
映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深掘りする連載。最終回は実話が元となった、一人の老人の物語です。
アイオワ州に住む73歳のアルヴィン・ストレイト(リチャード・ファーンズワース)は、長らく会っていない兄が心臓発作で倒れたと聞き、訪ねて行こうと決意する。ところが兄の住むウィスコンシン州までは、ミシシッピ川を越え560kmもの距離。質素な暮らしで車を持たないアルヴィンは、唯一の持ち物である時速8kmの芝刈り機にトレーラーを繋ぎ、家族の反対を押し切って旅に出る。
究極のロードムービーといえる本作は、実話というから驚きだ。そして、このアルヴィンの旅に登場する食べ物がどれも示唆的なのだ。
まずは、一本のソーセージ。野営のためトレーラーを停め、トウモロコシ畑の真ん中で焚火をしていたアルヴィン。そこへ、昼間に道路脇でヒッチハイクをしていた若い女性がやって来る。乗せてくれる車が見つからなかったらしい。憔悴しきった彼女を見て、アルヴィンが尋ねる。
「腹、空いてるか」
「何があるの」と、彼女。
「ウインナーだ」アルヴィンは答える。
アルヴィンに促されクーラーボックスからウインナーを一本、取り出す彼女。さらに言われるがままウインナーに木枝を刺し、T字になったウインナ-を燃える炎に近づけた。二人は押し黙り、ぱちぱちという焚火の音だけが薄暗い荒野に響く。
おんぼろ芝刈り機とトレーラー、そして無口な老人。それらを交互に眺め、困ったような表情になる彼女。「いいから食え」とアルヴィンが諭すように言う。彼女は温かくなったウインナーを齧る。火はますます燃え盛り、木がバチバチとはじけ、アルヴィンはただ彼女を見守っている。
食べ始めると勢いがつき、ウインナーをお腹に収めた彼女の顔に生気が宿る。少しづつ自己紹介を交わし始めると、女性の抱える事情を見抜いていたアルヴィンに彼女は驚く。気づけば彼女自身の抱える孤独や、心の奥底の苦しみを打ち明けていた。見知らぬ人から差し出された優しさ、人生を経た老人の言葉の重み。たった一本のウインナーは慈悲の恵みとなり、彼女が人生を取り戻すきっかけとなった。
次に登場するのは野生の鹿である。走行する車と野生動物の事故が絶えない地域で、鹿を轢いてしまった女性がパニックになりわめき散らす場面に遭遇したアルヴィン。彼女は人生のやりきれなさまでも彼にぶちまけると、急発進し去ってしまう。荒野の一本道に鹿の死体とアルヴィンが残された。
翌日アルヴィンのトレーラーの正面に、鹿の角が飾られている。命を落としたあの鹿の肉を火に炙り、生きる糧にしたのだ。そうしてトレーラーは先に進み、鹿はアルヴィンの旅を最後まで見届ける仲間となる。
旅に出て5週目のこと。芝刈り機が故障し絶体絶命の事態になるが、親切な家族に助けられる。修理を待っていたアルヴィンは街の長老の男性に声を掛けられ、一緒にバーに赴く。
二人が並んでバーカウンターに座っている。だが、アルヴィンの前に置かれているのは真っ白なミルク。彼は戦争で心を病み酒浸りになった過去を語り、ミルクは酒を断ち、心の傷を乗り越えた証と知れる。彼を誘った長老も、ビール瓶を前に自らの戦争体験を語り出す。カウンターのミルクとビールは、二人の老人の人生を優しく受け止めるように立っている。
やがて旅も終わりに近づき、兄の家はもう目の前だ。仲たがいの挙句長くわだかまりを抱えていたが、自尊心を捨て兄に会いに来たアルヴィンは、そこでロードサイドの小さなパブに入る。カウンターに座ると、今度は決然とビールを注文する。
「長年酒を断ってきたが、冷たいビールを」
マスターは黙って小瓶を差し出した。ビールを喉に入れると、感極まるアルヴィン。長い旅のご褒美であり、兄と対面する自分を鼓舞するためのとっておきのビールだ。何も聞かず彼を見守るマスターの穏やかな表情は、アルヴィンの励ましとなり、ビールとともに彼の心を満たす。
わずかずつしか進めなくても、自分の力で目的地へ向かおうとするアルヴィン老人の旅は、まるで彼の人生のようだ。そこには人に対する慈悲があり、生き物への畏怖と共存があり、禁欲と自戒、他者との共感や励ましがあった。そしてその折々に、食べ物が豊かに時間を彩ることをアルヴィンの旅は語ってくれる。
4年前の春から始まったこのウェブサイトの連載は、今回で最終回となります。フジマツミキさん、毎回素敵なイラストをありがとうございました。
そして、おいしい映像のお話におつき合い下さった皆さまに感謝申し上げます。
文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