日本海では珍しいリアス式の海岸線が連なる福井県の小浜湾。二つの半島に挟まれて弓状に広がる内外海(うちとみ)地区には、小さな入り江と昔ながらの漁村が点在する。その中でも最も小さな集落のひとつ、志積(しつみ)に3年前に誕生した農泊「海のオーベルジュ志積」を訪ねた。里山の食材を使った郷土料理や収穫体験を楽しんだり、漁村で水揚げされる海産物を味わったり。地域の自然と食と生活を知り、人と触れ合い、暮らすように滞在を楽しむ“農泊”を訪ね、それぞれの地域でしか体験できない自然、時間、食の楽しみをお伝えします。
目の前には波穏やかな若狭湾、背後には緑豊かな山林。入り江から高台へと続く細い小径を、潮の香りを含んだ海風が吹き抜ける。ひっそりと静まった民家の軒下で洗濯物がはためき、のんびりと毛づくろいする猫の姿が。「海のオーベルジュ志積」は、そんな古き良き漁村の名残をとどめた集落の中にある。
全11戸しかない家屋のうち、元民宿の建物と離れの空き屋の3棟が改修され、シンプルでミニマルな宿泊施設とレストランに生まれ変わったのは2020年10月。
小浜を中心に数々の農泊プロジェクトを手がけてきたDMOが中心となり、海と山が一体になった内外海地区の集落全体をホテルに見立てる新しい漁村ステイのモデルを提案。志積で古くから民宿「久兵衛」を営んできた西川徹さんがこれに共鳴し、農林水産省の「農山漁村振興交付金」などの助成を受けながら、2年がかりで事業化を実現させた経緯がある。
浜辺に近い集落の入口で旅人を迎えるのは、民宿の旧屋号と看板がそのまま残る本館棟。ラウンジでチェックインの手続きを済ませ、民家に挟まれた石段の小路をたどっていくと、やがてヴィラ形式のホテル棟「HOUSE SEN」に続いて、メインダイニングに当たる「Restaurant UCHITOMI」に到達する。隠れ家のように囲い込まれた配置ではなく、漁村の暮らしに溶け込むオープンな佇まいが心地よい。
ナチュラルな木目調のダイニングの窓越しに広がるのは、一幅の絵のように完璧な若狭湾ビュー。入り江の海岸線から沖合の千島や右手の御神島、右手の漁港を一望に見晴らすパノラマに思わず息をのむ。
「空が暮れ終わり、ふっと風が止まる頃合いに夕凪のショータイムが始まります」と、スタッフの岡本諭司さん。
「夕日は岬に隠れて見えませんが、夕映えが西の空から海面に降りてきて、それはもう美しいですよ。毎日見ていても感動します」
しかし、本当のハイライトは、魚介から野菜、肉まで若狭の食材を満載したコース料理が楽しめるディナータイムだ。
レストランの厨房では、旧民宿「久兵衛」のオーナーであり、58歳にして現役バリバリの漁師でもある西川さん、秋田県出身の若きシェフ永井貴大さんの2名が自慢の腕を奮う。
コースは、若狭湾に水揚げされる地魚のお造りや煮付け、旬の野菜小鉢などを贅沢に盛り込んだ舟盛りの“アミューズ”で幕を開け、西川さんが目の前の海で獲った新鮮な生ダコの前菜、小浜にほど近い三方五湖産の鰻を使ったパスタ、若狭ぐじや若狭牛のメイン、これも地野菜のトマトを使ったデザートへと続く。漁村の食文化に根差した民宿料理にイタリアンやフレンチの技法を掛け合わせた、地元の素材へのリスペクトが感じられる構成だ。
オーベルジュのある福井県小浜市は、古くは海産物などの食材を京に運ぶ“鯖街道”の起点として栄え、「御食国(みけつくに)」と称えられた歴史を誇る。そんな豊かな食文化のDNAを映す料理には、一皿一皿に“新・志積スタイル”とも呼ぶべき工夫と創意があり、目にも舌にも新鮮な驚きを呼び覚ましてくれる。
日本酒は福井県産、ワインは国産オンリーを揃えるドリンクメニューも充実。目の前で水揚げされる地ダコは、複雑で深みのある味わいをもつ小浜の地酒「岳颪(やまおろし)」と。上品ながらもしっかり旨味がのった若狭産の甘鯛(ぐじ)には、芯の通った味わいとキレに富む若狭の地酒「早瀬浦」を。これまた地のもの尽くしの味わいに感動し、酔いが深まる頃にはすっかり夜が更けている。
文・堀越典子 撮影・赤澤 昂宥