千葉は鴨川の「鮨 笹元」の後篇。鉢巻(ハチマキ)の巻き方も対照的な“名コンビ”の二代目夫婦が、地元の魚と米で握る創意工夫にあふれた鮨は、鴨川という土地の豊かさを感じさせてくれるものだった。
「鮨 笹元」でぜひ食べてもらいたいのが、地元産の樫の木の炭火で仕上げる、オリジナルの“焼きすし”だ。この日は黒むつと金目鯛の2種類。プリプリと口の中で弾ける身はもちろん、全面にまとった脂までご馳走だ。
「元々はガスの火でやっていたんだけど、炭火だと香りと焼き加減が全然違うんです。あ、でも“焼きすし”は僕が語ると怒られるんで(笑)」と、二代目の小越友さんは隣を見る。“焼きすし”の担当は、妻の咲樹さんなのだ。
「これはうちの父が考えたオリジナルメニューなんです。ほら、お鮨のネタって皮を全部削いじゃうでしょう?でも、魚って皮と身の間にこそ旨味があるんですよ。それを味わってほしくて始めたのがこの“焼きすし”。皮を食べてもらうためのお鮨なんです」
父とは「鮨 笹元」初代の笹本元一さんのことだ。“焼きすし”を思いついたきっかけもユニークで、中国を旅行中に小籠包を食べて「こういう熱々の状態で食べてもらう焼きたての鮨ができないか」と思ったのが始まりだったそうだ。
「うちの父は面白いですよ、フットワークも軽いし(笑)」と咲樹さんは言う。実は、咲樹さんを鮨職人の道に引っ張り込んだのも、元一さんだ。
そう、「鮨 笹元」の二代目夫婦の友さんと咲樹さんは、共にちょっと変わった経歴をもつ鮨職人なのだ。
まずは咲樹さんの経歴から紹介しよう。船と海が好きで、高校は船の運転技術を学べる国立の海上技術学校に進学した。そこを卒業し、さらに大きな船の免許が取れる海技大学校まで進んだのだが、ちょうど店で働いていた職人さんが辞めることになり、「やってみないか」と初代からスカウトを受けたという。
「小さい頃から店の手伝いをしていましたし、父の鮨を食べて育ちましたから、飲食店への憧れはずっとあったんです。だから、思い切って学校を卒業した二十歳の時にこの道に入りました」
以来、親方である元一さんのもとで修業を積みながら、その右腕として店を盛り立ててきた。現在、職人歴17年。初代考案の“焼きすし”や“グラタン”といったオリジナル料理も、咲樹さんが担当している。
一方、友さんの経歴はさらに異色だ。遠洋航海の船乗りに憧れて、咲樹さんと同じ海上技術学校に進学した埼玉出身の友さん。在学中の航海実習で出会った同学年のふたりは、25歳で結婚する。友さんは結婚前、就職氷河期の影響もあって憧れの遠洋航海の仕事を諦め、結婚を機に訪れた咲樹さんの実家で、楽しそうに仕事をする初代の姿を見たという。
「毎日どんな魚が入ってくるか、どんなお客さまが来るか、店を開けてみないとわからない。日々変化があるし、それがとても楽しそうだった。それで鮨屋さんに憧れちゃって、もともと食べることも好きだったし、結婚を機に鮨職人になろうと思ったんです」
結婚後の4年間、友さんは築地の老舗「寿司大」で修業生活を送る。前職時代に培った接客経験と、もともと持ち合わせている大らかな性格で、板前の世界にもなんなく溶け込んだ。
「僕、25歳で転職してよかったなと思うのが、高校を卒業して入ってくる子たちよりも社会に慣れていたことかな。だからどんなお客さまとも会話できたのが嬉しかったですね。高校の寮生活で慣れていたから、どんなに狭くて雑然としたところでも寝られたし(笑)。先輩にもすごく可愛がってもらって、いろんな仕事を教えてもらいました」
その「愛され力」を遺憾なく発揮し、二代目を継いだいまも友さんを慕って通ってくるファンは多い。鴨川産の樫の木の炭火も、友さんが「炭火を使ってみたい」と馴染み客に相談したところ、知り合いの炭焼き職人を紹介してくれたことから始まった。
また、近くの曽呂川で獲れた鰻を出すことになったのも、やはり常連である漁師さんがたまたま釣れたものを分けてくれたことがきっかけだという。友さん自身、いまも船の免許を更新し続けており、いつか自分で釣った魚を店で提供するのが夢だと語る。
「この仕事って、店の中だけで完結してる仕事じゃないんですよね。僕らがいろんなことにチャレンジして、それを料理を介して伝えることでお客さまも盛り上がってくれるし、お客さまから教わることもある。だから、いくつになっても、新しい何かを学ぶって素晴らしいことだと思います。そうすると、いつまでも謙虚な気持ちでいられるし。だからね、僕、鮨職人は天職だって思ってるんです」
そんな相棒の言葉に、咲樹さんが微笑む。
「最初は大丈夫かなって心配もしたんですけど、本当に天職だったみたいですね(笑)。名前の通り、友達も多くてお客さまに好かれるキャラクターなのでありがたいです。明るい性格に、私はいつも助けられています」
「僕の方こそ、自分に足りないことを全部やってくれているので感謝しています。家庭のこともやりながら店のこともやってくれるし。やっぱり僕がガーッと行くO型で、彼女が完璧に仕事を決めるA型っていうのがいいんじゃないかな(笑)」
初代から受け継いだものを実直に守り続ける咲樹さんと、教わったものに新しい風を吹き込んでさらに良いものにしていく友さんのコンビ。鉢巻の巻き方にしても、完成形は同じでも、父譲りの巻き方を踏襲する咲樹さんに対して、途中の工程に独自の味付けを施す友さんと、対照的な個性が見えておもしろい。
ふたり一緒なら、きっとここはいつまでも、訪れた人を楽しませてくれる仕事の行き届いた店であり続けるだろう。
今度はぜひ、初代のいる館山店とハシゴして訪れてみたい。溌剌と仕事に励むふたりに見送られて、ウキウキした気持ちで店を後にした。
おわり。
文:白井いち恵 写真:米谷享