山の音
歩いて考える、歩きながら想い出す、歩くから気づく。

歩いて考える、歩きながら想い出す、歩くから気づく。

この国に電車が走るようになって150年弱。そう考えると、技術の進歩は恐ろしいよね。それまでの移動手段は、人力。担がれたりすることもあっただろうけど、基本は自分の足で前へと進んでいたはず。幕末、江戸と京都を行ったり来たりしていた坂本龍馬だって、せっせと東海道を歩いたんだもんね。昔に想いを馳せる。頼りになるのは、己の脚力のみ。いいな。

カツ丼とかをがっつり食べてしまうと歩けなくなるような気がして

「心眼」という古典落語の演目があって、いまそれに関係した写真のプロジェクトを進めている。
時は明治の中頃、梅喜(ばいき)という目の見えない流しの按摩が主人公で、浅草は馬道の自宅から仕事を求めて横浜に出向くのだが不景気で仕事もなく、落ちこんで横浜から浅草まで徒歩で帰ってくるところから物語は始まる。
昭和の名人である桂文楽さんの口演がYouTubeに上がっているので気になる方は、ぜひチェックしてみてください。めちゃ面白い噺です。

橋

その「心眼」についてリサーチする中で、横浜から浅草まで歩いて帰るっていうのは、いったいどのくらい大変なことなのかしらと思い、実際に試してみようと以前から考えていた。

本格的な夏がやってきてしまうとかなり厳しそうなので、タイミングを見計らっていたのだが、サッカー日本代表がチリ代表に残念な負け方をした6月18日の朝、試合を見終わった後に思い立って自宅から電車で横浜に向かった。

天気は晴で東京の最高気温予想は28度、空気は乾燥していて気持ちいい。ニューバランスのスニーカーにモンベルの厚手の靴下を履いて、夏登山用の長ズボン、ユニクロのエアリズムのタンクトップ、ユナイテッドアローズの紺の薄い生地の半袖シャツに、タオルを首に巻いて帽子、それにリュックを背負う、という出立ち。

空

11時32分に東海道線横浜駅に到着して東口からスタート。8時前に自宅で朝食は摂っていたので、普通にお腹は減ってきていて昼食を食べてから出発しようかとも思ったが、カツ丼とかをがっつり食べてしまうと歩けなくなるような気がして、地下街を抜け巨大な百貨店の前を通り旧東海道に沿う国道15号に向かい、ファミリーマート横浜栄町店にてKAGOME 野菜生活100 Smoothie豆乳バナナMix、ちりめん山椒いなり寿司、そして水を購入して食べながら歩き始める。

ちなみに横浜から浅草までの距離ですが、地図で調べてみると34kmぐらい。横浜から川崎、川崎から品川、品川から浅草、それぞれで3分の1ずつくらいの感じである。

街並み

国道15号はクルマやトラックがビュンビュン行き交う、まあ21世紀の日本の普通の郊外の国道で、特段素敵な景色が見られるということはないわけだが、長時間歩くこと自体がなかなかに新鮮である。
日射しが少しキツく感じるけれど、首の後をタオルでしっかりガードしているので問題なし。道沿いにある旧東海道の名跡、歴史を解説する看板や、はっとする景色などがあれば立ち止まって写真を撮る余裕もある。箱根駅伝鶴見中継所近くのローソンでポカリスエット補給。

アジサイ

快調に歩き続けて、あっという間に多摩川が近づいてくる。川崎に入り、左手の南町の遊興街を追い越しながら、20代半ばに初めて南町を訪れてお姉さんに優しくしてもらったことを思い出した。話が盛り上がり、確か自分が最後の客で店が終わった後に待ち合わせして、一緒に焼肉を食べて、カラオケにも行って、彼女は「オリビアを聴きながら」を歌っていたっけな。ごめんなさい、姉さん!お名前忘れてしまいました。でも、とても楽しい夜でした。

歩道ブロック

バナナを咀嚼するのがちょっと面倒にも感じる

最初の休憩をどこでとろうかと考えているうちに多摩川に差し掛かり、中洲の緑が眩しく光る向こう側に京浜急行が見える。橋を渡りきれば、そこは東京だ。
14時15分、渡りきった六郷に2階がフィットネスクラブになっているファミリーマートがあって、そこでバナナを買って初めて座って休憩。やたらプロテインをたくさん売っていて、ドクターベックマンというドイツ製のシミとり携帯ペンなんかも置いてある新しいコンビニ。当たり前だけど梅喜さんの時代にはコンビニはなく、お金もないわけだから、喉が渇いたら誰かを頼って水をわけてもらったりしたのかなあ。目も見えないんだしね。

井戸

さて、座って休憩してみるとやはり10km歩いただけの疲れを下半身にじんわり感じ、日焼けのせいか顔もパリパリ張っている。バナナを咀嚼するのがちょっと面倒にも感じる。ホットコーヒーも買ってマルボロを1本吸ってみたけれど両方ともおいしくない。
15分ほど休んで再び出発。正直、歩くこと自体にやや飽きてくる。さっき川崎で思い出した「オリビアを聴きながら」に触発されたのか、自然と自分のカラオケ・レパートリーの曲を口ずさんでいる。「危険なふたり」「素晴らしい日々」「恋の十字路」などなど。今度、カラオケいったら長谷川きよしの「別れのサンバ」にも挑戦してみようかな。

風景

――明日につづく。

文・写真:大森克己

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大森 克己(写真家)

1963年、兵庫県神戸市生まれ。1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。近年は個展「sounds and things」(MEM/2014)、「when the memory leaves you」(MEM/2015)。「山の音」(テラススクエア/2018)を開催。東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(2013)、チューリッヒのMuseum Rietberg『GARDENS OF THE WORLD 』(2016)などのグループ展に参加。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や『BRUTUS』『SWITCH』などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。