伝説の「レストラン・パナシェ」がなくなってから十数年、それでも振り返ってしまうあのレストランは何処へ――。「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“ゲンバメシ”の思い出を回想します。
東宝スタジオ周辺の食事情に変革をもたらしたと言っても過言ではないほどのインパクトのあった「レストラン・パナシェ」が消えて十数年が経ちました。
その間に東宝スタジオも正門ゲートを擁する新しい鉄筋四階建ての本館(といっても建ったのが1959年だから全然新しくない)や、1932年の東宝の前身、PCLスタジオ開設以来の歴史的建造物1番ステージと2番ステージが2011年に取り壊されました。
その跡地には複合商業施設が出来て(すなわちスタジオにせず、別目的の建物にしちゃったのです)、中には家電量販店の「コジマ電気」、大手スーパーの「サミット」、ファミレスチェーンの「サイゼリア」、ファーストフードの「モスバーガー」と、東京近郊の幹線道路沿いであればどこにでもあるお店が入店して、週末は駐車場に並ぶ車列で周辺は大渋滞になる程の繁盛っぷり。
食事もスーパーの惣菜売り場の出来合いのものを買ってスタジオで食べるのが一番安上がりで時間もかからないので、若いスタッフは食事時間になると挙ってスーパーに向かうのが当たり前の景色になっていました。これができる前から小田急線の駅に向かう途中に出来たコンビニエンスストアの存在は手軽な食事手段としての習慣になっていた訳で、さほど驚くことでもないのかもしれません。でも、これが21世紀の撮影所なのか?
海外から流入したケータリングも普及したけど、本当の意味で豊かになったのかな?
知らず知らずのうちに悪手を引き続けた結果なのかもしれないな、と便利になった代わりに失うものは多く、取り返しのつかないところまで来ちゃった事を嘆くしかないのです。
そんなある日、伊集院光さんのラジオで「パナシェ」が話題になったというのです。
リスナーのお願いを番組で紹介して情報を集めるというものなんですが、昔撮影所で働いていた人が「パナシェ」にロケ弁を頼んだらえらい評判になりプロデューサーに褒められたという思い出話と共に、今はなくなってしまったあのお店は今どこにあるのか?と情報を集めているというのです。
伊集院光さんとはガメラ3で京都府警警官役で出演してもらって以来,何度となくラジオに呼ばれたりしてたんですけど、その時ばかりは一介のリスナーに混じって「パナシェ」について知ってる事を普通にメールで送ったりしました。とはいっても私が知っているのは介護施設で食事をつくっているらしいぐらいでしたが。
するとラジオの力というか伊集院光の力というか、私の情報を上回る「パナシェ」の最新情報が番組に寄せられていました。
なんと「パナシェ」が静岡県熱海市で復活したというではありませんか。
ひらがなに屋号を変えて、熱海のちょっと南側の別荘地で再び洋食屋を始めているらしいのです。ネットで探してもまだ詳しい情報が出てきません。でも熱海といえば熱海怪獣映画祭の首謀者が現地にいるので探ってもらいました。
すると宿泊できるレストランになっていて、メニューもかつての和風オムライスとかが揃ってて、撮影所時代の味を再現していると。添えられたおじさんの写真はまごう事なき「パナシェ」のおっちゃんでした。
その年の秋、熱海怪獣映画祭の時にクルマを出してもらい、熱海と網代の間ぐらいの山道を一気に駆け上がらないと着けないなかなかどうして険しい道程でしたが、遂に十数年ぶりの再会と相成りました。
醤油味のライスに乗ったトロトロのオムレツの上で海苔と鰹節が踊る和風オムライスや、ドミグラスソースの肉料理は健在。長生きはするもんです。
翌年の怪獣映画祭ではキッチンカーを出してあのロケ弁を再現、東京に帰らなければならないので持って帰って東海道線のグリーン車で食べましたが、買い占めて持って帰りたいぐらいの美味しさでした。いつまでもお元気で美味しいもの作ってくださいね。
