「十四代」が拓いた日本酒の新世界 ~十五代目・高木辰五郎さんの仕事と波紋~
【「十四代」物語】稀代の造り手・高木辰五郎さんの日本酒修業時代を支えたのは、新宿の飲食店「GORI」夫妻だった(第3回)

【「十四代」物語】稀代の造り手・高木辰五郎さんの日本酒修業時代を支えたのは、新宿の飲食店「GORI」夫妻だった(第3回)

芳醇な美酒として名高い山形県村山市の「十四代」。蔵元杜氏の高木辰五郎さん(56歳)は、卓越した醸造技術はもちろん、消費者の立場に立った魅力的な商品企画や価格設定でも注目されている。優れたマーケティングセンスはいかにして身につけたのだろう。高木さんは大学卒業後の2年間、東京・新宿の高級スーパーの酒売り場で働き、「無我夢中で学んだ」と話す。“日本酒修業時代”の若き高木顕統(あきつな・辰五郎さんの幼名)さんを支えた飲食店、新宿「GORI」オーナーの藤本さん夫妻と高木さんに、当時を振り返ってもらった。

“貧乏な社会人一年生”に、数々の銘酒を気前よく飲ませてくれた“東京の親”

東京・新宿1丁目の静かな路地に淡く光るゴリラの看板。「GORI」は、“ゴリさん”こと、藤本宣(のぼる)さんと妻の礼子さんが営む小さな飲食店である。カフェのようなモダンなしつらえだが、冷蔵庫には70種ほどの日本酒が並ぶ。銘柄は日々入れ替わっていくなかで、欠かさないのは「十四代」。時には6種類ほどが揃うこともある店の“看板酒”であり、来店客のほとんどが「十四代」目当てだという。嬉しいことがあった日に一人で来店する常連、連れに飲ませたくて訪れる人、地元では飲めないからと地方から噂を聞きつけて来る人など、みなが「十四代」を一杯以上味わって帰っていく。

「長年の十四代ファンは『やっぱり旨いね、別格だ』と満足の笑みを浮かべ、日本酒を飲みつけない入門者は一口で虜になってしまう。こんな酒はほかにはありません。市場では品薄ですが、うちの店で切らさず置けるのは顕統君のおかげ。ご縁に感謝しています」という藤本さん。だが、酒蔵の跡取り息子だと知ったのは、出会ってから2年近く経ってからだという。

「GORI」店主の藤本宣さん
優しい笑顔の“ゴリさん”こと、「GORI」店主の藤本宣さん。岡山県出身。六本木のジャズクラブや新宿の高級クラブで働いたのち独立。
店内
カウンターとテーブルを合わせて20席の、すっきりとモダンな店内。

店主の藤本さんは、六本木のジャズクラブや新宿の高級クラブのサービスマンを経て、1983年に「GORI」を開く。オープン時は、現在の店から徒歩8分ほどの富久町にあり、バーボンをメインで飲ませるカフェバーだった。あるとき、当時入手しにくかった「田酒」を飲んでみたいと馴染みの客から頼まれた。店に置く酒類は、自分の好みより、客の声を大切にして選ぶという藤本さん。その客のために「田酒」を探し、地酒専門酒販店として有名な四ツ谷の「鈴傳(すずでん)」で購入したことがきっかけで、日本酒に興味を持つようになる。

その頃、店から近い場所にあった伊勢丹系列の高級スーパー「クイーンズ・シェフ」(1985年~2003年閉店)の酒売り場は、品揃えが豊富で、優秀な酒担当の社員がいたこともあって通うようになる。この売り場に新入社員として配属されたのが、1992年に東京農業大学醸造学科を卒業したばかりの高木さんだった。

「GORI」オープン20周年のパーティ
2003年に「GORI」オープン20周年のパーティが盛大に開かれ、高木さんも挨拶。列席客には高木さんから贈られた「十四代 純米吟醸 龍の落とし子」がふるまわれた。

出会った頃の高木さんについて藤本さんは「純で素直、気持ちの真っすぐな青年という印象でした。口数は多くないけれど、何事にも一生懸命でね。都会の若者にはない初々しさや、独特の品がある。きちんとしたご家庭で育ったんだろうと思いました。ゆっくり話したくて、『うちの店、近いから遊びにおいでよ』と誘ったんです」と話す。山形の出身とは聞いていたが、まさか実家が酒蔵とは想像もしなかったという。

