「好味屋」という奇跡。
「好味屋」のケーキに胸がキュンとする。

「好味屋」のケーキに胸がキュンとする。

「好味屋」の看板には“パンとケーキの店”が謳われている。店に入ると、ぐるりと周囲を囲むパンと、正面のショーケースに並ぶケーキは、30余年に渡って「好味屋」を牽引してきた両輪なのだ。

銀紙に包まれた昔ながらのオーソドックなケーキが並んでいる。

「『好味屋』の前は吉祥寺の『ボア』で働いていたんだ。だから、いまでもケーキづくりは腕がなるよ」
そう、店主の藤村裕二さんは言った。
吉祥寺の「ボア」とは1958年創業で、2007年に惜しまれながら閉店した老舗喫茶店。当時には珍しく洋菓子を扱っていたその店は、壁一面に東郷青児の絵画が掛けられていて、歌舞伎俳優など文化人が通うことで有名だったそうだ。

ちょっとこっちおいでと、藤村さんに手招きされて、再び厨房へ。

あらよっという感じで、片手でホールケーキを回しながらのデコレーションを披露してくれた。「ボア」での下っ端時代、ケーキの回転台は先輩が占領していたので、台を使わずに隅っこで奮闘した結果、取得した得意技だという。

店主の藤村裕二さん、実に楽しそうにケーキをつくる。片手で絶妙なバランスを保ちながらホールケーキを支え、もう片方の手で器用にデコレーションを施していく。
店主の藤村裕二さん、実に楽しそうにケーキをつくる。片手で絶妙なバランスを保ちながらホールケーキを支え、もう片方の手で器用にデコレーションを施していく。

「好味屋」の正面にあるショーケースには、銀紙に包まれた昔ながらのオーソドックなケーキが並んでいる。りんごを煮詰めたアップルケーキに、栗の甘露煮がちょこんと乗ったモンブラン。

昔は、洋菓子だけで1日に300万ほど売上げがあったのよと、奥さんの京子さんが胸を張る。

「いまはコンビニで手軽にケーキが手に入れられるようになったけど、ちょっと前まではケーキは特別なご褒美だったの。それを『好味屋』は手軽な値段で普通の日のおやつにしたのよ」

確かに「好味屋」のケーキは、どれもちょっとしたおやつとして買えてしまう価格だ。さっきのアップルケーキは200円だし、モンブランは300円。最初に値札を目にしたときは、思わず「安っ」って声が出た。

ショーケースには、ケーキが並ぶ。上段にはホールケーキやロールケーキがどーんと鎮座。下段には求めやすいショートケーキが姿を見せる。
ショーケースには、ケーキが並ぶ。上段にはホールケーキやロールケーキがどーんと鎮座。下段には求めやすいショートケーキが姿を見せる。

ケーキの説明する藤村さんは笑顔だ。もしかして、パンより洋菓子の方が好きなのかもって思えてしまった。藤村さんの甘い話は止まらない。
「スポンジがふわっと溶けるショートケーキもお薦めだけど、やっぱり僕のいちばんは生クリーム付きのプリン」
藤村さんの解説は続く。
「カスタードのおいしさはもちろんだけど、ほろ苦いカラメルは砂糖と水だけ。普通でしょ。でもね、少しずつ砂糖を焦がし、水を溶かして、じっくり煮詰めたもの。シンプルを、丁寧に。『好味屋』らしいでしょ。カラメルで仕上げた後、生クリームでぐるりとデコレーションもしちゃうよ。だって、生クリームは多い方が嬉しいでしょ」
聞いているだけど、よだれが出るって、こういうことだ。
ちなみに、そのプリンは180円。なんだか、心配になる。

「好味屋」のケーキは、やっぱり普通なんだと思う。定番の誰もが知っているものばかりだし、特別な材料も使っていない。そして見た目も派手じゃない。でも、それが「好味屋」なのだ。

素朴な佇まいのプリン。丁寧に仕上げていく。カラメルに手間をかけ、生クリームを添えるときも、ついついサービスしちゃうのが「好味屋」流。
素朴な佇まいのプリン。丁寧に仕上げていく。カラメルに手間をかけ、生クリームを添えるときも、ついついサービスしちゃうのが「好味屋」流。

体にいいから、ほかのパンよりちょっと安くして140円、という不思議。

顔馴染みばかりといえ、客層は広い。部活鞄を背負った男子高生や、パンの硬さを心配するおばあちゃん、さっきはフランス人の青年がバゲットを買っていった。藤村さんがあやしげなフランス語で接客しているのはおかしかった。

