日本全国出張ひとり飲み
【島根・松江のおでんでひとり飲み】旨しおでんを、極上の海の幸とともに

【島根・松江のおでんでひとり飲み】旨しおでんを、極上の海の幸とともに

たとえ出張であっても、旅先での意外な美味発見はうれしいものだ。島根県松江市といえば宍道湖のシジミが広く知られるが、実は全国屈指のおでんの街でもある。地元で長らく愛され続けてきた老舗「おでん庄助」では、夏の疲れにじんわりしみるおでんと日本海の幸、さらにはひとり飲みをやわらかに彩る夕景が胸に刻まれる。

おでんだけではない美味に迷う幸せ

おでんと聞いて多くの方が真っ先に思い浮かべるのは、東京、大阪、金沢、静岡あたりだろうか。もし島根県松江市がそのラインアップになければ、ぜひとも加えていただきたい。人口比におけるおでん店の数が、実は全国トップクラスという密度を誇るのだ。実際、夜の街へと繰り出せば、「おでん」を主張する提灯が至るところで誘いかけるが、数あるなかで真っ先に訪ねていただきたいのが、昭和23年から続く「おでん庄助」だ。
小上がりや宴会もできる座敷に加え、ゆとりをもった空間にはひとり飲みにうってつけのカウンター席が、おでん鍋を囲むエリアと窓辺に設けられている。鍋前でなににしようかと迷うのもいいのだが、大きく取られた窓の向こうに宍道湖から流れ出る大橋川が見える席もまた良し。江戸時代から人々が行き交い、現在の姿は昭和12年完成の17代目という松江大橋が、風情ある眺めをもたらす。
とはいえ、夏なのにおでん?そう疑問に思う方がいるかもしれないが、どうぞご安心あれ。口にすれば、そんな懸念は吹き飛び、喜びが込み上げる。容赦ない日差しを浴びてくたびれている体にさりげなく、そしてやさしくしみるおいしさなのだ。となれば席について即注文といきたいものの、「110円~」から「440円~」まで、価格帯で分けられたおでんだねは30種以上。初めての場合、速攻セレクトは容易ではない上、お造り、焼き魚や煮魚、揚げ物、箸休めにもなる品々など、おでん以外のメニューが極めて充実している松江の流儀にノックダウン。情報過多で混乱する心と頭をアルコールで落ち着かせ、あらためてゆっくりメニューを吟味するのが至福への近道となる。

おでん鍋前
食欲そそるおでん鍋前
窓辺の良き眺め
松江大橋(左上)と大橋川を望む窓辺の良き眺め。盛り合わせは「110円~」の玉子、とうふ、板こんにゃく、シュウマイ、豆苗。

ああ、悩ましい、おでんも旨いが魚も唐揚げも旨い

おでん
春菊をはじめ、葉物が入るのも松江のおでんの特徴。冬はセリが登場する。奥はアイリッシュウイスキーの「ブッシュミルズ」。
揚げ出し
野菜などが練り込まれた「揚げ出し」(手前)など変わり種は多数。
たけのこ、糸こんにゃく、ごぼう天
たけのこ、糸こんにゃく、ごぼう天のような渋めのおでんだねも、食感や風味が際立ち魅了される。
ネギとソーセージ、つみれのコンビネーション「ねぎま」
タコは噛むほどに口中が旨味の海と化す。中央はネギとソーセージ、つみれのコンビネーション「ねぎま」。
真鯛の刺身と「スライスらっきょう」
真鯛の刺身と「スライスらっきょう」
アオリイカの刺身と「きゅうりとなすの浅漬け」
アオリイカの刺身と「きゅうりとなすの浅漬け」
高正宗
カレイの唐揚げに合わせたのは高正宗。徳利で出される1合・2合に加え、ちろりから注ぐ「コップ」あり。おでん以外の料理は日替わり。料金表示はないが、基本的には懐にやさしい価格。一部、ノドグロやアワビといったご馳走食材は少々値が張るので、欲望に応じてご確認を。
カレイの唐揚げ

