
2026年『日本酒dancyu』第3号「出会えてよかった! 心ふるえる酒」特集から今回ご紹介するのは、福岡県大川市の「若波」です。20代〜30代の3人が“チーム若波”を結成し、醸した酒が鮮烈の全国デビューを果たしてから14年。その結束はますます固く、目標はますます高く、若波は今、ビッグウエーブへと変貌を遂げています。
丸の中に「若」の文字と青海波が描かれた斬新なラベルで目を引く福岡の酒「若波」。通称“◯若シリーズ”の全国デビューは2012年。旨味の盛り上がりと、潔い引きの心地よさ、ラベルの魅力も相まって、一気に日本酒ファンの心を捉えた。
さらに、最近、コスパの良さで話題を集めるのがレトロラベルの本醸造酒だ。地元向けの日常酒だったが、大阪の酒販店主が蔵で発見し、「メッチャいいやん!」と扱い始めて噂が拡散。洗練されたモダンな飲み口は、70%精米の飯米で醸した手頃な価格の本醸造とは思えない上質感だ。○若シリーズの純米吟醸酒や純米酒なども、緻密に、のびやかに、引き際はますます美しく変貌を遂げた。以前の“キャッチー”な酒から、料理に寄り添いながら飲み手を口福に誘う、紛れもない名酒へと深化しているのだ。

11年に跡継ぎの今村嘉一郎(かいちろう)さんと、姉の友香(ゆか)さん、現杜氏の庄司隆宏さん、20代〜30代の若い3人が“チーム若波”を結成し、“新生若波”として始動。無二のチームワークで、大きな成果を上げてきた。
蔵は訪れる度に新しい設備が入り、別の蔵かと錯覚するほど。今回はスタッフの働きぶりにも目が留まった。7年前は友香さんが一人で後片付けに奮闘していたが、今回は作業が終わると、スタッフがすかさず掃除を始め、嘉一郎さんが颯爽と消毒。毎週土曜は清掃の日と決め、製造スタッフ全員で半日をかけて蔵の中を徹底的に磨き上げるという。蔵は隅々まで整理整頓が行き届き、壁も床もピカピカ。一粒の米も落ちていない。全員が目標を共有し、気持ちよく働いていることが伝わってくる。

1922年に創業した若波酒造は、二代目のときは2000石以上を造っていた。嘉一郎さんと友香さんの父にあたる三代目の壽男(ひさお)さんが継いだ頃には販売量が減少。杜氏は高齢のために蔵を去り、壽男さんは酒造りを始めたが、慣れない仕事による過労と心労で体調を崩してしまう。
次女の友香さんは当時、京都の大学を卒業して憧れの古典芸能の仕事に就職が決まったところだったが、母の依頼で、事務仕事を手伝うため、やむなく帰郷。
「姉は就職し、弟は大学生で東京にいる。自分だけが家業の犠牲になったと悲観しました」と友香さん。だが、冬になると神主が来て祈祷をし、米を蒸す湯気が上がった。そんな光景に魅せられ、酒蔵の仕事こそ自分が携わりたかった日本の伝統産業だと気がつき、蔵に入りたいと申し出た。
「醪(もろみ)の温度を計っていると、タンクの中で刻々と姿が変わっていく。発酵の不思議に興味を抱くようになり、日本酒について学びたいという思いが湧いてきたんです」。
思い込んだら猪突猛進の友香さん。酒類総合研究所の複数のコースを受講し、夢中で酒造りを学ぶ。その上級コースで、秋田の酒造会社の社員だった庄司隆宏さんと出会う。庄司さんは仙台に生まれ、信用金庫に勤めたが、「磯自慢」で日本酒に目覚めて脱サラ。厳寒の酒蔵に住み込みで酒造り修業をしていた。上級コースの同期の中でも特別に優秀で、友香さんと味の好みも近く、一目置く存在だった。

友香さんは、2006年、福岡国税局酒類鑑評会で九州の女性として初の優等賞を受賞。杜氏組合長にも認められ、杜氏と名乗ることにした。一方、地元特産の苺(いちご)“あまおう”を原料にしたリキュールを大ヒットさせ、家業を立て直した。
友香さんは、酒造りを引き継ぐ覚悟を決めたが、蔵元を継承するのは今村家長男の弟だという揺るぎない信念があった。


文:山同敦子 撮影:松隈直樹