高松で2番目に古い喫茶店「ナポレオン」で『舌鼓のうちどころ』を読む。珈琲と読書。昭和の中頃に書かれた“食の随筆”に興奮を覚え、一驚を喫し、至福の時間を過ごすのである。
『舌鼓のうちどころ』を読み進んでいくと、取り上げられている食材は、数の子から始まり、からすみ、キャビア、うに、海鼠、ほや、うるか、めかぶ、木耳などなど、玄人好みのものばかり。食べたことがないものも出てくるし、漢字表記が昔の呼び名だったりすると、調べないと首を傾げるようなものもある。
文章の書きっぷりはどうだろう。
数ページを読んだだけでも、誰もが一読して圧倒されるようなインパクトと風格がある。
たとえば、生の「蠣(かき)」を食べては、こんな風に書く。
「白い膨れた腹の部分、周囲に襞を飾る黒覆輪のスカート(外套膜)、それと半透明な小粒の柱、この三つがそれぞれに味の個性の違いを見せて、噛むに従って卍巴に変転する味の図案を舌状に展開して行く。
白い腹から湧く汁は、貝とは思えぬばかりに甘い。クリームのようで卵黄のようで、ただの甘さともうまさとも言い様のない、こってりとした風味である。
そこに不思議でならない事は、そんなに濃いくせに軽いという味の矛盾である。舌にしむ程の強いうま味が、同時に清淡といえるほど軽快な事である。」
さすが写真技術に長じていることもあってか、頭に映像が浮かんでくるような書き方をする。目を閉じ、口の中に神経を集中して「蠣」を食べている様が目に浮かぶ。「卍巴に変転する味の図案」という表現は、まるで口中にカメラを入れて覗いているかのようにも思える。それでいて、味の変化をじっくりと追った文章には、確かな実感が込もっていて、読み手に共感を覚えさせる。
次は、名店の中華料理屋のコックが調理する様子。
「臍下丹田の高さに据えた大鍋の向うに、一列の小壺は、油、醤油、酒、酢、元味、辣油、尚味、元塩、のたぐいであろう。それ等を控えて端正に立った彼の動作はさながらの、優美とまで見える舞であった。右手に振りかざした長柄の杓子の踊るはずみに、どれかの小壺の面を、燕返しに掠めたと見た電光石火、秤るより正確な量に掬われた調味料は、目にも止まらずもう鍋に落ちて、パチパチとはぜ返っているのであった。」
こちらはまるで時代劇の殺陣、もしくは、スポーツ選手の技の瞬間をとらえた映像のよう。絵は細かく、躍動感がある。ひと通り揃えられた調味料の並ぶキッチンを背景に、残像をともなって動いているかのような素早いコックの姿は映画のように印象的だ。
噺家のように闊達自在で饒舌なる語り口に、気がつくと唾とともに食の欲求が湧いてくる。写真やイラストに彩られた「たべものエッセイ」が溢れる昨今、文章のみで読み手の感覚をここまで刺激するものにはなかなか出会えない。これぞ「食味随筆」と、読んでいて思わず膝を打ちたくなる。
閑話休題。途中、手洗いに立つと、店内の奥には公衆電話ボックスがある。扉の上には「TEL」とだけ書いてあり、いまはさすがに電話機は置いてなかったが、こんな空間が残っている店はなかなか見ない。もし読書中、喫茶中に電話がかかってきたときには、ぜひここでしばらく話をしてみたい。
まだこのボックスが現役だった時代には、携帯電話などはもちろんなく、奥さんから店にいる旦那さん宛に電話がかかってきて、呼び出してもらう、なんていう風景があったらしい。
『舌鼓のうちどころ』の初版は昭和三十四年、この店が始まったときから10年ほど前にはなるが、古書の世界から離れても現実に戻されず気分が壊されないのは、老舗の喫茶店ならではの特典だろう。
席に戻り、名調子の文章を読み進んでいく。すると、さらにじわじわと凄みが伝わってくる。
凄みの要因はなんだろうと振り返ってみると、おそらくその理由は「聞いた話では」と言った風な書き方が一切出てこないことだろう。文献や人の話を参考にはしても、自分の意見が常に軸にある。幅広い知識と教養を披露しながらも、書くことは著者の経験に深く根ざしている。専門書にありがちな、知識をひけらかす態度や高みに座した冷淡さは微塵もなく、自分で体験したい、自分が感じたことを読み手に伝えたいのだ、という思いが行間からじわりじわりと伝わってくる。
著者の食道楽を思わせるだけだった玄人向きの食材も、ただ世に名高い高級品を並べたわけではなく、味覚の求道者たる彼の冒険の旅先として、適うものを綴った結果なのだ、ということがだんだんわかってくる。
彼は食の冒険において、誰かの助けや便利な道具類に頼る気はさらさらない。そんなことをされては楽しみが半減してしまう、と言わんばかりに、自らの足ならぬ、舌の味覚、鼻の嗅覚、歯の噛み具合といった五感をフルに稼働させ、嬉々として奥深き「味覚」の世界へ踏み入っていく。
鯛の「非凡なる円満」さについて、植物の「細胞分裂の味」について、口の中の「触妖百相、断快百趣」についてなどなど、紹介したい話がたくさんあるが、その白眉に、戦時中に食べたかぼちゃが不味かったという話がある。食べるものがなく「何でも彼でもうまい筈」の時代に、理由がわからずかぼちゃが不味かった。食べたかぼちゃは、臭くもなく変な味もしない、炊き方も悪くないし、口当たりも悪いわけでなかったのになぜなのだろう。不味かった体験話に終止して首を傾げるだけでもよさそうなところだが、彼はそこにとどまらない。
