山の音
あの列車に乗って行こう。
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あの列車に乗って行こう。

ふとした瞬間、いつもと違う風景が目に入ってきて、心がざわめいたり、キュンとしたり。たとえば食事のとき、何気なく食べていたものを、あれ今日はおいしいなって思ったり、その逆のことがあったり。列車や電車が走るスピードは同じでも、乗っている人が違えば、風景は変わる。だから今日は昨日の繰り返しのようでいても、私たちはまったく違う世界を生きている。

でも小さな生きている実感みたいなものが確かにそこにあるよなと

月曜日の夕方、日比谷線・恵比寿駅の改札を抜け、銀座方面への電車に乗ろうと右に向かい階段を下りきると、右前方エレヴェーター脇の角で薄いグリーンのトレンチコートを着た身長165cmくらいの松雪泰子に似た女性が携帯電話で誰かと話している。足元は素足にカラフルなストーンの散りばめられたローヒールのパンプスを履いて、凄くお洒落な出で立ちであるのだが、左足の踝あたりが痒いのか、ちょっとこわばった笑顔で電話しながら右足の踵で左足の踝を何度も何度も掻いている。

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その姿はエロティックというにはちょっと滑稽すぎて、でも小さな生きている実感みたいなものが確かにそこにあるよなと、その美しい人をずっと見つめていたかったのだが、急いでいたので前から2両目の電車に駆け込んだら思いのほか空いていて、3人がけのシートに腰掛けると、目の前にカーキ色のミリタリー風ジャケットを着た、黒いベルト付きのショートブーツを履いた短髪の女性がいて、彼女はおもむろに左足のブーツを脱いで、中に小石でも入っていたのだろうかブーツを逆さにして振っている。電車の中で靴を履いていない靴下だけの足を目にすると、ちょっとドキッとしますよね、臙脂色の靴下。
きょうはやけに女性の足に縁があるな、と思って3回目はあるかしら、とか期待したけれど、次は特にありませんでした。

今日はそれぞれの役回りで隣り合って吊り革につかまっている

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八丁堀でJR京葉線に乗り換えて自宅のある新浦安方面へ向かう。
電車の乗り換えが少し面白いのは路線によって雰囲気が違うことがありますね。ほぼ毎日、自分が利用しているJR京葉線の空気感は沿線に世界的に有名なアミューズメントパークがあることから、通勤や通学の人たちと世界中から舞浜での非日常を夢見て集まってくる観光客が同じ車両で同居しているところが独特です。
アニメのキャラクターが描かれたトレーナーを着て大きな袋いっぱいにお土産を抱えている人と、スーツ姿で日経新聞読んでる人が別の局面では同一人物である可能性もあるわけですが、今日はそれぞれの役回りで隣り合って吊り革につかまっている。

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もうひとつ、京葉線で気になるところは東京に向かう電車が潮見駅を過ぎて左にカーブを切り車体が傾き、汐見運河を左手に見ながら徐々に地下に潜って行く時間。運河の水面が目の高さになったその刹那、真っ暗なトンネルに突入する。世界の変わり目を実感します。

――皐月につづく。

文・写真:大森克己

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大森 克己(写真家)

1963年、兵庫県神戸市生まれ。1994年『GOOD TRIPS,BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。近年は個展「sounds and things」(MEM/2014)、「when the memory leaves you」(MEM/2015)。「山の音」(テラススクエア/2018)を開催。東京都写真美術館「路上から世界を変えていく」(2013)、チューリッヒのMuseum Rietberg『GARDENS OF THE WORLD 』(2016)などのグループ展に参加。主な作品集に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。YUKI『まばたき』、サニーデイ・サービス『the CITY』などのジャケット写真や『BRUTUS』『SWITCH』などのエディトリアルでも多くの撮影を行っている。