
日本酒ファンなら青森への旅と聞いて、全国区でも広く知られる「田酒」「豊盃」「陸奥八仙」を思うことだろう。それら美酒を旨い寿司とともに味わえる上、気張ることなく一人でもゆったり過ごせるのが青森駅近くの「一八寿し」だ。
港町に旅したなら、当然ながら旨い魚を友に一杯やりたい。となれば居酒屋が一番の近道だが、職人技が映える寿司も魅惑の存在だ。回転寿司から高級店まで選択肢は少なくないものの、旨さは絶対的な条件として、加えての風情、空気感、さらには酒の揃え、価格と、酒飲みが安らぎを覚える多様な条件を備えたところは限られるように思える。そんななか、2025年に「青森開港400年」を迎える青森県青森市、青森駅から程近いメインストリートの裏手に建つ「一八寿し」は、つまみや寿司を頬張りながらのご機嫌ほろ酔いを叶えてくれるありがたい存在だ。
大正2年築の蔵をリノベーションした構えは凜とした佇まいがあり、店内もすっきり品の良さが感じられるしつらいなので、最初は少々臆するかもしれない。実際、地元では遠来からの客の接待でも頼りにされる名店。インバウンドの利用も多く、クルーズ船の寄港日に当たれば世界を旅する乗客で賑わう。しかしながら、ご安心あれ。食べて飲んで満たされても、渋沢栄一でお釣りがくるのだから。メニューを開けば、寿司、つまみ、そして酒の充実ぶりがうれしくなり、お手頃な価格を目にして欲張る思いがふくらむ。
1階はカウンターとテーブル席、2階は個室と大人数でも対応できる空間。職人さんとのやり取りを楽しむなら、津軽弁のやわらかな響きが旅気分を増幅させるカウンターがおすすめだ。一方で気兼ねなくひとりの時間を満喫するなら、ゆとりある空間に並ぶテーブル席が落ち着ける。
飲みモードなら、まずはビールで喉を潤しつまみを吟味。数あるなかで最初の一歩としておすすめしたいのは、薄味でやわらかに炊かれた県産の水ダコだ。くにゅぷにゅとした弾む食感で、噛みしめれば旨味がじゅわ。心を奪う。夏の間なら、青森湾のホヤをぜひとも。澄んだ甘味をたたえたその味わいは、ホヤが苦手という方でも思いが変わるはずだ。通年あるもずく酢も、地味ながら逃せない。全国どこでもあると思われるだろうが、青森のもずくはたいそう繊細でしゃくしゃく爽快&軽快なドラマを口中にもたらすのだ。
日本酒は県内の美酒を各種揃えるが、まずは地元青森市内の唯一の酒蔵である西田酒造店の「田酒」を。程よい米のふくらみを感じる、満月のようにバランスの取れた旨さが魅力だ。ほかにも弘前市・三浦酒造の「豊盃」は微笑みにも似たやさしい甘味があり、八戸市・八戸酒造の「陸奥八仙」はきれいな酸が立ちと地域で個性は異なるが、いずれにしても青森の酒は口当たりやわらかで、ついついするする進んでしまう。そして食に寄り添い、引き立てる。
握りはマグロやヒラメ、ホタテ、イカなど地物が中心で、夏期は甘くとろけるウニが旬を迎える。ほろりほぐれるいい塩梅のシャリは、寿司に特化した県産米ムツニシキを使用し、さらり程よい甘味を秘める。いずれの握りもぐいっとパワフルに口中を凌駕するのではなく、穏やかにほんわり心身においしさがしみる奥ゆかしさがいい。酒を合わせれば、旨味や甘味とひとつに溶けあい、極楽、極楽。心配りが行き届いたもてなしもまた、女将の西村真樹さんをはじめとして握りに共通するさりげなさがあり、ひとりでも居心地がいい。
一度の訪問ですべての酒を網羅するのは難しいものの、燗の「吟冠 喜久泉」もお試しいただきたい銘柄の一つ。田酒と同じ蔵の酒だが、主に地元向けの流通であるため、県外ではなかなか出合えない銘酒なのだ。夏場でも、冷房で芯が冷えたの体に燗酒は心地よくしみる。雪降る季節ならぬくぬく増し増しとなり、マダラの白子焼やアンコウの肝など冬の美味と一つになってとろける。
青森では締めの定番、キラリ赤く輝く筋子巻もお忘れなきよう、強く強くおすすめしたい。筋子巻をごくあたり前に注文できるのは青森県と秋田県北部といわれ、これまた旅しての醍醐味となる。旨味濃厚。ふたたび酒を呼ぶのが悩ましいけれど、幸せ度数は極めて高い。
創業者の西村力さんは東京や北海道で修業を重ねた後、1964年に市内の屋台から商いの幕を開けたという。洗練された印象とともに、やわらかなおいしさと気負いのない雰囲気を感じるのは、ときに苦労も積み重ねられたであろうその礎によるものなのかもしれない。上質な魚介類と客の懐へのやさしさは、60年以上の営みを経て築かれた仕入れ先との信頼関係に支えられている。
不定休なので事前の確認が必須だが、青森市内では飲食店の選択が限られる日曜でも営業している日があるのがうれしい。昼夜ともに変わらぬ展開なので、スケジュールをふまえつつ計画を立てていただきたい。
文:山内史子 写真:松隈直樹