古書と喫茶。
ナポレオンと舌鼓|古書と喫茶①

ナポレオンと舌鼓|古書と喫茶①

香川県高松市。朝の7時に営業が始まる古い喫茶店に、一冊の古書を携えて訪れる。モーニングを愉しみ、コーヒーを味わいながら、目当ての本を函から取り出し、ゆっくりとページを捲っていく。喫茶店の名は「ナポレオン」、古書を『舌鼓のうちどころ』という。

誰がために本を読む。

初めて古書を手にしたのは、いつだったろう。
個性的な書店の棚から本を選び、どこか雰囲気のある喫茶店に入って、一杯の珈琲を味わいながら、ゆっくりとページを捲るひとときの幸福感。
古い本にどことなく感じられる、以前の持ち主の痕跡。誰かの手を経て少し経年を感じさせる書物は、経験を重ねたベテラン俳優の顔つきのようで、新刊書にはない大人の魅力があった。その本を読んだ喫茶店もまた、突貫ではつくり出せない時間に磨かれた味わいがあって、もはや町の一部となったかのような馴染み感と包容力が溢れていた。本を手にして外に出るときは、読書の体験を通して町を記憶していたような気がする。

古書

最近は、主の引退などで店を閉じる喫茶店の話を耳にしたり、旅の途中にしぶーい佇まいを見つけて近づくと「長い間、大変お世話になりました。」という悲しい報せが扉に貼ってあったり。
古書店も久しぶりに訪ねると、シャッターが降りていて、調べたらひと月前に閉店していたことにあ然とすることがよくある。
一方で、ロードサイドには、リーズナブルでシンプルに同じ味の珈琲を飲むことができる洒落たカフェが増えてきて、書店がセットになっていたりする。ロードサイドの安心と清潔感もひとつの愉しみ方、とは思いながらも、かつての個性的な書棚や存在感ある店主といった大人の読書体験を支える場所や本に出会う機会は明確に少なくなってきている。

本を読むことの背景に、個性的な人々の影が感じられるような豊かな時間と空間、それを支える古書と喫茶店を少しでも紹介できればと、まずは自分のまわりから始めてみる。いまはなかなか読まれないけれど、確かな味のある一冊の古書を携え、町の性格の一端を担うような個性的な喫茶店を探しに出かけたい。

ささやかな佇まい、独特の店構え。

外観

香川県高松市。繁華街から少し外れた大通り沿いに「NAPOLEON」と瀟洒なローマ字の看板が掲げられている。
「カフェ」や「喫茶」といった表記もなく、昼間でもかろうじてわかる程度の照明が灯っていることで、営業中だと知る。幟や派手な看板を出すような主張はなく、そこに店があることに気づかないかもしれない、と思わせるささやかな佇まいが、好事家の嗅覚をくすぐる。
初めに、この店が風変わりだなと思ったのは、喫茶空間は2階にあって、1階にぽかりと空洞が広がっていることだ。電灯もほとんどなく、大通りの向かい側から見ると、暗い1階部分は大きく口をあけているように見える。2階の喫茶部分はどこか昔のヨーロッパの町並みの上階の一部を切り取ってきたようだ。

マスター

「ナポレオン」という店名の由来をマスターに訊けば、オープン当時の建築家がつけたようで、最後に「ン」がつく店は長続きするという話を聞いたことがあって、決めたらしい。もしかすると、建築家が「ナポレオン」の名前から連想をして、このような設計にしたのかもしれない。店名の決め方も店の造りも大らかな感じがしてとてもいい。2階の喫茶店が空中に浮いているかのような店構えは、どこか現実離れした感じがあり、独特の雰囲気を放っている。

高松で2番目に古い喫茶店、調和した風景。

1階から2階の入口へは、木製の手すりがついた螺旋階段で上がっていく。この螺旋階段がまたなかなか見られない造りで味わい深い。
店の扉を開くと、統一感のあるインテリアに朝の光が射し込んでいて、とても清々しい。椅子はつくり付けのソファーと、バランスが愛らしいウィンザーチェア風の木製のもので揃えられている。机も含めた什器の色合いは、入口の螺旋階段の手すりと同じく磨き上げられたいぶし銀の味わいがある。いくつか吊るされた店内のライトが、シンプルなデザインながら新鮮な印象があって目をひく。よく見るとテーブルに置かれたコップや砂糖入れなどの小物も洒落ていて、過度にはならないこだわりが随所に感じられる。

