
進化する東京の町焼肉。今回ご紹介するのは、予約はすでに2027年まで埋まっているという、東京でも指折りの人気焼肉店「焼肉幸泉」です。
「変わらない味」が評判の名店に話を聞くと、にやっと笑いながら「実は少しずつ変えてるんだけどね」と返されることが多い。先週、先々週と2週連続掲載となった鹿浜の『スタミナ苑』もそうだ。60年近く、王道の味わいを少しずつ上書きしながら客を喜ばせてきた。
一方、ノスタルジーを継いで新たな扉を開く店もある。本連載の初回で触れた「焼肉ここち(以下、ここち)」は高円寺の大一市場内にあった祖母のキムチ屋を父が韓国料理店に、兄が焼肉店に仕立て直し、兄の店を居抜きで受け継いだ第三世代の木村舜徹さんがブレイクさせた。
その第三世代ブレイクの象徴が京成立石駅前の「幸泉」だ。店主の安龍秀さんは、2022年3月、祖母が40年間立ち続けてきたカウンター焼肉店を継いだ。
安さんが生まれたとき、もう「幸泉」はあった。物心ついた頃から祖母の味になじんできた。日常の延長線上にあるごちそうと言えば焼肉。中学、高校と家の外へと交流範囲が広がっても、ハレの集まりがあるときはたいてい焼肉だった。
「朝鮮学校だと運動会が終わったら運動場に七輪を持ち込むくらい焼肉が身近なんですよ。砂町の『スタミナ苑』には高校のときよく行きましたけど、そもそも訪れるようになったのもボンジュさん(呉奉柱(オ・ボンジュ)さん・砂町スタミナ苑の当代)の弟が僕と同級生だったから(笑)。僕らにとって焼肉ってそういうもの。だから実は、鹿浜には食べに行ったことがないんです。行列して焼肉を食べるという習慣がなくて。足立区の方だと興野あたりの行列のない店に行くことが多かったですね」
そう、安さんにとって焼肉はソウルフードなのだ。着替えてお出かけする外食ではなく、家族や友達の実家、催しの打ち上げで、にぎにぎしく楽しい時間を過ごす。その輪の真ん中に七輪やロースターがあり、もうもうと煙を上げながら肉を焼く。焼肉は日常の営みの中にあるものだった。
高校卒業後、安さんは神田の「金山商店」など焼肉店で働きながら、様々な焼肉に触れてきた。それは安さんにとってのソウルフードを仕事にするために必要な期間だった。だが12年という修業期間を経ても、安さんにとっての焼肉の味と言えば、自分のルーツである祖母のタレの味だった。
「僕が継ぐことができる時期まで、おばあちゃんが守った暖簾を僕がつぶすわけにはいかないじゃないですか。僕にとっての焼肉のタレと言えばやっぱりおばあちゃんの味ですし」
「幸泉」を継ぐことを決意し、祖母からタレを学んだ。それは店のしつらえとともに、安さんにとっても守るべきノスタルジーだった。そこに修業先で学んだ肉仕事を土台に、同世代の焼肉店主の仲間とやり取りを重ねてメニューを組み上げた。現在もほぼすべての肉の味つけのベースは祖母のタレで、その上に肉に合うような味わいを乗せていく。
一方で肉の仕入れは自力でも切り拓いた。学校の先輩・後輩には焼肉店に関わる人も多い。本連載で何度か触れているように、この世代のネットワークは強い。安さんと年の近い高円寺「ここち」とは肉の仕入先も同じで、同じ個体の右半身と左半身を分け合う仲だ。
9月上旬に訪れた時、隣席で肉を頬張っていた「サカエヤ」(滋賀県)の新保吉伸さんがハラミを頬張りながら「うまいなあ。焼肉はこういうのがええなあ」と、珍しくレモンサワーや焼酎の梅割りのグラスを傾けていた。
翌日、新保さんが複数のSNSで「肉の断面の艶、脂の入り方、そして何より処理の丁寧さが、そのまま店の実力を物語っています」「心から「美味しい」と思える時間でした」と激賞していた。初めて訪れた大衆店で新保さんがここまで書くのは珍しいが、最近の「幸泉」は訪れるたびに切り出された肉は美しくなり、その味も力強くなっている。
ただし、新保さんがSNSに書いていた「短パンにビーサンのまま、ふらりと立ち寄れて、仲間と気楽にテーブルを囲む。勘定を済ませれば1万円でお釣りがくる」というイメージはちょっと訂正しておきたい。確かに以前はそうだったが、いま「幸泉」は“ふらりと立ち寄ることができる店”ではなくなっている。
焼肉好きならご存じだろうが、オープンから2年が過ぎて「幸泉」は東京でも指折りの予約困難店になった。安さんの仕事ぶりに加えて、立石駅周辺の再開発が本格化し「次が最後かも」という客の飢餓感が煽られたからだ。しかも計画が延び延びになっているので、移転の詳細もまだ決められず、現在、新規の予約は受けていない。既存客の予約も2027年までで打ち止め状態。
「立ち退きは2027年末から2028年3月あたりという話なんですが、再開発の実施時期がはっきりしないとこれ以上お受けするわけにもいかなくて……。継いだばかりの頃は、まさかこんなことになるとは思わなかった」と言うように、店は2年先まで連日満席だが、先のことばかり考えてもいられない。現在は午前中には店に入って仕込みを開始し、営業後、最後の客を送り出した後、店の灯りを消すのは深夜2時過ぎ。これが安さんの日常だ。
この原稿を書いている僕自身も次にいつこの店のカウンター、もしくは「いまさらながら」と今年7月にエアコンが入った2階の座敷にありつけるかはわからない。でも、いまの場所でも、いまだ決まらぬ移転先でも、お声がかかったら万難を排して伺いたい。
移ろいゆく風景のなか、歩みを止めない肉仕事と郷愁に満ちた佇まい。訪れるたびに湧き上がる高揚感と惜別の情に、「五感」という言葉では追いつかないほど官能と感情が揺さぶられる。記憶に焼きつくこの味わいに抗えるわけがない。
文・写真:松浦達也