文・イラスト 樋口真嗣
東宝スタジオ周辺の食事情に変革をもたらしたと言っても過言ではないほどのインパクトのあった「レストラン・パナシェ」が消えて十数年が経ちました。
その間に東宝スタジオも正門ゲートを擁する新しい鉄筋四階建ての本館(といっても建ったのが1959年だから全然新しくない)や、1932年の東宝の前身、PCLスタジオ開設以来の歴史的建造物1番ステージと2番ステージが2011年に取り壊されました。
その跡地には複合商業施設が出来て(すなわちスタジオにせず、別目的の建物にしちゃったのです)、中には家電量販店の「コジマ電気」、大手スーパーの「サミット」、ファミレスチェーンの「サイゼリア」、ファーストフードの「モスバーガー」と、東京近郊の幹線道路沿いであればどこにでもあるお店が入店して、週末は駐車場に並ぶ車列で周辺は大渋滞になる程の繁盛っぷり。
食事もスーパーの惣菜売り場の出来合いのものを買ってスタジオで食べるのが一番安上がりで時間もかからないので、若いスタッフは食事時間になると挙ってスーパーに向かうのが当たり前の景色になっていました。これができる前から小田急線の駅に向かう途中に出来たコンビニエンスストアの存在は手軽な食事手段としての習慣になっていた訳で、さほど驚くことでもないのかもしれません。でも、これが21世紀の撮影所なのか?
海外から流入したケータリングも普及したけど、本当の意味で豊かになったのかな?
知らず知らずのうちに悪手を引き続けた結果なのかもしれないな、と便利になった代わりに失うものは多く、取り返しのつかないところまで来ちゃった事を嘆くしかないのです。
そんなある日、伊集院光さんのラジオで「パナシェ」が話題になったというのです。
リスナーのお願いを番組で紹介して情報を集めるというものなんですが、昔撮影所で働いていた人が「パナシェ」にロケ弁を頼んだらえらい評判になりプロデューサーに褒められたという思い出話と共に、今はなくなってしまったあのお店は今どこにあるのか?と情報を集めているというのです。
伊集院光さんとはガメラ3で京都府警警官役で出演してもらって以来,何度となくラジオに呼ばれたりしてたんですけど、その時ばかりは一介のリスナーに混じって「パナシェ」について知ってる事を普通にメールで送ったりしました。とはいっても私が知っているのは介護施設で食事をつくっているらしいぐらいでしたが。
するとラジオの力というか伊集院光の力というか、私の情報を上回る「パナシェ」の最新情報が番組に寄せられていました。
なんと「パナシェ」が静岡県熱海市で復活したというではありませんか。
ひらがなに屋号を変えて、熱海のちょっと南側の別荘地で再び洋食屋を始めているらしいのです。ネットで探してもまだ詳しい情報が出てきません。でも熱海といえば熱海怪獣映画祭の首謀者が現地にいるので探ってもらいました。
すると宿泊できるレストランになっていて、メニューもかつての和風オムライスとかが揃ってて、撮影所時代の味を再現していると。添えられたおじさんの写真はまごう事なき「パナシェ」のおっちゃんでした。
その年の秋、熱海怪獣映画祭の時にクルマを出してもらい、熱海と網代の間ぐらいの山道を一気に駆け上がらないと着けないなかなかどうして険しい道程でしたが、遂に十数年ぶりの再会と相成りました。
醤油味のライスに乗ったトロトロのオムレツの上で海苔と鰹節が踊る和風オムライスや、ドミグラスソースの肉料理は健在。長生きはするもんです。
翌年の怪獣映画祭ではキッチンカーを出してあのロケ弁を再現、東京に帰らなければならないので持って帰って東海道線のグリーン車で食べましたが、買い占めて持って帰りたいぐらいの美味しさでした。いつまでもお元気で美味しいもの作ってくださいね。
文・イラスト 樋口真嗣