第76回カンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞した『ポトフ 美食家と料理人』が、2023年12月15日から全国順次公開される。19世紀のフランスを舞台に、美食と愛と人生を描いたこの作品を手掛けたのは、『青いパパイヤの香り』や『ノルウェイの森』で知られるトラン・アン・ユン監督だ。先頃「東京国際映画祭」で来日した監督に、作品のコンセプトや撮影中のエピソード、そして“食”に対する考え方などを聞いた。
──本作は、料理史に名を刻み、名著『美味礼讃』の著者である美食家ブリア・サヴァランをモデルにした小説に着想を得たと聞いています。食をテーマ取り上げたきっかけは何ですか?
「以前からずっと食をテーマにした作品を手掛けたいと考えていました。そんななか、19世紀の美食家ブリア・サヴァランをモデルにした小説に出合い、その料理描写とガストロノミーの表現に刺激を受けて、この物語が生まれたのです」
「私は、食、特にガストロノミーはそれ自体が“芸術”であると考えています。映画と食はいずれも芸術でありながらまったく違う言語を持っている。しかし、素材を吟味して集め、そこに作り手が技術と創意を加えて一つの作品を創り上げるという意味では似ています。映画という芸術の中で、ガストロノミーというもう一つの芸術を表現してみたい、その思いを叶えたのがこの映画です」
──映画では、長回しで撮影された調理のシーンが印象的でした。
「調理場面、とくに冒頭のシークエンスは最高のチャレンジでした。私が食をテーマにするならこれまでにない料理映画を作りたい、と思っていた。だから、食材はすべて本物を使い、フードスタイリストをつけずに実際に俳優たちにも作業してもらいました。調理には手順があります。それを1カットで見せるために、動線を把握し、一つ一つの調理器具を置く場所も厳密に計算しました」
「料理人の動きはまるでダンスのようになめらかで、結果としてとても美しいシーンになった。調理の手元をカットなしで回すことで、リアルに料理ができるまでの“時間”を表現したかったし、観客にもそれを感じて欲しかったのです。実は、この1シーン1カットのアイデアは、溝口健二監督に影響を受けたものです」
──調理の“音”も、臨場感があって引き込まれます。
「音はとても重要な要素です。音があることで映像が生き生きとしてくる。今回はあえて、本編にはいっさい音楽を入れず、包丁で食材を切る音や鉄鍋で炒める音など、生の調理音を使いました。それをより効果的に演出するために、撮影後の編集では映像よりも音の編集に時間をかけています。結果として、その“音”が音楽のように、あるいはそれ以上の役割を果たしてくれました。音があることで料理の“味わい”がくっきりと際立つ。料理に輪郭を与えてその味のイメージを膨らませてくれるのです」
──ところで、作品中に登場する見事な料理の数々は、撮影後どうなったのですか?
「もちろん、みんなで美味しくいただきました。今回の映画作りでは「材料を絶対に無駄にしない」ということにもこだわり、徹底しました。料理はすべてフレンチのシェフ、ピエール・ガニェールが監修し、撮影では彼の右腕だった料理人が現場で料理を作ってくれていましたから、味はもう、最高級です。特にヴォル・オ・ヴァン(Vol-au-vent=トサカとザリガニとクネルのクリーム煮のパイ詰め)は、素晴らしかった!」
──それは羨ましい!ちなみに監督自身は料理をされるのですか?
「私はもともと、ほとんど料理をしたことがなかったのです。幸運なことに母も妻も料理がとても上手なので食べる専門で(笑)。けれどこの映画を撮り終わったあとは無性に料理がしたくなって、ついにキッチンに立ちました。ポトフも作りましたよ。でも、さすがにヴォル・オ・ヴァンは……(笑)」
──タイトルにも付けた“ポトフ”という料理には、何か思い入れがあるのでしょうか?
「ポトフはフランスのとてもポピュラーな料理で、庶民の味でもあります。大鍋にたっぷり作って何日も食べる。そのうちに味が少しずつ変わってきて、最後には別の料理にアレンジしたりして。そうやって生活に馴染んでいるフランスの代表的な一品ですが、最近では有名シェフもポトフをメニューに載せたりしています」
「私が初めてガニェールの店を訪れたときにもポトフがメニューにあって、もちろん食べてみましたが、それはそれは素晴らしかった。ベーシックな家庭料理でありながらガストロノミーの表現にもなる。フランスの食をテーマにした映画には、ぴったりのタイトルだと思いませんか?」
繊細な映像美と細やかな描写で世界的な評価を受けるトラン・アン・ユン監督が初めて手がけるガストロノミー映画。スクリーンに登場する見事な料理の数々が、二人の主人公が織りなす愛の物語に妖艶な彩りを添える。美食と映画、二つの芸術の美しい融合は、ぜひスクリーンでご覧あれ!
映画監督。1962年ベトナム生まれ、1975年にフランスへ亡命。現在はパリを拠点に活動する。1987年、エコール・ルイ・リュミエールにて映画制作を学び、1993年発表の長編映画監督デビュー作『青いパパイヤの香り』(1993年)で高い評価を集める。その後も『シクロ』(1995年)、『ノルウェイの森』(2010年)と話題作を発表してきた。7年ぶりの長編となる『ポトフ 美食家と料理人』(2023年)で、第76回カンヌ国際映画祭 最優秀監督賞を受賞。第96回アカデミー賞国際長編映画賞フランス代表に選出された。
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取材・文:沼田実季 撮影(インタビュー):熊谷直子