山の音
自然に振る舞おうと考えて行動した瞬間、それは不自然な振る舞いになるのかな?
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自然に振る舞おうと考えて行動した瞬間、それは不自然な振る舞いになるのかな?

たとえば、かしこまった会食の席で慣れない料理を前にして動きがぎこちない人がいたとします。その人にリラックスしてほしいと願うとき、自然という言葉を使って、アドバイスを送ったりしませんか?「いつも通り、自然に」とかね。よくよく考えると、普段と違うシチュエーションであれば、緊張している方が自然なんですよね。

キツい状況にいるときは大変そうな顔が自然なわけで

人物の写真、いわゆるポートレートを撮影するときに、うっかりその人の自然な表情を撮りたい、なんて思ってしまいそうになる。
そもそも人にとっての自然ってなんだろう?
たとえば自分のことを考えてみても、ひとりで考えごとをしているとき、編集者と打ち合わせをしているとき、山を歩いているとき、好きな人と一緒に酒を飲んでいるとき、パソコンに向かっているとき、大勢の人に語りかけているとき、いろいろあるけれど、ひとりの状態が素顔で、誰かといるときは演技、なんてわかれているわけではない。キツい状況にいるときは大変そうな顔が自然なわけで、ある状況においての自然な仕草とか自然な振る舞いという風に、ちょっと動画的な発想なのかもしれないですね、自然な表情っていうのは。写真は静止しているので、そもそも不自然なもののようにも思えます。

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背後に見える街並みも道行く人も滲んでいくだろう

先日、久しぶりに池松壮亮くんを撮影した。よく晴れた平日の正午過ぎ。昼休みでスーツ姿の男女が行き交う外堀通りの西新橋1丁目のバス停前で太陽を背に佇んでもらう。少し逆光気味だが白い路面の反射が顔を明るく照らす。
ついさっきの新作映画に関してのインタヴューで、年下の主演男優がまるでキリストのような役柄で、その彼に感化されていく相手役を演じたと話していた池松くんに「じゃあ池松くんはヨハネかな、パウロかな?」と話しかけると「うーん、どうだろう」と微笑んでいる。そういえば7年前に初めて池松くんを撮影したのはフランク・ロイド・ライトの弟子だった岡見建彦という人が設計した高輪の教会だった。
シャッタースピードは2000分の1秒に、ズミルックスは開放のf1.4にセットする。被写界深度がとても浅いので、池松くんの背後に見える街並みも道行く人も滲んでいくだろう。シャッターを切るときには自分は何も考えない。話もしない。池松くんが主演した『夜空は最高密度の青色だ』という映画の宣伝ポスターを撮影する前に「写真のカメラの前に立つときは、映画のカメラの前に立つときの演技の10分の1くらいのささやかさな気持ちでいてほしい」と伝えたこともあった。

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ポートレートを撮るっていうことは、たぶんモデル、被写体になってくれる人(たち)と共犯関係になるということで、少し悪い企みのようでもあり、そこがとっても面白い。
翌日に現像が上がってみると、東京の街角に自然に佇む池松壮亮が映っていました。

――水無月につづく。

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文・写真:大森克己

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大森 克己(写真家)

1963年、兵庫県神戸市生まれ。1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。近年は個展「sounds and things」(MEM/2014)、「when the memory leaves you」(MEM/2015)。「山の音」(テラススクエア/2018)を開催。東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(2013)、チューリッヒのMuseum Rietberg『GARDENS OF THE WORLD 』(2016)などのグループ展に参加。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や『BRUTUS』『SWITCH』などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。

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