都心からも駅からも離れた住宅街に、行列の絶えない洋菓子店がある。訪れる人の心を温めたいと願う横溝春雄シェフと奥さまの真弓さんが開いた洋菓子店「リリエンベルグ」。ひたむきに客と向き合い、真心を込めて菓子をつくり続ける横溝シェフの30年。
今回、登場するのは「リリエンベルグ」の横溝春雄シェフ。齢70を迎えても、1日のほとんどを厨房で過ごし、菓子をつくり続けています。横溝シェフがつくる菓子は素朴なものがほとんど。つくりたての風味を大切にする菓子は、多くの人から愛されています。横溝シェフ、洋菓子のこと、店のこと、大いに語ります。
「つくりたてのお菓子って、バターと小麦粉のフレーバーが生地からしっかりするよね。でも、それは香りが逃げていることにも繋がってる。
だから、うちの店ではつくりおきは絶対にしない。良い腕と良い材料だけじゃなくて、鮮度の良いお菓子を売ろうって、店を開くときに思ったの。
売り場にはもっとも良い状態の菓子が並ぶよう、つくるのは必要な分だけ。
少量だと効率も落ちるし、手間になることもあるけど、つくりたてでおいしいお菓子を食べてもらうことが一番大切。防カビ剤を入れて冷凍してしまえば、お菓子はみんな同じ味になっちゃうよ。言うことは簡単なんだけど、つくりたてを売り続けるのはなかなか難しいことなんだよね」
「店を開いたときから目指しているのは、見た目のかっこよさとかじゃなくて、訪れてくれたお客さまが食べて心があったまるようなお菓子。たとえ、形がくずれたりしていても、食べて後悔しない味が理想かな」
「12月によく売れるのはシュトーレン。1週間、2週間ねかせると味が熟成するんだけど、うちの店ではつくりたてを並べてる。たっぷりと含んだバターは時間が経てば酸化してゆくし、生地の焼きたてのフレーバーもつくりたてでなければ味わえないから。
シュトーレンに練り込んでいるドライフルーツは、30年前から継ぎ足し続けてきたラム酒で漬けたもの。漬けたフルーツの香りが年を重ねることでリリエンベルグの味になっているんだ。うちから独立していく子達は、そのラム酒を少しずつ持って自分の店を開くから、シュトーレンの味がどことなく似てくるんだよね」
「店を開いたのは1988年。今では店の周りは住宅街だけど、当時はなにもない丘にポツンと洋菓子屋があるような状態だったの。
お客さまには駅前の目立つところでたまたま通りかかって来てくれるよりも、たとえ遠くてもうちの店に来るという明確な意思を持って来てほしかったから、店を始めた当初はお客さまが少なくてもいいと思ってた。
チラシを配ったり、周年セールで必要以上にお客さまに来てもらうようなことも一度もしなかったね。大勢の人に来てもらうよりも、ひとりひとりをリリエンベルグの接客と菓子でもてなして、また来ようと思ってもらうことが、10年後、20年後を見据えたときに大事だと思ったからね」
「店を開いたとき、スタッフは自分と奥さんを含めた4人。目の回るような忙しさだったけど、商品パッケージから内装の雰囲気まで、全部うちの奥さんがアイデアを出してくれたの。失敗しても、やり直して。店を育てることを大切にしてきたんです。
その雰囲気はずーっとあって、店のすべてに私たちの想いが詰まってる。たとえば、自動ドアはひとつも設置してなくて、時代には逆行してるけど、店の扉はあえて重くしてるの。勝手に開くドアではなくて、お客さん自らの手で扉を開けて入ってきてもらいたいじゃない?」
「30年経って、ありがたいことにお客さまも従業員も増えたね。それでも常に、お客さまには買っていただいている。従業員には働いてもらっている。業者の方には売っていただいているという心構えが大切だと思ってる。季節の食材を送ってくれる生産者の方々もそう。一度決めたら絶対に仕入れルートは変えない。品物だけではなく、関わっている人との繋がりがあるじゃない。お互いが裕福になれるようにお付き合いしていきたいと思う。自分たちだけでなく、リリエンベルグに関わってくれた人たちがみんな幸せになって欲しいと願いながらお店を営んでいる気持ちはずっと変わらないね」
30年間、真心を込め続けている「リリエンベルグ」の菓子づくりは多くの人から支持を集め、訪れる客も全国から弟子入りを志願する者もあとを絶ちません。
次回は、横溝シェフ直伝のシュトーレンのつくり方を教えてもらいます。
文:河野大治朗 写真:吉澤健太