喉を潤すなら生ビール、レモンサワー、ハイボールなどが揃うが、ドリンクメニューにはアイリッシュウイスキー「ブッシュミルズ」があるのもどうぞお見逃しなく。アイルランドは明治期に松江で暮らした、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの故郷という縁ゆえだ。ほんのり甘味を秘めた穏やかな風味と軽い余韻は、和の旨味とも相性がいい。日本酒は隠岐酒造の「高正宗」「隠岐誉」、松江市内の酒蔵「李白」「豊の秋」。島根の酒は米の存在感がほわんと程よくふくらみつつ、キレ良し。飲んですこぶる心地よい上、料理に寄り添い引き立てる。
前置きが長くなったが、おでんに進もう。時間をかけても迷い道から出られない場合は、一番お安い「110円~」の玉子、とうふ、板こんにゃく、シュウマイ、豆苗をとりあえず頼むと道が拓ける。財布の紐を引き締めているわけではなく、シンプルなだけにこの店の魅力がとてもわかりやすいのだ。
ダシは鶏ガラがベースで、開店以来つぎ足されてきたため、様々なおでんだねの旨味も溶け込み、深みあり。色合いは漆黒で濃厚パンチをイメージするも、ほんのり甘くふんわりまるく、余韻は軽く、ああ、なんと美しく品のいいことか。玉子の黄身はほっこり、とうふはふわり、板こんにゃくはぷるん、豆苗はシャキッ、シュウマイはとろ~り。いずれもしみしみしみしみ、しっかり味がしみながら、それぞれの風味がしっかり立っている。
それだけでも充分に幸せなのだが、脂の甘味がとろける真鯛やむっちりむちむち弾むアオリイカの刺身が、官能的な世界へと心を飛ばす。あふんとため息がこぼれたほど、美味なり。からり軽快&肉汁じゅわっの波に唸った鶏の唐揚げは、添えられたキャベツの千切りの瑞々しさにも拍手を送りたくなった。目利き腕利きの職人技に、頭が下がる思いに。感動にひたりつつ、あらためてメニューを見直してあれもこれもと欲望まみれになる。

移転間近、この夏の思い出に

大橋川沿いロケーション
別れを惜しみながら過ごしたい、大橋川沿いのロケーション

おでんに戻れば牛すじや鶏皮などの肉類や、島根の特産品「のやき(トビウオのすり身の練り物)」、ごぼう天など練り物も旨し。ふわふわの「玉子焼き」は幸せのあまり笑みがこぼれ、やわらかな食感のタコはハート泥棒だった。鍋前の様子を窺えば、時折注文の状況に応じて具材を追加し、煮込む塩梅には細やかに気を配っているのが伝わってくる。歳月が培ったダシに加え、心尽くしがあってのおいしさなのだ。
爽やかならっきょうや浅漬けを頼めば、気分のリセットアクセントとして映え、思いはさらに全速前進。おでんも料理もひとり飲みで制覇するのは難しいが、連泊なら翌日もきっと訪れたくなる。
松江のおでんはアゴダシベースなど各店で特徴が異なるので、機会が許されるなら食べ比べも一興。居酒屋でも通年おでんを置く店は多いので、専門店に限らず出合いの場は多いはずだ。そもそもおでん文化の歴史は古く、江戸期中頃に松江藩7代目藩主・松平治郷が、京都で人気の豆腐の醤油煮込みを広めたのが始まりともいわれる。隠居後は不昧(ふまい)公と名乗り、今も地元で親しまれている治郷は茶人、食通としても知られた粋な人。おでんに限らず、和菓子を含めた松江の美味の多くがたいそう上品でやわらかな印象を残すのは、不昧公の洗練された感覚が受け継がれているからかもしれない。
なにはともあれおでん庄助には、できれば早めにお出かけいただきたい。というのも2025年秋の移転が決まっており、川の眺めを愛でながら飲める期間は限られるのだ。2025年10月から始まるNHK連続テレビ小説「ばけばけ」は、ラフカディオ・ハーンの妻で、松江で生まれ育った小泉セツが主役。松江大橋の景色を胸に刻む予習をしておけば、思い入れが深まる楽しみもある。
いや、口福を求めるなら、焦らなくてもいいかな。たとえ場所が移っても、80年近く継がれてきたダシは変わらずに、さらにおいしく育まれていくのだから。

外観

店舗情報店舗情報

おでん庄助
  • 【住所】島根県松江市八軒屋町16 ※2025年秋、島根県松江市和多見町に移転
  • 【電話番号】0852-21-4238(移転後も同)
  • 【営業時間】17:00~21:30
  • 【定休日】日曜、祝日の月曜
  • 【アクセス】JR「松江駅」より徒歩約15分、一畑電車「松江しんじ湖温泉駅」より徒歩約20分

文:山内史子 写真:松隈直樹

山内 史子

山内 史子

青森県出身、紀行作家。一升一斗の「いっとちゃん」と呼ばれる超のんべえ。全都道府県、世界40ヶ国以上を巡り、昼は各地の史跡や物語の舞台に立つ自分に、夜は酒に酔うのが生きがい。著書に「英国ファンタジーをめぐるロンドン散歩」(小学館)など。