映画やドラマに登場する「あのメニュー」を深掘りする連載。第40回は圧巻の料理描写が見どころの、カンヌ国際映画祭最優秀監督賞受賞作です。
舞台は19世紀末のフランス。「料理界のナポレオン」と尊敬を集める美食家ドダン(ブノワ・マジメル)は、彼のイメージを具現化できる天才料理人ウージェニー(ジュリエット・ビノシュ)とともに、森の中の大邸宅に暮らす。
作品に登場する料理はすべて三つ星シェフのピエール・ガニェールが監修を行った。フランス料理の神髄ともいえる歴史的な逸品が作られるプロセスを余すところなく魅せてくれるとともに、美食家と料理人という二人の心の軌跡を描く感動作でもある。
物語は、薄暗い早朝の菜園から始まる。その日はドダンの親しい仲間との午餐の予定。シャトーの美しい厨房で、ウージェニーは見習いのヴィオレットとポーリーヌにてきぱきと指示を出し、ドダン自身も料理作りを担う。彼らはくるくるとダンスを踊るように厨房を行き来し、目の覚めるような料理が出来上がっていく。
窓から明るい陽の注ぐ厨房には、真ん中に大きな調理台があり、壁いっぱいに鍋や調理器具が並べられている。バターを濾すための三角形のじょうご、茹でた野菜を引き上げる丸い大きなレードル、魚のすり身をこねる器、大きなヒラメがピタリと入るひし形の鍋など、機能に特化した道具にも目を奪われる。
午餐のメニューはこんな内容だ。時間と手間をかけた“喜びの”コンソメスープ、骨付き仔牛のポワレは両手に余るほどの大きさで、平目を丸ごと使ったポシェもある。中でも目をひくのが伝説的なフランス料理、「ヴォル・オ・ヴァン」と言われるパイ詰めの一品だ。
これは大きなパイを焼き、その中に詰め物をするもの。ウージェニーはザリガニ、鶏のトサカ、菜園の獲れたて野菜に丁寧に火を通し、ホワイトソースで煮込んだ。パイを焼き上げると上部をカットし、中にたっぷりこのクリーム煮を流し込む。てっぺんに緑のアスパラを載せ、さらにパイの蓋とハーブをトッピング。祝いのケーキのようにこんもりとした高さのパイが、客の待つテーブルに運ばれていく。
切り分けるのは亭主・ドダンの役割。サクサクサク、とパイがカットされる音を、固唾を飲んで見守る仲間たち。手のかかった料理の素晴らしい味わいを愛でる感嘆の声とともに、このパイ詰めを考案した料理人の逸話で多いに盛り上がる。
デザートにもこだわりの一皿が登場。「ノルウェー風オムレツ」と呼ばれるメレンゲとスポンジのケーキは、中にアイスクリームが隠れている。オーブンでメレンゲに焼き目をつけ、テーブルでフランベし炎が上がったというのに、アイスクリームは奇跡のように冷たいままだ。魔法みたいなこのデザートを、厨房で食した見習いのポーリーヌは感激して泣いてしまう。客間では、この料理の科学的根拠の話題でもちきりだ。料理と料理人について、深い見識とあくなき好奇心を持つドダンの仲間たちなのだ。
この冒頭の午餐のシーンだけで十分に見応えがあるのだが、タイトルになっている「ポトフ」についても触れておきたい。
ドダンはポトフという家庭料理で、大胆にも皇太子をもてなすというアイデアを温めていた。ところがその矢先、正式に彼の妻となったばかりのウージェニーが病に倒れ、ドダンは生きる意欲を失ってしまう。しかし、彼が立ち直るきっかけになったのもまた料理であった。ポトフの試作を始めることで、少しずつ悲しみを乗り越えようとする姿が描かれる。
ドダン流のポトフは、もはや家庭料理とはいえないほど手が込んだもの。肉だけでも牛モモ肉、仔牛すね肉、牛テール、そして鳩をまるごと使う。玉ねぎ、にんじん、かぶ、ちりめんきゃべつ、房のままのにんにくなど、野菜も大量に煮込む。さらに希少な骨髄やフォアグラをトッピングしてみたり、試行錯誤を繰り返す。
料理に没頭している時間だけが、ウージェニーを喪った悲しみを忘れていられるかのようだ。そんなドダンの姿は切ないが、希望を感じさせるエピソードが生前ウージェニーと交わした会話にある。
ある時ウージェニーが、大事な質問があると前置きしてこんなことを尋ねた。
「私はあなたの料理人?それとも妻?」
ドダンはきっぱり答える。「料理人だ」と。
彼女はその言葉に心から満足し微笑みを返す。
料理への熱意と探求心を誰よりも強く持つ二人は、互いへの尊敬に満ちている。料理と食が結び付けた二人のありように感動し、素晴らしい逸品の数々とともに長い余韻を残す作品である。
文:汲田亜紀子 イラスト:フジマツミキ