鮨屋の顔とも言える「玉」。大晦日の「㐂寿司」には、伊達巻を求める客がひっきりなしに訪れる。年の瀬の風物詩。玉子焼きをつくり続けた師走が終われば、新しい年がやってくる。
銀行や証券会社が軒を連ねる日本橋は、日本の金融を支えるサラリーマンやOLが闊歩するビジネスの街だが、暮れの仕事納めの声を聞くと、街全体が一気に閑散として寂しくなる。代わりに華やぐのが同じ日本橋でも人形町の表通り。隣町の蛎殻町にある水天宮へと通じる参道に市が立つのだ。門松、べったら、焼栗、七味――。どこからともなく現れる行商の屋台の群は、眺めているだけで懐かしく、愉しい。商店街の軒先には屋号の入った提灯と門松が飾られ、新しい年を迎える準備が進む。
同じ頃、「㐂寿司」のカウンターには、途切れることなく甘く、芳ばしい匂いが漂う。暮れの大仕事といえば正月に欠かせない「伊達巻」づくり。伊達巻は店でも出している手焼きの玉子焼きを巻き簾で巻いて形を整えたものだ。主な材料は、卵、芝海老、大和芋。四代目主人である油井一浩さんが目指す理想は「鮨屋ならでは」の玉子焼きだ。
「うちのはシャリで握ってこその玉子焼きです。そのためには、握りやすい固さと厚さが重要です。味付けは東京流ですが、甘すぎることはありません。お酒のアテにするお客様もおられますから。握るときは、これも店でつくった甘い朧をかませて、鞍掛という握り方でお出しします」
かつて鮨屋の玉子焼きは「玉」と呼ばれ、それを食べれば店の力量がわかる、と言われた。専門店で既製品の玉を買う店が圧倒的に多かった。だからこそ、店で焼いているという事実に価値があったのだろう。東京の場合、卵に出汁、砂糖、酒、醤油を加えた「出汁焼き」が定番だった。「㐂寿司」のような、江戸時代からのつくり方で焼いたものは少なかった。圧倒的に手間がかかるからだ。それが、平成の時代になって再び、若い鮨職人の手によって復活する。
鮨屋の数だけ玉がある。味は言うに及ばず、その姿形も千差万別だ。ただ“おかませ”が主流になると、鮨屋における玉の位置付けが変わった。鮨ダネではなく〆のデザート。中にはプリンのような半生の食感のものまである。
「㐂寿司」では玉子焼きの生地づくりは若手の安井直樹さんの仕事だ。昼の営業が終わり、店内が落ち着きを取り戻すと、板場の奧の台所には特大の擂鉢が用意される。この大道具がないと江戸前の仕事は始まらない。用意する卵は50個。芝海老はあらかじめ皮を剥き、ミキサーで粗い擂り身に。大和芋は擂鉢ですって粘りを出しておく。
ここで「㐂寿司」の玉子焼きには欠かすことができない食材がある。それは「ペン玉」だ。聞きなれないこの食材は、関東でお馴染の半片の原料となる白身魚の擂り身だと、安井さんが教えてくれた。
「昔は芝海老が高級品。量を確保するのが非常に難しかったそうです。芝海老の代用として、ペン玉を使いました。芝海老に白身魚の旨味と香りを足して、奥深い味わいに仕上げます。ペン玉は付き合いのある魚河岸の練り物屋で仕入れています」
玉子焼きの生地ができるのを見計らって、焼場の焜炉には年季の入った鉄製の専用鍋が設えられる。これを一度に2台使い、同時進行で大きな玉子焼きを2枚つくる。こちらは年季を必要とする親方の仕事。一浩さんと、弟の厚二さんが交代で手掛ける。
油を熱した鍋に生地を流し入れる。数分後、鍋の縁に沿って生地が膨らんでくる。プンと店内に甘い香りが漂う。生地をひっくり返すのは基本、1回。火の通り具合を見極め、生地と鍋の間に菜箸を差し入れ、そのまま持ち上げ、間髪入れずにひっくり返す。
再び、生地が膨らんでくると、今度は玉子焼きの側面に金箸を打つ。そして、鍋の大きさと同じ木蓋で軽く上部から圧をかけて空気を抜く。空気を抜かなければ、いま流行りのスフレのような食感に仕上がるが、目指すのは握ってこその玉子焼き。しっかり空気を抜いて、握れる厚さに調整するのだ。
ここまでおよそ20分。指の腹で触って焼き具合を確かめる。そして、最初に焼いた面を表にして完成だ。この作業を繰り返して、一度に焼き鍋4台分を焼き上げる。
「握りやつまみで出す以外に、太巻きの芯にしたり、バラちらしの具にも使います。昼下がりに焼いたものを、その日の晩に食べるのが、味が馴染んで最高においしいです」
先代の旦那が健在の頃、暮れになると玉子焼きの注文が100枚以上あった。休憩時間に焼いているだけでは間に合わないので、営業時間はもとより、徹夜で鍋と向き合うことが恒例だった。伊達巻は焼いた後、粗熱が取れたタイミングで、専用の巻き簾で整形し、仕上げる。これが簡単なように見えて、なかなか難しい。
「生地の硬さ、ゆるさはもちろん、焼きの微妙な加減を間違えると、最後の整形の段階で割れてしまうのです。どのタイミングで巻くかも重要です。昔は2階の大広間で旦那が、1本ずつ、その出来を確かめるようにして巻いてましたね」
「㐂寿司」の1年はこうして暮れてゆく。とくに大晦日は、伊達巻を求める人が、入れ替わり、立ち代わりでやってくる。そして、誰ともなく「よい、お年を」の声がかかる。そんな慌ただしさを見届けながら、カウンターで鮨をつまむのも、暮れの情緒そのものだ。といっても、市場もとうの昔に終わっているので、昼過ぎには握るネタもなくなって、お看板となる。一浩さんが決まって、大晦日にやってくるある客の話をしてくれた。
「おそらく同業者ですね。1年の仕事を全部終えたその足で店に駆け込んできて、黙々と鮨をつまんで、お茶を飲んで帰っていかれるんです。ずっと鮨を握ってきて、1年の最後に、握ってもらう鮨もいいもんですよね」
ひとり鮨、祝鮨、名残鮨――。それぞれの人の思いに寄り添うようにして、「㐂寿司」の1年は終わる。こんな鮨屋があってもいい。この季節、ほろ酔い気分で店を出ると、冬のピンと張り詰めた空気が、どこまでも心地いい。新しい年はもうそこまでやってきている。
――つづく。
文:中原一歩 写真:岡本寿