京都で飲みたい
もしかすると京都にありそうでなかった割烹かもしれない。

もしかすると京都にありそうでなかった割烹かもしれない。

割烹の楽しみは、なんといっても目の前で繰り広げられる料理のあれこれ。シャクシャクという鱧の骨切り音を聞いたり、ピチピチと音を立てながらクリクリ動く揚げ油を眺めたり。「天むす 喜多」のような小さな店では、そんな光景がすぐそこ。ライブ感満点の時間を過ごせるのだ。

すべての距離感が近いということは、新たな出逢いや発見やサプライズがある。

1回目でもお伝えしたが、「天むす 喜多」は京都でもっとも小さな割烹のひとつ。わずか4席のカウンターに客が座ると、その後ろは人がひとり通れる程度の空間しかない。ゆったりとして贅沢感を味わえる店が増える中、逆をいく店なのだ。
その分、料理に向き合う料理人の姿やそのパフォーマンスをつぶさに見られる。4席だから、たまたま隣り合わせた客同士が、店主の北聡仁さんを介して自然と会話を始めることもある。プライベート感たっぷりで、なんだか家に料理人がやって来たような、妙に贅沢な気分を味わえるのだ。

4席のカウンター席に座り、見知らぬ人と隣り合わせ、ふとしたことから会話が始まると、袖振り合うも多生の縁という言葉を思い出す。
4席のカウンター席に座り、見知らぬ人と隣り合わせ、ふとしたことから会話が始まると、袖振り合うも多生の縁という言葉を思い出す。

昼は天むす店、夜は割烹というスタイルも面白い。ここの天むすは、天むすというよりは、見た目は天ぷら鮨で、食べてみるとミニミニ天丼といった趣き。
天ぷらにもごはんにも、甘辛い天つゆが染みて油をまとった衣とよく合う。具材は海老だけではなく、鮭や鱈、季節の食材が登場する。海苔で巻いてあるので食べよくて、パクっといくといろんな味が膨らんでいく。やっぱりごはんっていいなあ~、天ぷら好きだなあ~。

天むすは、昼のテイクアウト専用かと思いがちだけれど、昼も夜も、店内で天むすを楽しむこともできる。カウンター席で食べる天むすも一興だ。
天むすは、昼のテイクアウト専用かと思いがちだけれど、昼も夜も、店内で楽しむこともできる。カウンター席で食べる天むすも一興だ。

夏前から京都の料理屋の品書きに軒並み登場する鱧は、「天むす 喜多」でもさまざまな料理で供される。
一説では、鱧は梅雨の雨水を吸って肥えるとも、夏の産卵の前に肥えるともいわれている。7月も半ばになると、ほどよく脂がのって美味しくなるのだ。
「天むす 喜多」で何より嬉しいのは、鱧を注文すると、骨切りから調理を見られること。美しく折りたたんだ長い鱧を冷蔵庫から取り出し、清潔なまな板の上で骨切りする。シャッ、シャッ、シャッ、シャッと小気味いいリズムを刻みながら鱧の身に等間隔の線がひかれていく。

焼き鱧。0,000円。京都の夏が来たことを「天むす 喜多」のカウンターで鱧が教えてくれた。
京都に夏が来たことを「天むす 喜多」のカウンターで鱧が教えてくれた。
鱧炭焼き
鱧炭焼きは、目の前の食べ頃になるまで炙ってくれる。3切れ1,200円。
食べよい大きさに切ってお皿に盛られた鱧の姿がはんなりと美しい。
皮目だけを炙った焼き霜づくり。1,600円。食べよい大きさに切ってお皿に盛られた鱧の姿がはんなりと美しい。

当たり前のことを当たり前にやることを目の当たりにする心地良さ。

料理人にとっては当たり前のことなのかもしれないが、皿と料理のバランス、付け合わせやあしらいなどのセレクトが大切。料理人の技量が顕れる。
「天むす 喜多」では、年中、食べることができる料理でも、季節の野菜を添えてその時季ならではの風味を満喫できる。そんな北さんのシンプルだけれど、手を抜かないセンスが私は好きだ。「あくまでも丁寧に」を自分に課しているような、職人ならではのストイックさがある。
また、酒呑みにとって、いい分量で鉢に盛られる肴も幸せをもたらしてくれるものである。それをちょこちょこつまみながら酒を口に運ぶ時間は至福の時なのだ。その辺の北さんの采配が、私にはちょうどいい。「料理人なら誰でもやっている当たり前のことです」と北さんは言うけれど。

