
編集部が注目する、おいしくて居心地のいい店をご紹介する連載「いい店見つけた!」。第15回は、かっぱ橋道具街のほど近くに誕生したイタリア料理店「il Noce(イル ノーチェ)」。"料理界のサラブレッド夫婦"が営む、無類のパスタ愛に溢れた一軒です。
「とにかく麺が好きなんです。父親がちゃんぽんや五島うどん、島原そうめんで知られる長崎出身ですし、おばも『島原そうめん』をつくる製麺会社に勤めていましたから」
と、自身に流れる麺好きの血をたどるのは、今年5月、かっぱ橋交差点近くにオープンした「il Noce(イル ノーチェ)」の荒木康朗シェフだ。メニューには、手打ちや乾麺のパスタ数種類が書かれている。だが、それは膨大にある引き出しの一端に過ぎない。バックヤードには、中空ロングパスタのブカティーニをはじめ数十種類もの乾麺が取り揃えられている。

ともに店を切り盛りする、妻のくるみさんもうどんで知られる埼玉県加須(かぞ)の出身。しかし2人の共通項は「麺」のみにあらず。
シェフの父は、ホテルオークラ東京のオークラガーデンホテル上海の総料理長という生粋のフレンチシェフ。兄も現在The Okura TOKYOでヌーヴェル・エポックのシェフパティシエをつとめている。くるみさんの実家も、100名を収容する加須の日本料理店でこちらは両親とも料理人という、まさに料理界のサラブレッド的な夫婦なのだ。


仕込み中に遊びに来たシェフの父親(レジェンド)がナプキンを畳み、埼玉で広大な農地を営むくるみさんの祖母から大量の野菜が届く。
「祖母の畑の野菜、とてもおいしいんです。でも実家が日本料理店なのに、ズッキーニやブロッコリー、カリフラワーなどなぜか日本料理で使わない野菜を育てていて、『使って』ってこちらに回ってくる。オープンする頃、『いつか白なすをつくってほしいなあ』って伝えたら、早速育ててもう送られてきました(笑)」(くるみさん)
その野菜をふんだんに使った前菜の盛り合わせが差し出される。「おいしそう!」という声とともに、卓上に客の笑顔がパアァッと広がる。
この日の盛り合わせは6種。祖母の畑から送られてきた白なすのフリットには薄くスライスしたラルド(豚の背脂)をまとわせた。魚介のマリネサラダはにんにくオイルとレモンのドレッシング。シェフがホテル西洋銀座で覚えたレシピだ。水牛のブラータには加須の名人が育てたいちじくが添えられ、じっくりとした火入れで甘く仕上げられた赤パプリカにはツナとエシャロットを詰めた。

そして「麺好き」荒木シェフの真骨頂はやはりパスタ。「メニュー外のパスタでも、お客さまからリクエストされるとつい受けたくなってしまう」というが、そもそも訪れるたびに違うパスタがメニューには記されている。
「ワインのアテになるような手打ちやショートパスタが好きなんです。特に地域にこだわりはありませんが、暑い時期は夏野菜を使った南のパスタが多くなりますね」
この日のパスタは南部プーリアのストラッシナーティ。セモリナ粉で打った生地を小さく丸め、指の腹で引きずるようにしてつくるショートパスタだ。もっちりした強い食感と、グッと噛むとそこから立ち上る小麦の香りが印象的で、粗挽き豚の白いラグーソースから立ち上るフェンネルの青い香りと豚肉の濃厚な野趣に、グラスを口に運ぶ右手がにわかに忙しくなる。

白のパスタを出されたら、赤のパスタをも頼みなさい。と、イエス・キリストに言われなくてももちろん赤いパスタだっていただきたい。この日はシチリアの定番くるくるパスタ、ブジアーティ。らせん状に巻かれたつるぷるっとした口当たりは踊りだしそうな楽しさと、その奥にもっちりした口当たりが隠れている。赤ワインにンドゥイヤ(豚肉と唐辛子を練り上げたペースト状のサラミ)とイカラグーという旨味たっぷりソースが絡みまくる。

「冬には加須から葉物がたくさん届きそうなので、ヴェネトやロンバルディアなど北の方のパスタが増えると思います」
開業前には、3週間かけて北から南までイタリアを巡った。ローマ、フィレンツェ、トリノ、ヴェネト、シチリア、プーリア、ナポリ……。土着の味を噛み締め、味はその土地の気風や気候と不可分だと改めて知った。肩に力を入れずに、素材と季節に合わせたイタリア郷土の味を届けていく。
「メインの定番がポークチョップということもあり、肉の焼き方はそれほどイタリアっぽくないかもしれません。いまはグリルパンで表面に脂を焦がしたような香りをつけ、その後、芯までじんわり熱を加える火入れですね」
ナイフを入れた断面は瑞々しいグレーピンク色。それでいて骨の際や肉の内部まできっちり熱が通っている。ほどよい弾力があり、歯切れがよく、それでいてジューシー。すべての豚肉がこんなふうに焼かれたら、世界中が幸せなのに。そう思える焼き上がりだ。
そしてこの店ではもう一皿、シグネチャーディッシュがある。"ぬま田海苔のリゾット"だ。オープン前に働いていたお店のオーナーに「ぬま田海苔さんの海苔、おいしいから何かつくってよ」と声をかけられてつくり上げたメニューだ。
新潟産のカルナローリ米に、鶏のブロードとともにあおさの磯の風味とチーズのコクを存分に吸わせる。そこに卵黄を落とし、初摘みのばら干し海苔と手でもんだ板海苔をふんだんに散らす。仕上げにイタリア産のトリュフ醤油をひと垂らし。カルナローリ米を介して、ブロードと熟成チーズと海苔という奥深い旨味のハーモニーが立ち上がる。
地域と系譜を経由して、たどり着いたこの店だけの味。無数の縁で、この店はつむがれている。
酒はくるみさんの祖母の出身地である新潟のエチゴビールが受託醸造する"ガージェリーXale"や地元の"加須麦酒"、そしてもちろんイタリアワインあれこれ。店のカウンターや床材には、指定したわけでもないのに偶然にも「くるみ」材が持ち込まれた。店内には本誌でもおなじみ、イタリア食文化に造詣の深いハヤシコウさんのイラストがそこかしこに飾られている。
すべての縁はここに帰結する。「il Noce(イル ノーチェ)」、イタリア語で"くるみの木"の意。
文:松浦 達也 撮影:海老原俊之