年を重ねると、嬉しくて胸が張り裂けそう、なんてことはそうそうない。喜怒哀楽の揺れ幅が小さくなっているんだとは思うけれど、ときに怒だけが爆発したりするからたちが悪い。そもそも、大人になるってことは大人しくなることなんじゃないか。いやいや、そうでもないぞ。感情を突き動かすような衝動や行動に縁が遠くなっているだけで、おっさんだって激情に駆られるんだ。
六郷から品川にかけては、思い出そうとしてもあまり景色の記憶がない。大森海岸駅を越えるあたりで、ぼんやり自分の名字と同じなんだよな、大森。
そういえば大森貝塚っていうのも近くにあるはず、でも今日は無理、なんてどうでもいいことを思ったりして。
で、その大森あたりから左足裏、親指と人差し指の下にマメがふくらんでくるのを感じ、かばって歩いているうちに姿勢が変になってしまったのか右足の付け根から腰のあたりにも違和感が出てくる。そのうちに靴の中のいろんな所が痛くなってきて、ただでさえ猫背な姿勢の背中がどんどん曲がってきて、下を向いてしまう。いかんいかん、と思い直して背筋を伸ばし、あえて歩幅を縮めて歩数を増やす、それを繰り返しているうちになんとか品川駅前を通過したのが16時40分。
改めて実感するのだが、いまの東京で道沿いに座って気持ちよく休める場所なんてまったくない。公園のベンチにも仕切りがあってゴロんと横になったり出来ない。道に直接座り込んでもいいのだが、そうすると何となく再出発する気力が養われないようにも思える。別にコンビニや喫茶店が大好きなわけではないのだが、しょうがないのでコンビニで森永インゼリー・エネルギー・マスカット味をジュるっと飲み込み、喫茶室ルノアール品川高輪口店に入ってアイスコーヒーを飲んで目を閉じる。10分くらいはウトウト居眠りしていたかもしれない。
トイレを済ませて浅草に向け、ラスト3分の1、12kmほどを歩き出したのは17時15分。いままでは郊外の街道という風情だった国道15号が、品川を越えると雰囲気は一変する。オフィスビルが立ち並び、帰宅する勤めの人たちが行き交うので歩きにくいことこの上ない。
足の裏だけでなく、足首や甲も猛烈に痛くなってくる。それと共に新しい気付きもあって、いままで歩いて来た道は本当に平坦で川を渡る橋に若干の傾斜があるくらいで、坂というものがない。つまり歩くのにほとんど同じ筋肉を使っていたのだな。それに気付いたのは交差点の歩道橋を昇り降りするときで、昇る前は、痛い足でああ大変だ、と思っていたのが、いざ昇り始めると予想に反して気持ちいいのである。そして交差点で点滅する青信号のときに立ち止まらずに走ってみると、それもなかなかに新鮮な気持ちになるのだ。
平坦な道を歩くのと、階段を昇り降りするのと、走るのと、それぞれに使う筋肉が違うのですね。そのことに気付いて以降、足の痛みに耐えきれなくなると、ちょっと走ってみたりして頑張る。自分は頑張るのは大嫌いだが、久しぶりになんだか頑張っているような気がする。
この辺りから、独り言が増えていく。目についた看板に書いてある文字や店の名前に、ちょっとメロディーを付けて意味なく歌う。すれ違う人の顔や服装についてブツブツ感想を言う。ここにはとても書けないような品のない下ネタも連呼する。相当に変なヤツである。
自分探しの旅、という言い回しがあるじゃないですか?ボクにとって自分探しなんて、まったくリアリティのない言葉だったけれど、足が痛くなるまでヘトヘトに歩き続けて見えてくる自分っていうのは、ひょっとしたらあるのかもしれないですね。変な自分だが、そこに嘘はない。
新橋駅の高架をくぐる辺りで西日のあたるビル街を行く人たちを見て、久しぶりにいい景色だな、と思う。東京が素晴らしい街のように一瞬思え、そして相変わらず足は痛い。
新橋から昭和通りに入り歌舞伎座を右に越え、あるいて歩いて、ちょっと走ってあるいて、19時13分、カフェ ベローチェ 日本橋一丁目店にて最後の休憩。あんまりゆっくり座っていると、立ち上がれなくなるような気がしてすぐに出発。
夕焼けの空が紫から黒く変化していく。江戸通りに入って浅草橋を越えたあたりで、身体の芯から何だか喜びが込み上げてくる。駒形どぜうの前を通るときには、心の中でガッツポーズが炸裂して、おい、浅草だよ。ここは浅草だよ!と笑いながら独り言を言っている。
吾妻橋の交差点を渡る自分がいったいどんな顔をしていたのか、もし防犯カメラにでも記録が残っているのなら見てみたい。
「心眼」の主人公である梅喜さんが住んでいた馬道の交差点に到着したのが20時22分。すっかり日の暮れた令和元年初夏の観音裏。もう、ほんとうに、一歩も歩きたくないです。
――7月25日につづく。
文・写真:大森克己