
その町の住人が長く通う店こそ、愛される名店に違いない。dancyu2026年春号では、芦屋「メツゲライクスダ」楠田裕彦さんに、地元神戸と職場がある芦屋周辺の愛すべき店を案内してもらいました。
新開地で大正14(1925)年から暖簾を守り続ける「春陽軒」。
神戸を代表する豚まんの名店として知られるこの店は、初代が掲げた「元祖和風中華料理」の考えのもと、日本人の味覚になじむ一品を生み出した。
その味は、「メツゲライクスダ」の楠田裕彦さんにとっても、幼い頃から慣れ親しんできた神戸の味だ。
「味噌味の豚まんは、ここだけ。子どもの頃から食べていますが、やっぱり替えのきかない存在ですね」と楠田さん。
豚の挽き肉と淡路島産玉ねぎを合わせ、味噌で仕上げた餡は、一般的な豚まんとはひと味違う。味噌のコクが肉の旨味をやさしく包み込み、どこかほっとする味わいを生み出している。


特筆すべきは独特の生地。店主の山本豪(つよし)さんによると、前日に仕込んだ種を継ぎ足しながら発酵・熟成を重ねる製法を受け継いできたという。ひと口頬張れば、むっちりとした弾力としっとりとした口当たり、そしてほのかな甘味が広がる。餡と生地、そのどちらが欠けても、この豚まんにはならない。
蒸籠のふたが開くたび、湯気とともに蒸したての豚まんが次々と店頭へ並び、すぐにお客さんの手へ渡っていく。その光景は、長年変わることのない新開地の日常だ。
「少しでも味を変えると、お客さんに怒られるんですよ」。そう言って笑う山本さんの言葉からも、この味がいかに街の人々に愛され、信頼されてきたかが伝わってくる。
地元では、蒸したての豚まんにウスターソースと辛子味噌を添えるのが地元流。まずはそのまま、そしてソースを少し。味の変化を楽しみながら頬張るのも楽しい。
100年近く変わらない味には、時代を超えて受け継がれてきた技術と、人々の思い出が詰まっている。
楠田さんにとって「春陽軒」は、神戸という街の記憶を、今も変わらぬおいしさで包み続けてくれる一軒なのである。





神戸市生まれ。ドイツ・フランスで修業後、鹿児島「クスダハム工房」を経て2004年、芦屋で独立。創業20年目となる24年、東京「麻布台ヒルズ」に新ブランドを出店。

文:船井香緒里 写真:福森クニヒロ