映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深掘りする連載。第45回ゆるっとした温かさがたまらないコメディドラマを掘っていきます。
野枝(小泉今日子)と奈津子は(小林聡美)は、同じ団地で育った幼なじみ。50代半ばに差し掛かったいまでもノエチ、なっちゃんと呼び合う仲だ。野枝は大学の非常勤講師、奈津子はフリーのイラストレーターだが、いろいろあって現在独身、それぞれ団地に戻って実家暮らしをしている。
団地のおばちゃんたちに頼られて網戸を張り替えたり、新たな住人のお世話に駆り出されるのも常にコンビ。若き日の夢も失敗も知り尽くした二人のかけあいがユーモラスで楽しく、時々ほろっとさせられたりもする。団地というノスタルジックな共同体における季節の移り変わり、そこで繰り広げられる人間模様が温かく、じんわり癒されるドラマである。
そんな二人の間にいつもごはんがある。野枝の日課は、料理上手の奈津子の家でごはんを食べること。料理の才能がない野枝だが、食べることは大好きなのだ。
ある日の夕食どき。職場からそのまま奈津子の家に帰って来た野枝は、「野菜焼き、食べる?」と尋ねられ、「食べる!」と間髪入れず答えた。
奈津子の料理は自称「坊さんめし」。一汁一菜で完結する精進料理みたいなものだが、その分ごはんと野菜にこだわりがある。お米はいつも土鍋で炊いて、野菜は定期的に新鮮なものを届けてもらっている。
その日は奈津子の家に宅配野菜がたくさん届いたばかり。フライパンに獲れたて野菜を並べていく。野菜そのものを味わえるようどれも大きめで、キャベツは5センチ幅にザクっとくし形に切ってある。丸のままスライスし楊枝を差した玉ねぎは表面に焼き色がつき、ニンジン、赤かぶも彩りを加える。メインは旬の北海道産のアスパラで、香りづけにローズマリーが添えてある。
「玉ねぎ、甘―い!」と野枝が頬を膨らませた。「これがあれば生きていける」と喜んで、幸せそうにうっとりするので奈津子もまんざらではない。
「なっちゃんが作ったものは全部、最高なんだよ」
これが野枝の口ぐせだ。食べる専門だが感謝をきちんと言葉にするのが野枝の美質である。
こんなふうに、奈津子の自宅の丸いテーブルに乗る料理はいつもおいしそうなのだが、ふたりの日常のアクセントとして登場する食べ物がある。ホットケーキだ。
近所の喫茶店「まつ」は、昭和のままのレトロな趣で、ふたりは何かにつけて窓際の席に陣取る。おしゃべりに花を咲かせたり、団地で巻き起こる事件の作戦会議もする、彼女たちのオアシスだ。
「まつ」のホットケーキは、やたらフワフワした最近のパンケーキとは違い、しっかりした厚みと重量感がある。同じ大きさにきっちり二枚重ね、てっぺんに正方形のバターがちょうど真ん中に載っている。野枝は、さらにその上から勢いよくシロップをかけてテンションを上げる。
クラシックな花柄の白い皿に、ほどよく焼き色がついたホットケーキ。ナイフを入れると断面からやさしい黄色がのぞく。ほのかな甘い匂いに包まれて、無心になってぺろりと平らげるとつまらない悩みなど忘れてしまう。魔法のような食べ物なのだ。
さて物語の終盤には団地の存続に危機が訪れるが、そんなことも乗り越えて季節は廻り、例年と変わらない師走がやって来た。団地の住人たちが集い合い、クリスマスパーティを開くシーンが心に残る。
手作りの飾り付けでいっぱいの部屋に、子供もおばあちゃんもみんな集まって来る。奈津子が腕を振るって丸鶏をオーブンで焼き上げ、仲良しのおばちゃん(由紀さおり)が、生クリームとイチゴのホールケーキを奮発してくれた。温かいこたつの上のテーブルに、子供たちが好きなオムライス、クリスマスカラーのミニトマトとブロッコリー、エビフライがある。大人たちがシャンパングラスで乾杯すると、一気に場が華やぐ。懐かしくてまっとうな、“日本人のクリスマス”の光景が広がる。
この団地では何かというとすぐ他人の家に上がり込む。同じ間取りの家に暮らす人々の共同体は、自分と他人の家の境界が曖昧になるのかもしれない。クリスマスのようなイベントも、野枝が奈津子の家に入り浸ってごはんを食べるのも、自宅の続きみたいな感覚なのだ。
「団地ってみんなおんなじ。それがいいところ」
古株のおばちゃんもそう言っていた。近所のダイニングが実家のように感じられる団地。まさにそこは桃源郷のような場所なのかもしれない。
文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