dancyu1991年4月号に掲載された「実演!『旨い飯』秘伝――浪速の『飯炊き名人』に奥義を習う」を再録します。大阪は堺の「銀シャリ屋 ゲコ亭」主人の村嶋孟さんは昭和の時代から永きにわたって、飯炊きに命を賭けてきました。その姿勢は令和の世になっても、変わりません。28年前、若き日の飯炊き名人の姿がここにあります。
4半世紀以上にわたって、午前6時起床、体操で体をほぐした後、米をとぎはじめ、午後2時ごろまでの間に3升炊きの釜四つでそれぞれ4回ずつ、毎日500~600人の胃袋に収まるメシを炊き続けた人物がいる。
大阪は堺市の大衆食堂「ゲコ亭」の主・村嶋孟さんは、
「アホやからできたんですわ」
とサラリと言ってのけるが、焼き魚、てんぷら、トンカツからきんぴらまで、おかずづくりと店の接客はすべて奥さんと息子さん、そしてパートの人たちにまかせ、店の道路をはさんだ向かいにあるざっと30坪ほどの“仕事場”で、ひたすらメシを炊き続けただけに、独特の工夫をこらし、その仕事に限りない自負を持っているようだ。
旨いメシを炊くにはまず米の選択から始まる。村嶋さんはこう説く。
「昔の托鉢のお坊さんが、いろいろな人にもらった米を炊いて食べたらおいしかった、という話を本で読んだことがあります。米はブレンドしたほうが旨いんでしょうね」
さまざまの米が混じることによって、“味の相互作用”が出て旨味が増すというのだ。「ゲコ亭」では村嶋さんの“思想”にもとづいて、新潟産の「コシヒカリ」70%、滋賀産の「日本晴」30%の割合でブレンドして使っている。
「昔は硬質米(日本晴など)が好まれたのですが、現在は軟質米(コシヒカリなど)のほうが人気があります。ウチは食通を相手にしているわけではないので、時代にあった最もポピュラーな味を狙っているんですよ」と村嶋さんは言う。
「11時からご飯がなくなるまで」
平均4時間の「ゲコ亭」の営業時間中、常時列をなす客たちを満足させ、何度も足を運ばせる炊き方の秘訣は一体どこにあるのか。
「水浸時間と水加減がポイントです」
というのがプロのご託宣だ。
新米の時期、夏、冬と季節によって微妙に変える。
むろん、新米の時期は水を少なめにするし、夏場はやや水を多くするのだが、
「米1合に対して水コップ3杯」と言った具合にはいかない。長い経験に裏打ちされた「カン」に頼っているのだ。
とぎ方ひとつ取っても、村嶋さんの一挙手一投足は「芸」の域にさえ達しているのだ。
ざっと水を入れる。さっとひととぎ――。
ここまでほんの一瞬である。身のこなしに一分のスキもない。
「ひととぎしたら米の良し悪しは感触でわかります」と村嶋さん。
最初のひととぎは手早く済ませて水を替えないと、炊き上がったご飯が「ぬかくさくなる」のだという。
ひととぎの後は、なでるように5~6回ゆっくりととぐ。
「私は心を磨くつもりでやっているんです。わかりやすく言えば、女の子をなでるような感じと言えばいいのかな」と村嶋さんは微笑みながら話す。
米をとぐ水も大事であるのは言うまでもない。村嶋さんは井戸を掘り、かつて千利休がお茶をたてるのに使ったのと同じ水系の水でとぐ。しかも、最後の米を浸す水はカメにあらかじめ汲んでおいたもの。
カメの中には数個の牡蠣の殻が入っている。
科学的な根拠があるわけではないが、
「カルシウムが水の中に溶け込んで体にいいはず」
と村嶋さんは固く信じているのだ。
飯炊きの最大のポイント“最後の水加減”の調整にはひしゃくを使う。
点火する直前に釜の蓋をあけ、ほんの少しだけ水を足したり減らしたりする。28年間きたえた“目”と、一年中シャツ一枚で過ごす“体”で感じる季節感をもとに、最後の微調整を行うのだ。
この時の村嶋さんの目は鋭く光る。ひしゃくは彼の肉体の一部になった印象さえ受ける。
こうして、鮮やかな手さばきで作業を続けながら、村嶋さんの頭の中には常に四つの釜の状況が入っている。
店の方から女性が、
「ご飯お願いします」
と小走りにやってくると、お櫃に移したご飯を「ハイ」と渡しながら、
「お客さんの入りはどう」
と聞く。
いつも満員なので確かめるまでもないのだが、客の入りによって、炊くスピード、蒸らしの時間の調整を巧まずして測っているわけだ。
村嶋さんの飯炊きはこだわりの連続である。
水、とぎ方、米。同じステンレス製の釜でさえもひとつひとつに表情があるという。
「体調の悪いときなどは納得できるご飯が炊けませんね」と語るほど仕事に執念を燃やす。
休日には4時間半かけて、飲み食い小便ナシで山歩きして体調を整えている。
最後に、
「家庭での炊き方のコツは?」
と聞いてみると、こんな答え。
「水道の水を使っているんじゃ米にいくらこだわっても旨いメシは炊けません。ま、家庭では無理でしょう」
だが、体を動かし、汗を流せば、
「メシはうまく思えるはず」とのこと。
ファミリーレストランでハンバーグやカレーを食べている人たちにはホントに旨いメシなどわかりっこないのだから――と言っているかのようであった。
おいしいご飯を炊くためにまず必要なのが、良い水だ。「ゲコ亭」では、店の裏側で汲んだ井戸水を使う。
最初のひととぎを手早く済ませた後、水が濁らなくなるまでゆっくりと「女の子をなでるように」とぐ。
とぎ終えた米は、素早く金物のざるにあけ、約1時間吸水する。米の新旧によって時間を調整する。
吸水の終わった米を釜に入れる。体に染み付いた動きは、鮮やかに米を運ぶ。
釜に水を入れる。最後の水加減の調節のときだけは、メガネをかける。
水加減は米の新旧、その日の気温、釜によって微調整する。
炊く時間はスイッチを入れてから19~20分。
釜肌からしゃもじを入れてご飯をはずし、全体に混ぜながら吸水性の高いお櫃に移す。
文:川嶋光 写真:熊谷武二