春の訪れを感じ始めた頃に、店で出された鯛の骨蒸し。2,000円。筍、菜の花が添えられて、春近しを感じて、嬉しくなったことを憶えている。
春の訪れを感じ始めた頃に、店で出された鯛の骨蒸し。2,000円。筍、菜の花が添えられて、春近しを感じて、嬉しくなったことを憶えている。
素材の味を残しながらも良い塩梅に炊かれた飯蛸。1,000円。木の芽を少し添えたり、添えなかったり。自分の加減で楽しむなら、やっぱりひとり呑みだろうか……。
素材の味を残しながらも良い塩梅に炊かれた飯蛸。1,000円。木の芽を少し添えたり、添えなかったり。自分の加減で楽しむなら、やっぱりひとり呑みだろうか……。

そう、私はこの店で、海老クリームコロッケを注文したときにいちばん驚いた。
目の前でベシャメルソースと生の海老を合わせる。思わず「えっ!そこから?」とツッコんでしまった。いや、ありがたいけれど、そこまでするのは大変でしょう、と思う。コロッケをつくって冷凍しておけば、日持ちもするしすぐに揚げられる。でも、彼はそんなことはしたくないのだと言う。「たいした手間じゃないですから」と。

コロッケが油の中で揺れている姿をカウンター越しに眺めていると、「今日も、いい酒が飲めてよかった」という想いが湧いてくる。
コロッケが油の中で揺れている姿をカウンター越しに眺めていると、「今日も、いい酒が飲めてよかった」という想いが湧いてくる。
姿形を見ただけど、きっとこの釜で炊かれたごはんは美味しいんだろうなと思うから不思議。実際、美味しいんだけれど。
姿形を見ただけど、きっとこの釜で炊かれたごはんは美味しいんだろうなと思うから不思議。実際、美味しいんだけれど。

「ごはんは銅の釜で炊くのがやっぱり美味しい。特に天むすは冷めても美味しくなくちゃいけないから、ごはんが命です。この釜が威力を発揮してくれます」と、北さんは話す。
店は簡素でもいいが、道具は一流のものをという職人気質。一見、愛想がなさそうにも見えるが、話すと温和で優しい。通うほどに、そんな料理人との付き合いが楽しくなる。
「天むす 喜多」は特別な記念日ではなく、仕事帰りやちょっと心を癒したい日に立ち寄りたい店なのだ。

黙々と料理をしている印象が強いけれど、聞けば些細なことでも丁寧に答えてくれる。料理はもちろん、北さんの人柄に惹かれて通う客も少なくない。
黙々と料理をしている印象が強いけれど、聞けば些細なことでも丁寧に答えてくれる。料理はもちろん、北さんの人柄に惹かれて通う客も少なくない。
近所の小学校の生徒さんが見学に来て、書いてくれた「天むす 喜多」の紹介。入口すぐの壁に大切そうに貼ってあった。
近所の小学校の生徒さんが見学に来て、書いてくれた「天むす 喜多」の紹介。入口すぐの壁に大切そうに貼ってあった。

店舗情報店舗情報

天むす 喜多
  • 【住所】京都府京都市下京区天神前町340
  • 【電話番号】075‐365‐3636
  • 【営業時間】10:00~14:00、16:00~21:00
  • 【定休日】火曜
  • 【アクセス】京都市営地下鉄「五条駅」より5分

文:中井シノブ 写真:伊藤信

中井 シノブ

中井 シノブ (編集者・ライター)

京都在住。情報雑誌の編集長を経てフリーの編集、ライターとして活動する。京都の飲食店取材は1万軒以上。趣味は外酒、外飯。著書に『京の一生もん』(紫紅社)、『京都女子酒場』(青幻社)、『奇跡のレシピ』(KADOKAWA)共著などがある。