全身全霊を使って作品を生み出そうとする。まるで、祭りのときのような興奮と緊張と疾走感と焦燥感で突き進む。遂に完成のときを迎えた瞬間、これまで傍にあった作品はつくり手の手を離れ、新たな道を歩き始める。
写真集『心眼 柳家権太楼』には撮影時に録音した『心眼』口演の書き起こし、九龍ジョーさんにお願いしたエッセイ、権太楼師匠のインタヴュー、ボクのあとがき、そしてプロフィールと『心眼』の解説という文章に加えて、そのすべての英訳を掲載するのである。
ここ数日、その11ページに渡ってレイアウトされている文章をずっとずっと繰り返し読んでいる。最初の数回は読むたびに誤植を発見し、字間のバランスがいまひとつな箇所を発見する。読む回数が増えれば、もちろんハッキリと間違いである箇所を発見することは減ってくる。そしてその先に無間地獄のような、間違いない!しかし、ひょっとして?という不安な気持ちとの戦いが待っている。
客観的になるためにさまざまな状態で読む。PCで読む。スマホで電車で読む。紙に出力して事務所で読む。素面で読む。酒を飲んで読む。声に出して読む。不思議なのはリラックスしているからか、ほろ酔い加減ぐらいのときに意外な発見があったりもする。おっと、冠詞が抜けている!友人にも読んでもらう。ここはゴシック体で大丈夫なんだっけ?落語を知らない人に読んでもらう。ああ、もうすぐゴールだ。〆切だ。大丈夫か。大丈夫に違いない。いやいや、もう一度読んでみよう。
いや、本当に本をつくるって大変なことなんだなあ、と改めて震えている。一緒につくっている編集者やデザイナーとの関係もめちゃ緊張感がある。良い音楽が確実にここで響いているという喜びと共に、解散直前のバンドのようなギクシャクもある。「Get Back !」とシャウトしているのは自分なのか、あるいは誰かがボクに語りかけているのか?孤独であり、連帯でもある。そんなドキドキも、あと3日でいったん終了である。
あ、ヤバい!p106右の列、いちばん上の段落中「進歩ともに」→「進歩とともに」でお願いします。汗。
そしてこの写真集はボクにとって初めてのデジタルによる作品でもある。2011年に発表した写真集『すべては初めて起こる』までは、すべてフィルムで撮影して、プリントをつくって入稿していた。今回はデータでの入稿である。もちろん依頼された雑誌や広告などの仕事では何度も経験しているデータによる入稿ではあるのだが、自分の作品集でのデジタルは初めてである。童貞である。TIFFである。350dpiである。PCのキーボードをクリックするだけでデータがアップロードされ、やりとりされる。
ボクが写真家としてキャリアをスタートした平成初期から考えると魔法のような話である。3月20日に平凡社という平凡な名前の出版社から出る、あまり平凡ではないかもしれない写真集。現在、分娩中です。
――3月25日につづく。
文・写真:大森克己