
食いしん坊倶楽部のLINEオープンチャット「ナチュラルワイン部」では、今後、メンバーから寄せられた「ナチュラルワインの注ぎ手」を徹底取材してお届け。第3回は、横浜中華街にほど近い「元町マチルダ」の土岐裕次朗さんです。
ナチュラルワインには、どちらかといえば陽気で軽快なイメージがあるが、横浜の『元町マチルダ』は、陽というよりは陰だ。カウンター席に座ってすっと差し出される細くきっちり巻かれたおしぼりに、店主・土岐裕次朗さんの落ち着いた声色。漂うのは、オーセンティックなバーにでもいるような気持ちいい緊張感。壁一面にはナチュラルワインの造り手の空き瓶がずらりと並ぶ。とはいえ、店の重厚な雰囲気とは裏腹に、店主の足元はビーサン。20時までは子供の入店可という心地よいズレ感がまた快い。
一方、注がれるワインは一本筋が通っていて、グラスを傾ければきれいな味の液体が染みわたる。
「僕は北のワインが好きなんだと思います」
そう話す土岐さんの出身は、山々が連なる水の豊かな北海道士別市。自衛隊を経て、イタリア料理店を営む両親のもとで育った影響もあって、飲食の道へ。フレンチを皮切りにさまざまな店でサービスに従事し、2022年、横浜元町に自店を開いた。以来、冷涼な産地のワインを中心に扱うようになっていたという。思い入れがあるというkondoヴィンヤードも冷涼かつ地元、北海道の造り手だ。
「北海道って、新緑の香りも芝生の匂いも風も、ほかのどことも違う。近藤さんの畑に行くたびに、北海道ならではの香りや風を感じて、ああ帰ってきたなあと思えるんです。だからですかね、近藤さんのワインを飲むたびに故郷を思い出します」
「山のミネラルを感じる1本」だというのは、ドメーヌ・ベリュアーの「レ・ペルル・デュ・モンブラン2019」。こちらもやはり冷涼産地、アルプス山脈の麓に広がるフランスはサヴォア地方のワインだ。ラベルに描かれた山の稜線が美しい。
「グランジェという土着品種で造られた発泡ワインなんですが、飲んで、初めて産地の情景がありありと浮かんだワインです。後に輸入元『二番通り酒店』のケンさんから、畑から見る雄大なモンブランの山並みの話を聞いたんですが、僕の脳裏に浮かんだ景色と一致して。店を始めた頃に出会って、めちゃくちゃたくさん取り扱わせてもらって、ずっと飲み続けてきたワインです。好きすぎて、開けすぎて、もうなくなりかけですが」と静かに笑う。
飲んで、雄大なモンブランの情景が浮かんだ。それはきっと、自然溢れる北海道の山々を身近に感じながら育った土岐さんだからこそ。冷涼な産地のワインが主だというセレクトそのものに、注ぎ手のこれまでの人生が詰まっているということなんだろう。
フレンチ出身でクラシックとかナチュールとか分け隔てなく飲んできた土岐さんは、もともとブルゴーニュ好き。ブルゴーニュを象徴する品種、ピノ・ノワールを敬愛している店主のいちおしが、これも冷涼産地ハンガリーの造り手、ベンツェ・ビルトックの「アトラス」だ。
「余韻がとても長く、きれいな酸で、昔のブルゴーニュっぽいんです。造り手夫妻がうちの店に来てくれたこともあって、特別な思い入れがあります。輸入元である『ジャパン・テロワール』さんはグラン・ヴァンも熟知していて。ベンツェもナチュールだからってことではなく、ワインとして素晴らしい。ずっと飲み続けたい、注目の造り手のピノ・ノワールです」
野生酵母で醸すナチュラルワインはとくに、扱い方ひとつで味が変わるもの。土岐さんは、入手してから店の奥のセラーで最低1カ月はボトルを立てて静置させ、液体を安定させてから提供するという。ゆえに、注がれるどのワインもきれいな味わいだ。寄り添うのは、土岐さん手製の優しい味わいの料理。「小さい頃から実家の店で両親の料理する姿を見てきたし、何より料理を知らないとワインを注げないですから」と、自らつくる。冷たい前菜に温かい前菜、メインにパスタまで。少数精鋭で、ひと通り取りそろえる。横浜名物を生み出した崎陽軒にあやかってのシウマイも。パスタは、両親の味で一番好きだったというシンプルなトマトソースのポモドーロがメニューにのぼる。
土岐さんは走る人だ。北海道で生まれ育ったせいか、無性に自然のなかに身を置きたくなるといい、山にも登る。朝イチで丹沢山地へ向かい、下山したその足で店を開ける日も。生産者とともに泊りがけで北アルプスなど登るときは、ボトルとグラスをリュックに詰め込んで。そんな山好きが、「いつか山小屋でワインバーをしてみたいですね。例えば夏の間だけとか」と秘めたる夢を淡々と語る。
「山小屋で、いいグラスで、いいワインを」と。
一歩一歩、土を踏みしめてたどり着いた先で「美味しい水のように清らかなワインが好きだ」という土岐さんに注いでもらう一杯。それはもう、最高に素晴らしいに決まってる。どうか叶えてほしい。
文:安井洋子 撮影:長野陽一