東京をきらびやかな都市だと思っているとしたら、とんでもない。光があれば影もある。いや、違うな。太陽があれば月もある。うーん、これも、ちょっと違うか。とにかく、平成の前には昭和があった。そして今も昭和は東京で香っている。くんくん。おっ、あっちだな。笹塚へ向かって走った。
昔懐かしい麺屋を自転車で巡る、というこのシリーズを始めて以来、友人たちからいろんな情報が届くようになった。そのなかでも特に衝撃を受けた店が、笹塚の「福壽」だ。まるで戦後の下町のセットのようだった。まだこんな店があったんだ。行こう。2019年一発目は「福壽」だ!
と、すぐにでも飛び出したくなったのだが、今回は事前にアポをとることにした。
5日後に長期の海外取材を控え、時間に余裕がなかったのだ。店まで行って断られたら途方に暮れてしまう。
それに友人が送ってくれた情報には店主の画像もあったのだが、ちょっと怖そうな人にも見える。昔の店舗をここまで守り抜いてきた人だ。美学をお持ちだろう。取材を受けてくれるだろうか?
ということで電話したのだが、何度かけてもつながらない。シリーズ1回目に訪ねた「おはる」が頭をよぎった。まさか......。
ネットの二次情報を見ない、という旅の信条を捨て、検索してみると、閉店したという情報は見当たらなかった。直接確かめるしかなさそうだ。やれやれ、結局またぶっつけ本番だよ......。
翌々日、阿佐ヶ谷の自宅を出発。新春の晴れ上がった空の下を快走する。
前回、ちょうど1ヶ月ほど前、師走の初めに走ったときはまだ紅葉が残っていたが、今はすっかり葉も落ちて、木々が竹ぼうきのようになっている。
たしかこの先に釣り堀があったな、と思った。13年前、東京に住み始めた頃、走っていてたまたま見つけ、しばらく自転車を停めてニコニコ眺めていたのだ。一度、見たら忘れられないような、強烈な個性があった。
まだあるかな?いや、だいぶ古そうだったから、もうないか。
......あった。
阿佐ヶ谷に居を構えた理由は、街の垢抜けなさや昭和っぽさに惚れたからだが、まさにそのイメージどおりだった。僕はやっぱりニコニコ眺めてしまう。
何が釣れるんだろう?と
覗いてみると、意外な魚がいた。
いやはや、センスにブレがない。しかもサメは水に浮かんでいるようで、風に揺れながらふらふら動いているのだ。無人の釣り堀で、サメが右に左にチョロQのように動くその様子は、何か幻のようだった。
そのまま善福寺川沿いに走る。小鳥と戯れる少女の像や公園が流れていく。うっそうとした黒い森があった。案内板を読むと、近年、準絶滅危惧種のオオタカが確認されたらしい。
神田川に合流したところで川から離れ、住宅街の小路に入っていった。
阿佐ヶ谷から笹塚まで、まっすぐ行けば約5㎞だ。近すぎて、ちょっと物足りない。小路にどんどん入って、迷いながら行こう。子供の頃にやった“さまよいごっこ”だ。交差点に来るたびに棒を立て、倒れた方向に進んでいく。世界はワクワクする冒険に満ちていたのだ。
ただ僕の田舎と違って、東京は桁外れに広い。バッグに取り付けた方位磁石を見ながら、方角だけは多少意識して走る。
なんの変哲もない住宅街がしばらく続いた。似たような建物ばかりで、特に惹かれるものはない。
地方と比べると、意外と東京のほうが古びていたり、個性的だったりして、街に“匂い”があるように思うのだが、あるいは、阿佐ヶ谷に住んでいるからそう感じているのかもしれない。どこを切っても金太郎のようなエリアは、ほんとは東京にも多いのだろう。
それでもイボイノシシのように鼻をひくつかせ、匂いをクンクン嗅ぎながら、小路を右に左に曲がっていくと、尻尾がピクンと立った。
それ行け、とその商店街に入ると、揚げ物の匂い、醤油の焼ける匂い、あんこの匂い、と自転車の進行に合わせ、色とりどりの匂いが鼻腔をくすぐっていく。ああ、やっぱり商店街に足が向くのは、匂いがあるからなんだよなぁ。
商店街を過ぎて、なおもクネクネ走っていくと、再び匂った。
笹塚駅の南北を走る商店街だ。この日は松が取れたばかりだったが、まだ琴の演奏が流れていて、正月気分が漂っている。その中を子供が駆けていく。
自転車を押して歩いた。魚屋に八百屋、揚げ物屋、寒いねぇ、と言葉を交わし合う人々。そんな商店街の終点まで来ると、「福壽」が現れた。
見えた瞬間、ホッとした。暖簾がかかり、電気がついている(余談だが、僕が電話したときは正月休みだったそうな)。
いざ目の当たりにすると、やはりすごい存在感だった。そこだけ古い16ミリフィルム映像のようだ。よくぞ残ってくれた、いや残してくれました。あとは店主が取材を受けてくれるかどうかだ。
おそるおそる引き戸を開けると、女性のお客さんがひとりいた。
アポなしで来たことを店主に詫び、ドキドキしながら「取材させてもらえないでしょうか」と聞いてみると......。
「え?dancyu?3年前にも取材受けたよ」
「は?」
膝がカクン、となった。dancyu2016年2月号のラーメン特集に載ったらしい。......その号、僕も書いてます(帰宅後に確認したら、僕が担当したページのわずか5ページ先にあった。なんたるアホだ)。
それからは店主の小林克也さんの独断場だった。
「お兄さん和歌山?オレ和歌山好きなんだよ。白浜に熊野古道いいねぇ。〽ここは串本~、向かいは大島~、仲を取り持つ巡航~船、アラ、ヨイショ、ヨ~イショってね。お姉さんは、え?岡山?オレ岡山が大好きでさぁ。岡山の後楽園はいいねぇ。池田綱政がつくったんだ。東京の後楽園は水戸光圀だ。備前刀はいい刀だよ。佐々木小次郎の刀だ。雪舟も岡山だね」
知識が次から次に披露される。自慢げでもなんでもなく、ただただ泉のようにあふれ出るのだ。その博覧強記ぶりに加え、
「そうだ、この前は “冥土”にも行ってきたよ!“メイド”さんがいっぱいいてさぁ、あんまり楽しいから死にたくなっちゃった!」
落語かよ!
速射砲のようにジョークが繰り出され、僕もお姉さんも腹を抱えて笑いっぱなしなのだ。
「頭の回転、速すぎません?」と僕が言うと、お姉さんも目を輝かせ、「うんうん!」と頷いている。しかも人を不愉快にさせることは一切言わず、楽しい気持ちにさせる言葉ばかりだ。ウイットに富んで、品がある。医学の話まで始め、それがまたえらく専門的だったので、「もしかしてお医者さんだったんですか?」と半分本気で聞いたら、
「そう!よくわかったね!実は医者なんだ!」
「ほんとですか!?」
「そう!オレは小学生のときから医者だよ。よくやったなぁ」
......あ、はい、その先はOKです。「品がある」は訂正で。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