夢と聞いて、なにを想う?寝ているときに見るもの。現実世界で目指すもの。獏が喰うもの。夢はいろいろ。子どもの頃、おねしょをするとき、見知らぬ場所で用を足している夢を見ませんでしたか?あの瞬間、人は夢と現実の狭間を漂っているのかな。
まだ5月だというのに最高気温が30度を越える日が続いている。
朝、旅館の一室らしき和室で目が覚め、窓を開けると谷がある。どうやら山間の斜面に建つ旅館らしい。谷の向こう側、30mほど離れたところから「ごはん、どうする?なに食べる??」というおばさんの声が聴こえ、彼女は3人ほどの子ども達をつれて山道を歩いている。山菜やらきのこを採っているようにも見える。どうやら自分は寝過ごしたらしい。昨夜、暗室でプリントした写真を確か洗濯物を干すハンガーに吊るして外に出しておいたはずなのだが、窓の外には見当たらず、顔を窓から出して谷の底を眺めると、風で飛んでいってしまった白いプリントが何枚か木の枝に引っ掛かっているのが見える。あれ、なんで旅館で暗室作業なんかしていたのかな。おばさんからまた「ごはん、どうする??」と声がかかる。
そんな夢で目覚めた朝、ぼんやりとトイレに行ってシャワーを浴びてコーヒーを淹れる。この辺りで夢のことなんか忘れてしまうことが多いが、なぜか今朝の夢はディティールを細かく覚えていたので、サクッと携帯にメモして家を出る。
電車で隣に座っている女性のiPhoneの画面に「『裸足の果実』EGO‐WRAPPIN’」と、チラリと見える。ふーん「裸足の季節」じゃなくて「裸足の果実」なのか。
事務所に寄って郵便物をチェックしてから銀座で2件の打ち合わせと雑誌の色校の確認がひとつ。Saint Laurentの革ジャンやVANSのスニーカーをロケで撮影した写真の印刷具合をチェックしていると、どうも今朝の夢が頭を去来して、木の枝にその革ジャンやスニーカーの写真がヒラヒラと揺らめいているような錯覚を起こす。
夕方、小伝馬町で知り合いの若い写真家のオープニングへ行ってから、ひとりでお酒が飲みたくなって地下鉄で三ノ輪まで行って、日本堤の天然温泉「湯どんぶり 栄湯」まで歩き、ひと風呂浴びて、もし席があれば「丸千葉」で飲みたいな、と暖簾をくぐったのが20時過ぎ。
ラッキーなことに席は空いていて、生ビール、空豆、おから。店主と隣に座っている50歳くらいのカップルがデートの際に男性が女の子に朝まで一緒にいたい、ということを伝えるタイミングについて議論している。店主はオロナミンCを飲みながら良い笑顔。「最初はグー、じゃんけんぽい!」っていうのは志村けんが始めたって、知っているかい?なんてことも話していた。
うーん、もう少し飲みたいなぁ、モヒートとか、と思って「Bar New DUTE」に顔を出すと、爆音でEGO‐WRAPPIN’が流れていた。
――明日につづく。
文・写真:大森克己