「これはただの味覚に感じない隠れた、食欲をおさえる味の成分が存在するに違いない。」
そう、まず思いつく。この思い込み、とも言える第一歩への確信から始まり、続ける。
「太陽光線の中にも、紫外線というやつは、スペクトルの七色と並んだ同列の色であり乍ら目には見えないで、そのくせ強いのは眼を疲れさせる。音にしても或る振動数を超えるといわゆる超音波で、耳に聞えないのに細胞を壊したりする。」
こんな現象が目にも耳にもあるのだから、「同じ知覚神経である口にあって不思議はない筈だ」と、科学的な推論を持ち出して確信を強める。そしてついには、「この埒外の、味として感じない味の、まずい方が私の言う抑さえ味だとなれば、反対にうまい方にも、言わば立て味といったものがあっていいことにもなるわけだ。」と、書き切ってしまうのだ。
この推論が食道楽の醤油醸造家の口から出ていることにまず驚かされるが、「かぼちゃが不味い」という話から、「スピードの向こう側」ならぬ「味の向こう側」に考えを発展させてしまうのが素晴らしい。
さらには、「何とも不味かった」という嫌な体験を、転んでもただでは起きぬとばかりに、最終的に「うまい方」に矛先を向けてしまうところに、感心してしまう。
彼は科学的な発見に興味があるのではもちろんなく、味覚の追求すらその過程でしかないかもしれず、その根っこにはきっと、ただ「うまいものが食いたい」という強い気持ちがあるだけなのだ。こういう心意気がこの本の芯の部分に一貫していて、読んでいて感動すらさせられてしまう。
ところで、タイトルにある『舌鼓のうちどころ』。これがいつ何時なのか、というのは気になるところ。それについて書かれた箇所を引いておこう。
「物理的に説明すれば、舌鼓とは舌と口蓋との中間に生じた真空の破れる際の音である。真空とは――学者の横槍を覚悟でいえば――物を吸い出す力を持つ。舌上に食物をのせて、中の液汁や、味を溶かした唾液を吸い出しきって、終に舌が上顎から離れる刹那に起る真空破壊音である。」
「少量で以て、大量に匹敵する濃密な味を包蔵しているものを、味のこまかい物と言い習わす。伸びのきく味、しがむ程うま味の出るという奴、そんなのは皆歯で搾って舌で吸い出さぬと勿体ない。そこに舌鼓の意義と必要があるのだ。」
まさか舌鼓が物理的に説明できるとは、と驚く間もなく、ひと息に説得されてしまう。
この章では舌鼓を打つべき第一の代表格として「からすみ」を挙げているが、著者はからすみの味を評して、「高度の味の細かさだから、一ミリ位の薄輪切りにして、味をしめしめ舌鼓にかけて三、四片で事足りる」と書いている。
本書も一ミリ位の薄輪切りを三、四片とまでは言わずとも、数ページを著者と向き合い話を聞くように読むのが適しているように思う。饒舌な語り口についつい読まされてしまうが、中身はかなり濃密なので、一度に長く読みすぎると、胃もたれよろしく読後に少々疲れてしまう。
からすみを「一本奮発すれば心豊かな一冬の宵々を恵まれる」とあるが、本書も読み終わった後にも、豊かな味覚の世界に目を開かれる。自分の食の体験を総動員して舌鼓を打つように少しづつ読みたい、まさにからすみのような一冊と言えるかもしれない。
巻頭にある著者の写真は、本から想像される頑固な風貌ではなく、洒落たスーツ姿の笑顔が好ましい老紳士といった様子。ふと本から目線を上げれば、奥の席に座っていてもおかしくなさそうだ。本を閉じ、店の扉を開いて外に出ると、突き当りの奥に「CIGARETTES」と、かつてのたばこ販売機が鎮座している。くすんだパネルの向こう側にHOPE、MILD SEVEN、CAVIN、LARKなど古いたばこのパッケージが並ぶ。「使用中止」の張り紙があるものの、古書と喫茶を通した昭和の風景は、螺旋階段を降りるまで続いている。
店を後にしながら、今日は著者の行きつけの店に誘われ、高濃度の食味談義を拝聴したかのような気分だった、と振り返る。
――「ナポレオン」と『舌鼓のうちどころ』の回(了)
栗林と書いて「りつりん」と読む。
国の特別名勝に指定された大名庭園は、文化財庭園としては国内最大。広大さを表すときに何かと持ち出される東京ドームと比較すると、なんと16個分。背景となる紫雲山を含めて75haにもなります。
大名庭園としての歴史は、1642年に入国した初代高松藩主の松平頼重に始まり、歴代藩主へと受け継がれていきます。五代藩主の頼恭の時代に現在の景観が形づくられたようです。記録によると初代の薬園頭は平賀源内!
高松はうどんに気をとられがちですが、栗林公園を訪れれば、おぉと感嘆の声を漏らすこと必至。スケールの大きさに圧倒され、木々や花々の美しさには自然って素晴らしいと心を打たれ、あぁここに来てよかったなと、なんだか嬉しくなりますよ。
文:川上洋平 写真:佐伯慎亮