全国各地の名杜氏の秘めたる手仕事を30年余り追いかけてきた藤田千恵子さん、はじめての酒造り。聖域と呼んでいた麹室に入り、生まれてはじめて麹造りを体験。そのとき、彼女は何を思ったのか!2ヶ月間、ジムで体を鍛えて蔵入りにのぞんだ、藤田千恵子さんの奮闘ぶりをご覧ください!
自覚していたのは、頭でっかちということでした。
お酒造りの現場には、この30年間で何回も足を運びました。麹室にも酒母室にも入りました。酒米の個性、精米歩合による違い、各酵母の特徴も一応は説明できます。多くの名杜氏さん、造り手さんたちにもお目にかかりました。
でも!実際にお酒を造ったことは、一度もありません。
私が酒蔵に入れて頂いてきたのは、原稿を書くためでした。全然、仕事が違います。
今回、佐渡の学校蔵でお酒を造るというお話を頂いたとき、嬉しさと同時に湧いてきたのは、「そんな、大それたこと」と尻込みする気持ちでした。「越えてはいけない一線」という言葉も浮かびました。
しかし、こんな機会は一生に一度かもしれず、「やってみたい!」という気持ちに抗えませんでした。
まず決めければならなかったのは、原料米と酵母の選択、精米歩合の決定という酒質設計でした。
なんといっても、四半世紀以上、日本酒特集を続けてきた「dancyu」の看板を背負うお酒を仕込むのです。第一印象の良い人、のような、爽やかできれいで上品なお酒が良いのでは、と私は思いました。
そのためには、ある程度はお米を磨いて、けれども、旨味は残るような精米歩合で。販売時期のことを考えると熟成に長い時間がかかるようなお酒ではなく、若飲みもできる、というタイプである必要も。
同時代の青春を過ごしてきた松崎晴雄さんとの話し合いの結果、導き出されたのが越淡麗、精米歩合60%、14号酵母という組み合わせでした。
そして迎えた蔵入り。初日、麹室で麹に触った私は、青ざめた顔で腰も引けており、周囲からは笑いがもれる程でした。
はじめて麹菌を振ったときは、ごく少量を振ったあと、じーっと息をこらしており、それでは量が足りませんでした。
櫂入れをしたときは、おっかなびっくりのへっぴり腰でした。人間は、長く憧れていたものに触れるとき、恐れおののく、ということがよくわかりました。
「酒屋仕事は洗い仕事」。この言葉は、能登杜氏の故・天保正一杜氏から教わっており、私はそれを原稿にも書きました。しかし、こんなに、こんなに洗うなんて!見聞きことと、することとでは大違いです。
私が数時間、数日間で疲労困憊となった作業を半年もの間、黙々と続ける方たちが日本各地に散らばっている。日本の醸造業界はすごいものだ。あらためて、そう思いました。
約1ヶ月後、絞りたての無濾過生原酒が届きました。飲んでみると、完璧な美味しさです。美味しい!と私は跳びはねました。
「無濾過生原酒が美味しいのは赤ん坊が可愛いのと同じ」。以前、取材でお聞きした「飛露喜」の廣木健司蔵元の言葉です。その言葉を思い出したのは、次に加水、火入れのお酒が届いたときです。きれいな印象は変わらないものの、後口の苦みが気になりました。搾ったばかりの若いお酒には渋みや苦みは残りがち。そんな知識はあったのに我が事となると、うろたえました。
さらにお燗をしてみると、燗上がりの状態にまで持っていけないことに焦りました。けれども、燗冷ましになると優しい甘みが戻ってくる。そこで、お燗をするには、もう少し熟成が必要なのだと気づきました。時間にしか、できないこともあるのです。
前々から知ってはいたことが、腑に落ちる。実感に変わる。
d酒に関わり続けることで得たさまざまな気づきの中でも心から嬉しいと思えたことは、お酒の持つ伝播力を再認識できたことでした。
「爽やかできれいで上品なお酒」。最初の時点でそう望んだことは、実際に叶って手元に届きました。そのお酒を飲んだ方々からの評価に「青春時代を思い出す」「なつかしい」という感想が入っていたことから、お酒には、思い出を共有する力があるとも感じられて胸が熱くなりました。
願いは、お酒の風味に乗って表現される。その願いを叶えてくれたのは、佐渡の米と水のポテンシャル、学校蔵の中野杜氏さんと蔵人さんの導きのおかげです。ご一緒してくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
......私は、少しは、謙虚になれたのでしょうか......。