訪れるお客さんたちに「好味屋」のパンについて聞くと、誰もが「おいしい」と言う。意地悪な質問だと思いつつ、普通のパンですよね、なんて聞くと「そうね、普通かもね」なんて笑いながら「ホントにおいしいのよ、ここのパン。ちゃんと食べた?」なんて、逆に聞かれてしまった。フランス人の青年は「サイコー」と答えて、去っていった。
「いろんな人が来るけど、みんな『好味屋』のファンなんだ」
藤村さんは真面目な顔で言った。
32年使い続けた釜は、ところどころ壊れている。2台あるうちの1台は温度計がなかったりするのに、パン職人の佐藤和男さんは、おかまいなし。慣れた手つきで次々とパンを焼いている。1日2,000個。「使いこなすのに労力がかかるから、新しいものを買いたいな」と、藤村さんは小さくつぶやく。

店主の藤村さんと、パン職人の佐藤和男さんが二人三脚。藤村さんはケーキがメインだったんだけれど、「パンの方が忙しくなっちゃってね」。
店主の藤村さんと、パン職人の佐藤和男さんが二人三脚。藤村さんはケーキをメインに担当したいけれど、「パンの方も忙しくてね」。

陳列棚を見ていると、あることが気になった。サンドイッチの価格だ。シンプルなものは140円で、揚げ物などアレンジが加わったものは、150円か160円。三角ミックスとビアソーセージ胚芽サンドはパン生地に胡麻や胚芽を練りこみ、手間も材料もプラスされている。それなのにどちらも140円。なんで?

「胚芽も胡麻も体にいいから、140円なんだ」
きっちりと言い返された。健康にいいから手軽な価格って、よくわからないけれど、なんとなく納得する。そうなんだけどさ、そんなんだから、新しい釜が買えないんじゃない?
でも、これが「好味屋」なんだ。

パンの値段って、こんなに安かったっけと、考えさせられる。値付けは、藤村さんが決める。みんなが「安い安い」と言っても「いいのいいの。お客さんが喜べば」と、藤村さんは少しでも安い方へともっていく。不思議な経営者。
パンの値段って、こんなに安かったっけと、考えさせられる。値付けは、藤村さんが決める。みんなが「安い安い」と言っても「いいのいいの。お客さんが喜べば」と、少しでも安い方へともっていく。不思議な経営者。

はい、食べてみな。そう言って、クリームパンを渡された。手にしたそれは、本当に普通だ。食べてみる。パンはふんわり柔らかく、カスタードクリームは卵の風味がしっかり感じられ、素材ひとつひとつがちゃんと存在している。
そうか。「好味屋」の普通は、ありふれたノーマルではなく、不変的なベーシックなんだ。
普通。よく使う言葉だけれど、「好味屋」で知った普通は奥深いものだった。


帰り道、携帯で「好味屋」を検索してみたが、あまりヒットしなかった。でも、確かに愛されている味が、そこにはあった。

藤村京子さんの屈託のない明るさも「好味屋」名物。京子さん、お昼になると、颯爽と店を飛び出し、武蔵丘高校の売店で「好味屋」のパンを売りに行く。その話は、近いうちに。
藤村京子さんの屈託のない明るさも「好味屋」名物。京子さん、お昼になると、颯爽と店を飛び出し、武蔵丘高校の売店で「好味屋」のパンを売りに行く。その話は、近いうちに。

「好味屋」を出るときに、私は予約をした。店頭に並ぶことのない好味屋の名物「インディアンプリン」。たまにしかつくらない。というかつくれない。普通の店のスペシャルなケーキは、ただいま約100人待ち。
どれくらい待つことになりそうかなのか聞いてみると、「1年くらいかな」。

――つづく。

店舗情報店舗情報

好味屋
  • 【住所】東京都杉並区成田東1-38-8
  • 【電話番号】03-3313-9904
  • 【営業時間】7:00~19:00
  • 【定休日】木曜
  • 【アクセス】東京メトロ「南阿佐ケ谷駅」より10分

文:朝野小夏 写真:金子山

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朝野 小夏

埼玉県出身。丸の内の金融機関でOLをしながら、食雑誌に執筆。日中は、ポケットに隠した糖分をこっそり摂取し、頑張ってます。趣味は、寄り道。美味しいものを見つけても、写真を撮る前に食べちゃうのが悩み。