明るく朗らかな二代目夫婦が板場に立つ、千葉は鴨川の「鮨 笹元」。朝から晩まで“24時間一緒”というふたりにとって、鉢巻(ハチマキ)は、オンとオフを切り替えるための大切なスイッチだ。
JR外房線の安房鴨川駅から歩いて5分ほど。“外房黒潮ライン”と呼ばれる国道128号沿いにある「鮨 笹元」は今年、創業43年目を迎えた。近海で揚がる魚介を中心に、その時期のとびきり新鮮なネタを、端正な握りやアイデアにあふれた創作巻物などで堪能させてくれるので、わざわざめがけてくる人も多い。
板場に立つのは、ともに鮨職人である、「鮨 笹元」二代目の小越友(こごし・とも)さんと咲樹(さき)さん夫婦。
寄席が好きだという握り担当の友さんは、立て板に水の如く流れるような話が楽しくて、初来店のひとり客も、何度も来ている常連客も、変わらず気さくにもてなしてくれる。その横では、巻物や焼き物担当の咲樹さんが、客の食事のペースを見ながら、裏の厨房に声をかけて次の配膳を差配する。阿吽の呼吸のようなふたりの仕事ぶりと、温かみを感じる接客に、いつの間にかすっかりリラックスしている自分がいる。
初代は、咲樹さんの父である笹本元一さん。そう、ここは咲樹さんの実家なのだ。
咲樹さんの家系は“鮨屋一家”で、もともとは約60年前、鴨川の隣駅の太海で、咲樹さんのおじいさんが「笹鮨」を始めた。その店は長男である叔父さんが継ぎ、次男だった元一さんはかつて東京は鶯谷にあった名店「根岸 高勢」へ修業に出る。その後、故郷に戻って始めたのが「鮨 笹元」だ。
現在、元一さんは鴨川の本店を娘夫婦に任せ、館山にある姉妹店に立っている。
「だからお客さんの中には、うちに来たり、父がいる館山の店にも行って、楽しまれている方が多いですよ」と咲樹さんは言う。いいなあ、行きつけの鮨屋が、外房と内房の両方にあるなんて。
5年ほど前に店を継いだ友さんと咲樹さんのふたりは、いつも素敵な鉢巻をしている。手ぬぐいを鉢巻として使うのは、初代から引き継がれているスタイルだ。ヘアピンなどは使わず、布地を折って挟んだだけで、1日巻いていても崩れたり垂れたりもせず、ピシッときまる。巻き方は元一さんの修業先「根岸 高勢」のものだという。
「鮨屋の鉢巻は、清潔感のためですよね。髪の毛や汗が落ちないように」と、友さんが教えてくれた。
「やっぱり頭に巻くと気合が入るんですよ。だから開店時刻になると巻いて、店が終わるとサッと取っちゃいますね」
その言葉に、「鉢巻は、仕事のスイッチが入る合図ですね」と咲樹さんも頷く。
ふたりそれぞれが手ぬぐい専用の引き出しを持っているそうだが、「好みはバラバラ」と友さんが笑う。藍染やモノトーンなどの渋めのデザインを好む友さんに対して、咲樹さんはカラフルで華やかな柄物が多い。
「家族旅行で行った先とかで買うことが多いなあ。僕は顔が派手だから、シンプルな柄の方が好きなんですよね」と友さんが言えば、「ときどきふたりで同じものを取り合うこともあるんですけど、そういうときは“それ似合わないよ”って言って諦めさせようとしたりね」と咲樹さん。そのやりとりも、夫婦漫才のようで微笑ましい。
初めての鮨屋に行くときはつい身構えがちだが、暖簾をくぐってパッと目に飛び込んでくるふたりの笑顔と鉢巻には、こちらの緊張をほぐすような明るさがある。私も、初めて「鮨 笹元」を訪れたとき、「その鉢巻、素敵ですね」と、カウンターの向こうの咲樹さんに話しかけたのを覚えている。
この日の咲樹さんの鉢巻は、粋な櫛の柄。
「これ、結構お客さんに好評なんですよ。“なにそれ、フォーク?”って聞かれたりして、会話が弾んだりします」
一方の友さんは、鮨職人になったときに初めて咲樹さんがプレゼントしてくれたという蛸の柄の手ぬぐいをキリッと。
「僕、蛸に似てるのかな(笑)。でも、これはお気に入りで10年以上はしていますね」
朝から晩まで24時間一緒のふたり。鉢巻をすることで仕事のオンオフを切り替え、これまで一緒に店を切り盛りしてきた。柄の好みはバラバラでも、その息はぴったりなのだ。
――明日につづく。
文:白井いち恵 写真:米谷享