったが、アルバイト先での最初の仕事はサービス。どうしても調理場に立ちたかった五味さんは、誰よりも早く出勤して仕込みを手伝うようになる。
「人の上に立ちたければ人の倍働きなさい」という師匠の教えに、素直に従っただけだと、笑う。
その後、キャリアを経ていくうちに、自分は人と話すことが好きで、サービスの仕事が好きなのかもしれないと思い始める。
1991年から「銀座レカン」で働き出したことをきっかけに、本格的にソムリエの道を歩き始めるようになった。
2010年、「ビストロ・ミル・プランタン」がオープンする。料理人を目指して修行した日々の経験が、時を経て役立つ日がきた。
当初、五味さんは自分でメニューを考え、食材集めを始めたのだ。せっかく農産物が豊かな山梨でビストロを開いたのだから、地の食材を使いたい。問屋さんに頼んでまとめて送ってもらうのではなく、自分で足を運んで食材を選びたい。そんな思いで張り切って八百屋に出かけたが、いきなり壁にぶつかった。軒先に並ぶのは、県外の食材ばかりだったのだ。
「どうしたら山梨のおいしい食材が手に入るだろうと考えて、まず相談したのが日本政策金融公庫の農林水産課。そこから自分で問い合わせて、山梨産の野菜や果物を探していきました」
山梨はぶどうや桃の名産地だけあって、土壌や気候がよく、どの食材もおいしい。魅力を知り始めると、つい人に伝えたくなるのがソムリエの性(さが)だ。五味さんは、Facebookや店のブログなどで、野菜の山地や生産者の話、味わいなどを細かく書いて発信していくようになる。すると、東京で飲食店を営む旧友など、かつて銀座で働いていた頃に知り合った日本全国の知り合いから食材についての問い合わせがくるようになった。
「あるとき『南アルプスのベビーリーフがおいしい!』とFacebookに投稿したんです。それを見た東京のある有名店のシェフが『同じものを仕入れるようになった』と連絡をくれました」
五味さんが次に目をつけたのが、傷がついたり、規格外だったりして、県外に流通しない野菜や果物だった。味はまったく同じなのに、見た目が基準に達していないというだけで影に追いやられてしまうのは、あまりにも、もったいない。五味さんが考えたのは、ジャムやソース、シャーベットなどに活用することだった。
そして、最近では、いよいよ自分で野菜や果物を育てるようにもなった。
「メインや前菜など、基本的にはシェフに料理を任せていますが、なかには私がつくっているものもあるんです。自分で育てた木苺は、よーく熟させてからコンポートピューレにして、シャーベットにしました」
問屋を通さず、自分で電話をかけたり、足を運んだりして食材を探していくうちに、五味さんは自然と生産者と親しくなっていった。
「人間て、いろんな人との繋がりの中で経験を積んでいくもの。この店も、近隣のワイナリーや県内の農産物の生産者さんたちとの関わりの中で、どんどん成長してきました」と、五味さんは振り返る。
もちろん、生産者以外の人たちとの関わりも大切にした。
「東京から移住してきた新参者だったので、地域の人々に認めてもらうまで小まめに挨拶に回りました。地域全体に溶け込むために、ワイナリーだけではなく、地元のタクシー会社や市役所に2ヶ月に1回は足を運び、交流する時間をつくったんです。最初はみんな素っ気なかったけれど、次第に優しい態度に変わっていきましたね。多分、山梨という土地には、こちらが本気で懐に飛び込んでいって、信用できる人間だと認めてもらえれば、それからは家族のように優しくしてくれる文化があると思います」
――明日につづく。
文:吉田彩乃 写真:遠藤素子