
23年前、杜氏2年目に醸した酒は若々しいエネルギーに満ちた、飲み手に衝撃をもたらす一本だった。「Think Globally, Act Locally」を指針とし、世界視野でものを捉え、地に足をつけて歩んできた「貴」の酒は今、食事とともに楽しめる、ほっこり安らかな酒だ。本記事は「日本酒dancyu vol.1」(2025年2月6日発売)から特別公開中。
2026年2月5日に発売を予定している「日本酒dancyu vol.3」。
その発売にさきがけ、2025年に発売した「日本酒dancyu vol.1 ゴールデンエイジの日本酒」から、記事を一部抜粋してお届けします。


「うわっ!」「おお~!」
私語を発しないことを原則とする試飲会で小さな歓声が上がった。それは22年前。dancyu2003年3月号日本酒特集に掲載する酒を選ぶ試飲会で、「特別純米 貴(たか)」が注がれたときのこと。推薦した酒販店によると27歳(当時)の蔵元の次男、永山貴博さんが杜氏就任2年目の作ということだった。一口で、酒が放つ若々しいエネルギーに圧倒された。米の旨味を表現しようとする若い造り手のひたむきさが心に響き、声が出てしまったのだ。他のテイスターも同じだったようで、「粗削りだが未来への期待値大」などのコメントが集まり、「隠れた地方の名酒」部門で一番人気に輝いたのである。
その後「貴」は、ほっと癒されるような穏やかな米の味が魅力的な酒に成長。料理に寄り添う名脇役として、全国区の名酒へとステップアップした。永山本家酒造場は山口県宇部市で1888(明治21)年に創業し、代々「男山」銘柄の酒を造ってきた。

「高度成長期はどんどん酒が売れていたけれど、貴博が生まれた1975年頃から売れなくなって、ビールの卸業でしのいできたんじゃ」とお国言葉で話すのは、父で四代目の義毅(よしき)さん。全国の日本酒の出荷量も73酒造年度(73年7月~74年6月)をピークに下降している。家業の衰退を感じながら育った永山さんは、高校卒業後カナダへ語学留学する。「後継ぎには兄がいて、酒蔵に僕の居場所はない。海外で自分の生きる道を見つけるつもりでした」。
留学生活で将来の目的は見えなかったが、世界の中の日本という視点を知らず知らずのうちに養っていた。そのことに気がつくのはのちのこと。帰国すると家業はどん底だった。バイト感覚でビールを配達しつつ、いつか家を出ようとグータラしていた。そんな折、酒類総合研究所で蔵元の子息を対象に泊まり込みで酒造りが学べると情報が入る。95年に20歳で入った研究所での9ヶ月で永山さんは覚醒する。

研究生の間で話題になっていたのが、2年前にデビューし、スターに躍り出た「十四代」(山形)の存在だった。「僕より7歳上の後継ぎが自ら酒を造ったと知って衝撃を受けました。蔵の息子は“酒造りを通して自分の世界を表現できる”ことを示してくれたんです」。11歳上の同期生、「喜久醉(きくよい)」(静岡)蔵元の青島孝さんにも大きな影響を受けた。異業種に就き、NYで活躍していたが、家業を生涯の仕事として選んだ青島さん。その覚悟に触れた永山さんがたどり着いたのは「Think Globally, Act Locally.世界視野でものを捉え、地に足をつけて行動することを、生きる指針として胸に刻みました」。



文:山同敦子 撮影:エレファント・タカ