螺旋階段
店内

マスターの話によると、ここは高松で2番目に古い喫茶店らしい。2019年で、創業51年になるとのこと。インテリアも当時から一度も変えていないという。確かに椅子や机、置き物から冷蔵庫まで、すべてが長い間その場に留まり続けた貫禄がある。しかし、まったく古臭い空気感がない。調度品のすべてが、毎朝、定時に身支度を済まし、シャキッと椅子に座っているような気配がある。
向かいの席に目を移すと、スーツ姿の老紳士が静かに新聞を捲っていて、オブジェのひとつと見紛う。調律された年代もののピアノのように、店の中の風景と調和しているからか、客も含めて落ち着きがあって居心地がいい。

店内

注文を取りにきてくれたマダムは、洋装が似合うすらりとした立ち姿の品のある方。モーニングを頼むと、ゆで卵は注文してからゆで始めるという。店内はきちんと整理されていながらも、「効率化」といった近代的な整理のされ方がされていないことが嬉しい。定休日を訊けば、なんと基本的には休みなく毎日営業されているという。

モーニングは、トーストとゆで卵のシンプルなメニューから、目玉焼きやサラダ、フルーツなどがセットになったものまで5種類。50円ごとに量と内容が豊かになっていく。その日のお腹の具合で選ぶことができるのは嬉しい。香り立つ珈琲も主張の強すぎないバランスがとれた味わいで、店の雰囲気を象徴するかのよう。一日の始まりの読書には最適なモーニングである。

モーニング

無名の食の本。おだやかでない見出しと、只者ではない著者。

さて、今日もってきた一冊は、江原鈞『舌鼓のうちどころ』。
江原鈞という書き手は、おそらくいまではほとんど知られていなく、古書を探していてもその名を見ることはまずない。私も知らなかったが、粋なタイトルに惹きつけられて手にとった。

江原鈞『舌鼓のうちどころ』

タイトルから想像できるように、食について書かれた本ではあるようだ。dancyuのweb連載の初回ということもあって、食の本から始まるのはよさそうだなと思いながらも、目次を見るとどうやらひと筋縄ではいかなそうだ。「仔の珍味」「恐怖の仔」「生命を食う醍醐味」「分裂細胞の味」「野菜の血の味」など、穏やかでない見出しが並ぶ。ひと息入れて、巻末の「筆者略歴」から読むことにしよう。

「明治廿二年二月大阪市船場の醤油醸造家の長男に生れる。」

船場といえば、大阪屈指の商業地区。文化財登録された大正から昭和初期の名建築が、いまも多く残っている。大阪の町人文化の中心となった場所ともいわれ、昔から豊かな食文化があったとも訊く。そんな場所の醤油醸造家の長男となると、きっとかなりのお坊ちゃんで、いいものを食べてきたんだろう。略歴の下には「雑歴と趣味」とあり、そのひとつ「写真趣味」を見てみよう。

「十二才ころから写真機を弄び、以後一貫して研究、今日に至り約六十年に及ぶ」
「戦前イーストマン日本総代理ルオー氏から頼まれて京都日活、帝キネ、マキノ等のプロダクション技術部員を指導講習した。」

「イーストマン」は、後に「コダック」の略称で知られたフィルムの巨大会社。「京都日活、帝キネ、マキノ」は、どれも映画製作会社で、そのひとつ「マキノ・プロダクション」設立者の牧野省三は「日本映画の父」と言われる人物だ。さらっと書いてはいるが、名のある会社で技術部員に指導講習していたとは、どう考えても「雑歴と趣味」のレベルではない。仕事にはしていないだけで、玄人はだしな技術をもっていたのだろうと想像される。この時代に12歳で写真機を弄べる環境があったのは、やはりとても恵まれていると思うが、その環境に甘んじず技術を磨く姿勢がなければ、ここまではできない。江原鈞という書き手、只者ではなさそうだ。

――つづく。

看板

店舗情報店舗情報

ナポレオン
  • 【住所】香川県高松市塩上町10‐9
  • 【電話番号】087‐831‐7894
  • 【営業時間】7:00~18:00頃
  • 【定休日】無休
  • 【アクセス】ことでん「瓦町駅」より3分

文:川上洋平 写真:佐伯慎亮

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川上 洋平(ブックセレクター)

1980年、東京生まれ世田谷育ち。2015年から香川県高松市に住みつつ、東京と行き来しながらの二拠点生活。「book pick orchestra」代表。選書、本の企画から、ひとりひとり話を聞いて本を選び、お酒とともに読書を愉しんでもらう「SAKE TO BOOKS」など、さまざまな場所で人と本が出会う場所や時間をつくっている。