ほんのちょっと前まで一般的じゃなかった言葉が流布していることを実感した瞬間、時代はまわってめぐっていると思い知らされます。チャージ。まさか電車に乗る前に、口にする言葉になるとは。ダウンロード。子供の頃、この言葉は存在していなかった気がします。昭和生まれにとっては、ですけどね。タピオカ。これは前からあった!
ビョークが2004年に発表したアルバム「Medúlla」。小さな声、囁き、ファルセット、ヒューマン・ビート・ボックス、とてつもく豊かな子音のヴァリエーション。人間の声の凄みを存分に感じさせてくれる大好きな音楽のひとつです。
桜がほとんど散ってしまったにも関わらず最高気温が2桁に達しない、季節が逆流してしまったかのような卯月の雨の水曜日の午後、八丁堀の事務所でこの文章を書きながら久しぶりに聴いています。「Medúlla」は脊髄とか骨髄、っていう意味だそうです。
このアルバム、内容が好きなのはもちろんですが、ちょっとした思い出がある。
ある航空会社の機内誌の取材でスイスを訪れ、ペーター・ツムトーアの建築「聖ベネディクト教会」や「テルメルバード・ヴァルス」という温泉リゾート施設を撮影した帰り道、確かウィーン乗り継ぎで空港のCDショップで発売されたばかりの「Medúlla」を購入して飛行機の中でウォークマンで聴き終わり不意撃ちをくらったような感動に浸っていると、隣の席に座っていた同行の若い編集者が「オオモリさん、それちょっとお借りしていいですか?借りるっていうか、なんていうか」と言ってボクが曖昧に頷きながらCDを手渡すと、彼は自分のPCにCDを挿入してコピーし始めた。
直前まで自分が大感動して聴いていた音楽が情報となって複製されコンピュータに吸い込まれて行く様を目撃してしまって、ヘンテコリンな感情が湧いてきて、それはほんのついさっき自分がお金を払って買ったものをタダで彼が盗んでいる、というのはちと大袈裟なのだが、そういうネガティヴな気持ちと、音楽が別の場所や人にあまりにも速く伝わっていく爽快感のようなものが混ざったもので、もちろん過去に自分も友人に借りたLPをカセットテープにコピーしたり、高校生のときにはFMラジオの番組をエアチェックしたりしていたわけなんだけれど、それは、なんというか、のんびりしてましたよね。
これはPCは使っていても、まだSpotifyなどの配信システムで音楽を聴くということをしていなかった自分にとってなかなかに衝撃的な体験だった。コンピュータとかデジタルとかインターネットとかのことを本気で考えるきっかけになった小さな出来事。
その頃、まだボクは作品にも仕事にも100%フィルムカメラを使っていて、写真よりも音楽の方がデジタルのことを意識したのは早かったのかもしれない。他人と何かをわかち合うかけがえのなさと、その強度がデジタル化で変容していくありさま。メチャ古い話のような気もするし、現在進行形の何かでもあるような。
――明日につづく。
文・写真:大森克己