ほどなく高木さんは上司と共にGORIに飲みに来るようになるが、一年もたたないうちに上司は伊勢丹本部に異動。有能な上司の代わりに、高木さんは売り場担当だけではなく、ワインや洋酒も含めて膨大な数の酒類全般を扱うバイヤーの役割も担うことになる。「店の評判を落としてはいけない。もっと勉強して経験を積まなくてはならないと必死でした」と高木さんは当時を振り返る。

ガラス扉の冷蔵庫
ガラス扉の冷蔵庫には数種類の「十四代」のほか、「磯自慢」「而今」「飛露喜」など人気の日本酒がずらり。

来店客には、自分の言葉で酒を薦めたいと考えた高木さん。できるだけ多くの酒を味見したかったが、試飲用に飲める酒は少ない。といって自費で酒を購入しようにも、新入社員の給料は限られている。もどかしい思いが募っていく。状況を察した藤本さんは、一人でGORIに飲みに来るようになっていた高木さんに、一口ずつ多種類の日本酒をグラスに注いで提供した。「藤本さん夫妻は、美味しい料理でお腹を満たしてくれて、数々の銘酒をただ同然の安い値段で、気前よく飲ませてくれました。地方から出て来た貧乏な社会人一年生を精一杯応援してくれたんです」と高木さん。

ゴリラの看板
挿絵画家が描いたゴリラの看板がお出迎え。

頻繁に通うようになるにつれて、藤本さんに仕事上の葛藤も打ち明けるようになった。なかでも多く聞いてもらったのは、接客に関する悩み事だという。高木さんは詳しいことは明かしてはくれないが、若い社員相手に、今でいうカスハラもあったのではないだろうか。高級クラブ仕込みの藤本さんは、いつも笑顔を絶やさず、客の求めに真摯に耳を傾けているが、雰囲気を壊す言動は許さないという強い意志を柔和な表情の奥に忍ばせる。そんな接客のプロフェッショナルとの会話は、入社1年生の高木さんに心強いアドバイスになったことだろう。

次第にGORIは、高木さんにとって身も心も安らげる場所になっていく。「たらふく飲んで酔いつぶれて、翌朝、目覚めたら壁にセーラー服がかかっている。うわ!ここはどこだ!と焦ったこともあったなあ」と笑う。藤本家の長女の部屋で寝かせてもらっていたのだ。夫妻は「僕たちは顕統さんの東京の親代わりだと思っている」と話し、娘さんは高木さんのことをお兄ちゃんと呼んでいる。

「女将さんには、付き合う友達の品定めもされちゃいました」と高木さん。「アキちゃん(高木さん)は、素直ないい子だから、利用されてしまうんじゃないかと心配で」と女将の藤本礼子さん。酒蔵を継いだ後の話になるが、のちに妻となる若菜さんを店に連れて行ったときは「絶対この子がいいよ、アキちゃんを支えてくれるはずだよと、太鼓判を押しました」と礼子さんは言う。そんな家族ぐるみの付き合いは、32年経った今も変わらないという。(続く)

店舗情報店舗情報

GORI
  • 【住所】東京都新宿区新宿1‐17‐11 大洋ビル1階
  • 【電話番号】03‐3353‐1294 原則として紹介制で、要予約。
  • 【営業時間】18:00~21:30(L.O.)
  • 【定休日】土曜 日曜 祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「新宿御苑駅」より徒歩2分

※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ネット上で正しく表示されない可能性があるため、「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。

文:山同敦子 撮影:たかはしじゅんいち

山同 敦子

山同 敦子 (酒ノンフィクション作家)

東京生まれ、大阪育ち。出版社勤務時代に見学した酒蔵の光景に魅せられ、フリーランスの著述家に。土地に根付いた酒をテーマに、日本酒や本格焼酎、ワイナリーなどの取材を続ける。dancyuには1995年から執筆し、日本酒特集では寄稿多数。「十四代」には94年に出会って惚れ込み、これまで8回訪問し、ドキュメントを『愛と情熱の日本酒――魂をゆさぶる造り酒屋たち』(ダイヤモンド社)、『日本酒ドラマチック 進化と熱狂の時代(講談社)』などに収録。