令和の湯島聖堂「中国料理研究部」、第8回目は、キンモクセイのフレッシュジャム「桂花醤(ゴェイホワジャン)」。ひとすくいでデザートや料理をかぐわしく彩る魔法のジャムです。
晩秋の束の間、通りをむせ返るような甘い香りで満たすキンモクセイ。中国では桂花、木犀などと呼ばれ、人々はこのはかない可憐な花をこよなく愛した。
桂花生蠣(ゴェイホワションハオ、牡蠣と卵の炒めもの)や木犀肉(ムゥシィロウ、豚肉と玉子の炒めもの)といった卵料理の名に使われていることからも、その思い入れの一端がうかがえる。それだけではない。人々は、この花の香りと色と料理に取り込もうと考えた。それが、咲きこぼれる花を砂糖で煮た桂花醤(ゴェイホワジャン)だ。
中国料理研究部の講習会やケータリングでも、桂花醤を使った定番のデザートがあった。梅桂鍋炸(メイゴェイグォヂァ)や月餅(ユエビン)だ。前者は、揚げカスタードに本来はハマナス(玫瑰)のジャムをからめたものだが、入手しやすい桂花醤で代用。月餅は、25〜26㎝もある北方式のもので、あんに桂花醤を使っていた。
ほかにも中国料理では、れんこんやさつまいもを使った甜菜(甘い料理)が知られている。どこにでもある食材を華やかな一皿に仕立て上げるキンモクセイのジャムとは、いったいどんな味わいなのだろう。
「つくり方は、ポイントさえ押さえれば簡単です。問題は花びらの入手なんです」と山本さんは言う。
「市販品もありますが、一般に売られているのは発酵を防いで流通に耐えられるようにするため、塩漬けにされた花が使われています。だから花の色もくすんでしまい、デザートに使うにはしょっぱすぎる。生の花を使うことが大事なのです」
キンモクセイの花の命は一週間程度と短い。香りが辺りに立ち込める一瞬を狙って手折らなければならない。おまけに花を手に入れたら、花がしおれる前に一刻も早く調理しなければいけない。
「私が店をやっていた頃は、毎年知り合いから譲ってもらっていました。枝つきの花を山盛り手に入れたら、すぐさま大鍋一杯に仕込む。次の日から出張が入っているというときでも、徹夜覚悟で仕込んだものです」
この貴重なキンモクセイのジャムのレシピをぜひ残したい。そう思い、この連載で取り上げることにしたのだが、撮影に向けた日々は緊張感と隣り合わせだった。山本さんは近所でキンモクセイを分けてくれそうな家はないかを探し、筆者は知り合いの花屋に問い合わせ、カメラマンは青果市場で鉢植えを買い求めた。各々ができることを準備しつつ、花の開花を今か、今かと待ち構えた。
その日は突然やってきた。街を歩いているとき、ふわっとあの甘い香りが漂ってきたのである。8分咲きになるのをジリジリと待ち、迎えた撮影当日の朝。近所の家から切り分けてもらった枝を、花が傷まないよう、空気を入れて膨らましたビニール袋いっぱいに詰めた山本さんが撮影現場にやってきた。
袋から小枝をそうっとテーブルの上に広げ、作業を撮影チーム全員で黙々と花びらをより分ける。そこまで準備ができれば、ジャムにするのはコツを守りさえすれば、難しくない。
口に含んだ途端、鼻腔を突き抜ける華やかな花の香り。もしキンモクセイの花が手に入る環境にあるならば、ぜひとも試してみてほしい。小さな花びらをも骨身を惜しまず美食の一助に変える、その情熱を肌で感じられるだろうから。
キンモクセイの花弁 | 2カップ(約68g) |
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水 | 150ml |
上白糖 | 208g |
塩 | ごく少量 |
キンモクセイの花は8分咲きを目安とし、小枝ごと採取する。9分咲きの場合は、花が落ちやすくなっているため、金網などで受けながら小枝を折るとよい。
テーブルの上などで、できるだけ力を加えないように広げ、小枝から花弁をやさしく外す。軸やゴミなども丁寧に取り除く。
小鍋(鉄鍋以外)に、水と上白糖、ほんのひとつまみの塩を加えて火にかけ、溶かす。花弁をひとつかみずつ、数回に分けて入れる。ひとつかみ入れたら、すぐにかき混ぜ、熱を通す。全部入れ終えて沸騰したら2~3分弱火で煮て火を止め、ボウルに移す。
ボウルの底を、氷水を張ったボウルにつけて冷やす。清潔な容器に入れて密封し、冷蔵または冷凍で保存する。保存期間は、冷蔵なら2ヶ月、冷凍なら1年。
1949年高知県生まれ。68年、中国料理研究部に所属し、中国料理の道に進む。76年より中国料理研究部出身の故小笹六郎さんが開いた「知味斎」に勤務。87年、東京・吉祥寺に「知味 竹廬山房」をオープンし、旬の素材を取り入れた月替りのコース料理で中国料理界に新風を巻き起こした(2019年閉店)。著書『鮮 中国料理味づくりのコツ たまには花椒塩を添えて』、共著『野菜の中国料理』、『乾貨の中国料理』(すべて柴田書店)など携わった本は、中国料理を志す人にとって必携の書になっている。
文:澁川祐子 撮影:今清水隆宏