令和の湯島聖堂「中国料理研究部」、第6回目は、豚肉と卵の炒めもの「木樨肉(ムゥシィロウ)」。日本でも“豚肉ときくらげの卵炒め”としておなじみですが、きくらげを入れず、あくまでも卵を主役にするのが、昔ながらの北京菜スタイルです。
豚肉と玉子の炒めものは現在、「木須肉(ムースーロー)」の名前で知られている。そのもとの名が「木樨肉(ムゥシィロウ)」だ。木樨とは、金木犀のこと。肉にからむ、ふわふわな玉子を金木犀の花になぞらえている。
具にはきくらげや筍、青菜などを加えることが多いが、山本さんが中国料理研究部で働き始めた1968年当時、聖堂の宿舎で書き写したレシピには、材料は豚肉と卵以外は生姜とねぎだけ。これは前回の北京式あんかけ麺に続き、「景嘉(ケイカ)先生のレシピです」と山本さんは言う。
「景嘉先生があるとき、宮内府役人と北京の料理店で木樨肉を注文したら、きくらげと筍が入っていたそうです。それを見た役人は『これは木樨肉ではない』と抗議したといいます。他の材料を加えると、主役である玉子の鮮やかな色合いや、まろやかな風味と舌ざわりを損なってしまうからでしょう」
玉子をふんわりつややかに仕上げるには、玉子と相性のいい油を、惜しみなく使うこと。加えて、強火で十分に油を熱すること。それさえ守れば、あとは最低限の材料と調味料があればよし。
「景嘉先生は、『料理の目的は素材の味を最高に引き出すこと。材料の配合、切り方、調味料などはすべて主材料の味を引き立てるものでなくてはならない』とよく話していました。このシンプルな木樨肉のレシピには、景嘉先生の一貫した姿勢がよく表れています」
主材料を活かすために必要とされる副材料や調味料は、多ければいいというものではない。材料をあれこれ入れると、ややもすると主材料の個性がぼやけかねない。調理にしても、主材料を立たせるためにふさわしい切り方や火の入れ具合があり、そうした一つひとつが積み重なって、調和のとれた一皿が生まれる。
極限まで削ぎ落とすからこそ、主役の玉子の味わいが際立つ。聖堂に伝わった木樨肉は、今や本場でも見かけなくなった究極のミニマルレシピだった。
豚ヒレ肉 | 100g |
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卵 | 3個(溶きほぐしておく) |
ねぎ | 1/2本 |
生姜 | 15g |
醤油 | 大さじ1 |
水 | 大さじ2 |
塩 | 少々 |
油 | 200ml(1カップ) |
豚肉は5mm幅の細切りにする。生姜はみじん切りにする。ねぎは縦に2つ割にし、4cm長さの斜め薄切りにする。卵はよく割りほぐし、ごく少々の塩を入れて混ぜる。
鍋に油1カップを熱し、十分に熱くなったら溶いた卵を入れる。卵が油を吸って、ぷーっと膨らんできたところを手早く大きくかきまわす。ふんわりと全体に火が通ったら、かき玉子だけを取り出す。残った油は、油壺に戻す。
鍋に油大さじ1を熱し、肉を中火で炒める。ほぐれてきたら、生姜、ねぎを加えて炒め合わせる。香りが出てきたら、醤油、水を加える。2のかき玉子を鍋に戻し、炒り混ぜる。
1949年高知県生まれ。68年、中国料理研究部に所属し、中国料理の道に進む。76年より中国料理研究部出身の故小笹六郎さんが開いた「知味斎」に勤務。87年、東京・吉祥寺に「知味 竹廬山房」をオープンし、旬の素材を取り入れた月替りのコース料理で中国料理界に新風を巻き起こした(2019年閉店)。著書『鮮 中国料理味づくりのコツ たまには花椒塩を添えて』、共著『野菜の中国料理』、『乾貨の中国料理』(すべて柴田書店)など携わった本は、中国料理を志す人にとって必携の書になっている。
文:澁川祐子 撮影:今清水隆宏