米をつくるということ。
気がつけばランチタイム|米をつくるということ⑤

気がつけばランチタイム|米をつくるということ⑤

初めての田植え。絶対に何かあるよなと思っていたけど、案の定、ありました。どうするどうする君ならどうすると、問いかけられている気がするけれど、2時間近い田植えで体は思うように動かなくなっていて、スマホで言えば、電池切れ状態。待ちに待った昼飯で、午後に向けての活力を漲らせるはずだったのだが……。

忘れられたビッグ苗。

田んぼに広げたシートの上に緑色の塊が置かれている。平らな水田の上の奇妙な出っ張り。5cm四方ほどもある。苗の束なのに、塊になるとその異物感がすごい。腰に下げた籠から取り出してシートの上に置いたまま、誰かが忘れていったのだろう。

滞りなく苗を植えたと思っていたら、束になってどーんと鎮座していた。突然変異でもなんでもなく、ただただ置き忘れただけ。前回、藤原智美さんが愕然とした原因は、これ。
滞りなく苗を植えたと思っていたら、束になってどーんと鎮座していた。突然変異でもなんでもなく、ただただ置き忘れただけ。前回、藤原智美さんが愕然とした原因は、これ。

「あれはまずいよね」と、参加者のひとりがいった。
かといって、おいそれと取りに行ける場所ではない。その苗の塊の周りは、すでに植え付けが終わっていて、長靴でヅカヅカと入っていくと、たくさんの苗をダメにするだろう。
苗の中にはシートに支えられて水に浮いているようなものもありそうだし、それにせっかく敷いたシートが破れてはもともこもない。

ぼくはあのまま放置すると、どんなイネに育つのか想像した。案外、そこだけ茎がたくさん密生した、太いイネになるのかもしれない。
誰かがスタッフの竹中さんに報告した。すると竹中さんは、顔を曇らせて「あれは病害虫のもとになりかねないので、あとで取り除きます」と言った。
まさか、そんなに悪いことだったとは、驚いた。

病害虫に蝕まれたら、田んぼで気ままに(かどうかはわからないけれど)暮らす蛙だって、困るはずだ。
病害虫に蝕まれたら、田んぼで気ままに(かどうかはわからないけれど)暮らす蛙だって、困るはずだ。

「いや、ぼくが取ってきます」と言いたいところだったが、言葉をのみ込んだ。そろそろ太股にこわばりが出てきていた。途中で転倒でもしたら、せっかく植えた苗を何本も台なしにするだろう。
それにしても、田んぼに置き忘れた苗の束が、病害虫の発生源になるかもしれないとは。いったいどういうことか?

ずっと腰を屈めて、自由に動き回れない泥の中で田植えをしていると、足にくる、腰にくる。畦に上がるのだって、実は大仕事。
ずっと腰を屈めて、自由に動き回れない泥の中で田植えをしていると、足にくる、腰にくる。畦に上がるのだって、実は大仕事。

これは後から知ったことだが、少し説明します。
苗を2、3本の束にして、それを前後左右30cm間隔で植えるというのは、かなり厳密な理由があることだった。一束の苗が多すぎると、太陽の光が茎の内部まで行き渡らない。そうすると「分げつ」という枝分かれが起こらない。イネというのはこの分げつをくり返して、大きく育ち、たくさんのモミをつけるのだ。30cmと広めの間隔をあけて植えるのも、光を全体に行き届かせるという理由から。イネの生育には太陽、天候がとても大事なんだね。だから長雨や曇り空が続いたりすると、収穫に響くことになる。
日当たりが悪いと、生育に影響するばかりではない。あのシートに忘れられた束などは、生育しないばかりか、立ち腐れして病気が発生することにもなる。
とにもかくにも、太陽が実りを決めるといってもいいわけです。太陽と水と土の按配で、イネは爆発的に成長し、あのか細い苗から信じられないほどの米粒がとれるということですね。この成長力があるからこそ、それを食料としてきた人間は繁栄できたという次第。

腹が減っては田植えができぬ。

あと少し、あと少しと思いながら田植えをしていると、時間の感覚がなくなって、2時間があっという間。
あと少し、あと少しと思いながら田植えをしていると、時間の感覚がなくなって、2時間があっという間。

さて、話は田植えに戻ります。
気がつくと、時刻は正午を過ぎていて、もう2時間ほども田んぼの中にいたことに。田んぼから上がると、急に足が軽くなった。地面の固さに違和感を覚える。
実は昨日、エクササイズのし過ぎで腰に急に痛みが出て針灸治療をやってもらった。本当は今日の田植えはひどく心配だった。ところが実際にこうやって田植えをしても、体に痛みやこわばりは感じない。辛いという感覚もない。人間、初めてのことには熱中できるものだ。きっと念願の田植えで、気持が高ぶっていて体の変調には鈍感になっているのかも。明日の筋肉痛が心配だけど、まあ、そのときは仕方がない。なにしろ、ついに待ちに待った昼飯の時間がやってきたのだ。

午前の部が終了して、満足げな藤原智美さん。膝から下の泥具合が田んぼの深さを教えてくれます。
午前の部が終了して、満足げな藤原智美さん。膝から下の泥具合が田んぼの深さを教えてくれます。

が、昼食の用意ができてない!
えっ、どういうこと?
もう時計の針は午後1時を指そうとしている。仮設のテントの下や木陰に田植え参加者が身を寄せ合って、届くはずの弁当を待っている。
田んぼから上がった後、木陰に入ってタオルで汗を拭いながら麦茶で梅干しの入ったにぎり飯にかぶりつく。これがぼくがかねてから思い描いた田植え昼食のイメージ。一生に一度の記念すべきランチタイムになるはずなのに、肝心のメシがない!

若者たちは田植えを楽しんでいた。助け合って、笑い合って、和やかに青空の下、自然と戯れながら。
若者たちは田植えを楽しんでいた。助け合って、笑い合って、和やかに青空の下、自然と戯れながら。

用意してもらっているはずなのに。いったいどういうこと?
真相が判明した。昼飯は物書き料理家のマツーラユタカさんが、わざわざこの日のために腕によりをかけてつくった豪華料理だという。それをぼくらのために、わざわざ東京から食材を運んで、松代で仕上げてくれるというのだ。手間をかけた料理が、少し遅れているらしい。
どんな昼飯になるのか。楽しみだ。

――つづく。

おじさんたちの田植えには悲壮感が漂っていた。黙々と、汗だくになりながら、泥の中で悪戦苦闘。
おじさんたちの田植えには悲壮感が漂っていた。黙々と、汗だくになりながら、泥の中で悪戦苦闘。

文:藤原智美 写真:阪本勇

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藤原 智美(作家)

1955年、福岡県福岡市生まれ。1990年に小説家としてデビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川龍之介賞を受賞。小説の傍ら、ドキュメンタリー作品を手がけ、1997年に上梓した『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。主な著作に『暴走老人!』(文春文庫)、『文は一行目から書かなくていい』(小学館文庫)、『あなたがスマホを見ているときスマホもあなたを見ている』(プレジデント社)、『この先をどう生きるか』(文藝春秋)などがある。2019年12月5日に『つながらない勇気』(文春文庫)が発売となる。1998年には瀬々敬久監督で『恋する犯罪』が哀川翔・西島秀俊主演で『冷血の罠』として映画化されている。