南阿佐ケ谷に、と言っても駅からはくねくねと曲がりくねった住宅街を10分ほど歩いた先に、「好味屋」はある。パンとケーキの店。かの地で30年余、真摯にパンをつくって、誠実に売ってきた。いまも、そう。いまも、ではあるが、いまどきと違う。けれど、いいものは、いまどきである必要ない。
学生の頃、食世界は家庭で閉じていた。食事とは、ほぼ100%、母の手料理だった。夜ごはんが餃子だと小躍りし、湯豆腐と知ればふてくさる。わがままで、しがない食いしん坊だった。
就職を機に食生活は一転した。ひとり暮らしが始まり、好きなものを好きなだけ食べられるのだ。燻っていた食い意地は爆発し、話題の店を次から次へとマーキング。嗚呼、東京OL生活万歳!
でもある日、立ち止まった。これでいいのか、と。多くの飲食店には足を運んだけれど、自分が心から愛おしいって思える味に、まだ巡り合えてない。メディアの情報を追体験するは楽しい。でも、私の心の琴線に触れるような愛おしい味は、それじゃ、見つからないんだ。そう思い至ったのは、ある店との出会いがきっかけだった。
東京は杉並区の善福寺公園の近くにある「好味屋」。その店は、前を通り過ぎるたび、気になっていた。「パンとケーキ」と掲げている年季が入った看板は、黄色地に赤文字というパンチが効いた配色で、独特のオーラを醸し出していた。
自動ドアの横には「気功仲間募集」の張り紙。自宅兼工房なのだろうか、店舗の横にはこれまた古びた木造の建物がある。店内はいつも薄暗く、遠目では営業しているのさえ怪しい雰囲気。お客さん、来るのかな?
でも「好味屋」からは、いつも焼きたてパンの匂いがした。もしかしたら、人気店なのかもしれない。だって、つねに新しいパンを焼いているってことでしょ。歴史を感じさせる見た目も、裏を返せば愛され続けてるってことだ。南阿佐ケ谷の駅から歩いて10分はかかる。ローカルな住宅街で、焼きたてをつくり続ける老舗パン屋。私は不思議と、そそられていた。
その日も「好味屋」の前を通ると、やっぱり香ばしい匂いがした。外観はイマドキっ子の私を遠ざける風変わりさだけれど、焼きたてのアロマには抗えない。引っ掛かっていた要素は、次々とポジティブ変換されていく。
普段の私だったら、初めての店に入る前は当然のごとくググる。でも、この日はそんなのどうだっていいと思えた。この店に入る自分が、誰かの評価を気にするのはなんだか許せない。私はこのいい匂いを信じたい。
よし、入ってみよう。
店の奥でコック姿のおじさんが、パイプ椅子に座って眠っていた。客は誰もいない。私が狭い店内をうろついても、おじさんは起きる気配がなかった。
なんだか面倒くさくなって、店を出ようと瞬間、「あ、いらっしゃい、食パンでも切る?」と声がした。
「もう10時間も起きてるからさ、眠いんだ」。えっ、いまが昼の2時だから、明け方の4時頃から起きてるってこと?
パン屋の朝は早いって聞くけれど、ずいぶんなんだね。起こしてごめんね、寝てください。あっ、でも、いまって、営業時間じゃないの?
蛍光灯の柔らかい光に照らされた店内は、ふんわり甘い小麦の蒸気で蒸れていた。陳列棚の上段はおかずパン、下段には甘いおやつパンが20種類ほど並んでいる。値段はどれも100円台。昭和価格で癒される。朝の食卓が似合うバターロールなんて、60円だよ。びっくり。
天井に目をやれば、一面には青空が描かれ、それはまだらに色褪せている。
「これは20年くらい前かな、僕の好みで青空にしたんだ」
いつの間にかおじさんは、一緒に天井を見上げていた。当時は鮮やかだったであろうその青空は、長い歳月が滲んでぼやけていた。でも、この穏やかな青空も優しくて素敵だなあ。そう伝えるとおじさんは嬉しそうにはにかみ、自身が店主の藤村裕二さんであることを名乗り、店の歴史を語り始めた。
――つづく。
文:朝野小夏 写真:金子山