割烹の楽しみは、なんといっても目の前で繰り広げられる料理のあれこれ。シャクシャクという鱧の骨切り音を聞いたり、ピチピチと音を立てながらクリクリ動く揚げ油を眺めたり。「天むす 喜多」のような小さな店では、そんな光景がすぐそこ。ライブ感満点の時間を過ごせるのだ。
1回目でもお伝えしたが、「天むす 喜多」は京都でもっとも小さな割烹のひとつ。わずか4席のカウンターに客が座ると、その後ろは人がひとり通れる程度の空間しかない。ゆったりとして贅沢感を味わえる店が増える中、逆をいく店なのだ。
その分、料理に向き合う料理人の姿やそのパフォーマンスをつぶさに見られる。4席だから、たまたま隣り合わせた客同士が、店主の北聡仁さんを介して自然と会話を始めることもある。プライベート感たっぷりで、なんだか家に料理人がやって来たような、妙に贅沢な気分を味わえるのだ。
昼は天むす店、夜は割烹というスタイルも面白い。ここの天むすは、天むすというよりは、見た目は天ぷら鮨で、食べてみるとミニミニ天丼といった趣き。
天ぷらにもごはんにも、甘辛い天つゆが染みて油をまとった衣とよく合う。具材は海老だけではなく、鮭や鱈、季節の食材が登場する。海苔で巻いてあるので食べよくて、パクっといくといろんな味が膨らんでいく。やっぱりごはんっていいなあ~、天ぷら好きだなあ~。
夏前から京都の料理屋の品書きに軒並み登場する鱧は、「天むす 喜多」でもさまざまな料理で供される。
一説では、鱧は梅雨の雨水を吸って肥えるとも、夏の産卵の前に肥えるともいわれている。7月も半ばになると、ほどよく脂がのって美味しくなるのだ。
「天むす 喜多」で何より嬉しいのは、鱧を注文すると、骨切りから調理を見られること。美しく折りたたんだ長い鱧を冷蔵庫から取り出し、清潔なまな板の上で骨切りする。シャッ、シャッ、シャッ、シャッと小気味いいリズムを刻みながら鱧の身に等間隔の線がひかれていく。
料理人にとっては当たり前のことなのかもしれないが、皿と料理のバランス、付け合わせやあしらいなどのセレクトが大切。料理人の技量が顕れる。
「天むす 喜多」では、年中、食べることができる料理でも、季節の野菜を添えてその時季ならではの風味を満喫できる。そんな北さんのシンプルだけれど、手を抜かないセンスが私は好きだ。「あくまでも丁寧に」を自分に課しているような、職人ならではのストイックさがある。
また、酒呑みにとって、いい分量で鉢に盛られる肴も幸せをもたらしてくれるものである。それをちょこちょこつまみながら酒を口に運ぶ時間は至福の時なのだ。その辺の北さんの采配が、私にはちょうどいい。「料理人なら誰でもやっている当たり前のことです」と北さんは言うけれど。
そう、私はこの店で、海老クリームコロッケを注文したときにいちばん驚いた。
目の前でベシャメルソースと生の海老を合わせる。思わず「えっ!そこから?」とツッコんでしまった。いや、ありがたいけれど、そこまでするのは大変でしょう、と思う。コロッケをつくって冷凍しておけば、日持ちもするしすぐに揚げられる。でも、彼はそんなことはしたくないのだと言う。「たいした手間じゃないですから」と。
「ごはんは銅の釜で炊くのがやっぱり美味しい。特に天むすは冷めても美味しくなくちゃいけないから、ごはんが命です。この釜が威力を発揮してくれます」と、北さんは話す。
店は簡素でもいいが、道具は一流のものをという職人気質。一見、愛想がなさそうにも見えるが、話すと温和で優しい。通うほどに、そんな料理人との付き合いが楽しくなる。
「天むす 喜多」は特別な記念日ではなく、仕事帰りやちょっと心を癒したい日に立ち寄りたい店なのだ。
文:中井シノブ 写真:伊藤信